事件の発端は長野県のさつき山荘で赤軍派兵士五人と長野県警警察官四人の内三人と銃撃戦を交え、待機中の警官一人が長野県警本部に緊急連絡を送り銃撃戦で逃げ延びた連合赤軍兵士五人は二月十七日あさま山荘に立てこもりあさま山荘事件発生となる。
ちなみにこの時にあさま山荘の経営者の奥さんが人質となる。この時経営者は宿泊客をスキー場へ案内していたため難を逃れる。
連合赤軍の持っている武器は銃砲店で強奪したもので、散弾銃・ライフル・弾丸2,800発と独自に製造した物で鉄パイプ爆弾4個です。
長野県警は誇り高い教育県であった為、東京本庁に警察犬・ライフルのみを貸すよう言って来たが東京本庁はこれに反対し、捨て駒幕僚団を派遣し、長野県警に放水車・鉄球付クレーン車・催涙ガスを揃えるように指示をだした。
捨て駒幕僚団が現場に着いた頃給食が大問題になった為北海道県警にキッチンカーの派遣を要請する。
この頃民間人が人質交代の為山荘に接近したが狙撃され、同日病院で死亡が確認される。
その為東京本庁の後藤田長官は捨て駒幕僚団の幕僚長だった佐々局付に全ての指揮権を任せる。
長野県警は夜擬音作戦の合図で照明弾一発を上げるよう指示したが手違いにより二発上がってしまった為警官隊は混乱する。次の日クレーン車による破壊工作をしようとするが電線が切れていなかった為運転手は長野県警に激怒する。
結局電線を張ったままで破壊工作を実行する事になった。
同日、警官隊は山荘への突入を開始する。しかし中隊長が屋根裏に潜んでいた赤軍派兵士の狙撃の直撃を受けて重症を負う。
この頃放水車の指揮をしていた隊長が頭部を狙撃され重症を負う。
突入した警官隊は放水車を使い部屋の一部の壁を破壊し、突撃する。
その部屋には犯人が五名おり警官隊が応戦中に人質と思わしき人物を発見する。警官が本人であると確認し、救出となる。
ちなみにこの事件の生中継の最高視聴率は89.9%
殉職者2名、重傷者12名
使われなかったパイプ爆弾3個・使われたパイプ爆弾1個
警察官動員数15万人
以上です 参考になればと思います。