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フォードGT Mk.IVの活動実績とその放棄について
- 1967年、フォードモーターのルマン24時間制覇並びにフェラーリ打倒プロジェクトの集大成ともいうべきフォードGT Mk.IVはデビューしたシーズンにセブリングとルマンの2レースしか出走していません。
- その高性能を以てシリーズ戦を戦えば同年のプロトタイプ国際選手権を獲得できたのは間違いないと思われますが、なぜそれを放棄したのでしょうか。
- 有名なMk.IIの積極的な活動実績と比較して、Mk.IVの活動実績は非常に少なく、その理由について考えてみましょう。
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まあ、真の理由は、当時のアメリカフォードの上層部のみぞ知る、ですが・・・ 少なくとも、初戦のデイトナの時点では、まだMk4は完成してなかったようですね。 で、フェラーリにボロ負けして、デイトナ・フィニッシュまで決められて、こりゃいかん、ということで2戦目のセブリングからMk4が出てきたようですが。 が、そのあとのモンツァやスパ、ニュルなどはパスして、あとはル・マンのみに目標を絞っていますね。 でも、よくよく調べると、実は前年66年も、まともにフォードがワークスMk2を送り込んでいるのはデイトナ、セブリング、ル・マンだけなんですよね。 ニュルにも1台だけMk2を出していますが、これはアラン・マン・レーシングを慣れさせる目的もあったようです。 66年デイトナとセブリングでは、おなじみシェルビー・アメリカンとホルマン・ムーディの2チームでしたが、ル・マンではアラン・マンを加えた3チームになっており、本番前にチームをレース鳴れさせるために、本来出場するつもりのなかったニュルに、急遽アラン・マンにMk2を貸し出して出場したらしいです。 なので、67年も、66年同様、もともとデイトナ、セブリング、ル・マンのみ出るつもりだったんじゃないでしょうかね。 デイトナとセブリングは地元アメリカですし、ル・マンはフォードが目標としたメインイベントですから、おそらくこの3つさえ勝てればよし、みたいに考えたんじゃないでしょうか。 あと、No1さんの回答で「GT40」と言ってますけど、GT40ではありませんね。 GT40というのは、64~65年のMk1をベースにした、289エンジン搭載のスポーツカークラス対応の市販レーシングカーですね。 (ちなみに、GT40の公道バージョンがMk3です) Mk1は、その時点ではスポーツカークラスのホモロゲーションである生産台数50台を達成していないため、プロトタイプクラスです。 Mk2は、シャーシはMk1をベースにしているため、見た目はGT40によく似ていますが、最初からエンジンが427なので、スポーツカークラスの5000cc以下というレギュレーションに合致しないため、プロトタイプクラスでしか走れません。 そしてMk4は、エンジンはMk2と同じ427ですが、シャーシはMk1(さらにルーツをたどればローラMk6)から続くシャーシとは全く別物の、66年に試作されたJカーをベースにしたシャーシです。 Mk2やGT40より、さらに曲線を多用したボディは、個人的にはMk2よりまとまりがよくて好きです。 (が、Mk2の野性的なデザインも捨て難いものがありますが) Mk2が、形が似ているためにGT40 Mk2のように紹介されるケースはよくありますが、全く関連性のないMk4までもがGT40 Mk4とか書かれてると、ちょっと悲しくなりますが・・・ (とはいえ、私も以前はGT40とMk2の区別などつきませんでしたけどね(笑)) Mk2、Mk4は、単にフォードMk2、Mk4、もしくはフォードGT Mk2、GT Mk4と呼ぶのが正しいと思います。 全然関係ありませんが、今年始めくらいまで、山手通りの大鳥神社交差点近くの外車屋に、67年のMk2Bが置いてありました。 Mk2Bは新規製作は1台もなく、66年のMk2からの改造が3台のみです。 シャシナンバー1015、1031、1047ですが、そこに飾られていたのは、67年ル・マン仕様のカラーリングで、イエローボディにゼッケン6でした。 (ていうか、Mk2Bは67年ル・マンにしか出てませんが) このカラーリングがオリジナルのままであれば、フォード・フランスから出場したシャシナンバー1015かと思われます。 ということは、前年66年に、本当は優勝のはずが2位になっちゃった車そのものですね。 7000万余りのプライスタグがついてましたが、ライバルであるフェラーリ330P4が数億円することを考えれば、かなりのバーゲンプライスに思います。 今はその店がなくなっちゃって、あのMk2Bはどこへ行ってしまったんだろう、とか思います。 まだ日本にあるんだろうか・・・
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- hiroki45
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GT40ですね かなり前の カーグラの特集ですと レギュレーション変更による 費用過多 ホモロゲの取得台数の増加でワークスとしての参戦が出来なくなるため が 大きな理由とされていました レギュレーションとホモロゲの変更は 事実上のGT40締め出しのもので これにより無理にヨーロッパでの参戦の必要性が無くなり ワークス活動は 終了みたいです
お礼
ありがとうございました。
お礼
私も記録を調べてみました。確かにMk.IIは66年シーズンに4戦しか出走していないのですね。フォードが同年の選手権を獲得しているので、それを目標に活動したものと思い込んでいたようです。実際は必要なレースだけに出たら予想以上にポイントを獲得してしまい選手権も転がり込んだ、といったところでしょうか。 ありがとうございました。