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楊貴妃について
学校(高校)の夏休みの歴史の宿題です。 楊貴妃の歴史への貢献度と偉大さについて教えてください。 ネットで検索しても、なかなか捜せません。 宜しくお願いします。m(_ _)m
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- NyankoCyaya
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No.3です。ちょっと補足です。 No.5さんの揚げ足をとる意図はございませんが、楊貴妃は妲己(だっき)や褒じ(「ほうじ」と読むのですが、「じ」の漢字が文字化けしてしまうようなのです…(>_<))とは違って、国そのものを滅ぼしたわけではありません。長安の城を傾けはしましたが、玄宗は後に城に戻り、唐の王朝は残ったからです。 「傾国」と「傾城」の意味は同じと言われていますが、字を見れば分かる通り、やはり傾ける物が違いますよね?それで言えば、楊貴妃は厳密には「傾城の美女」となってしまいます。 この辺は、安能務さんの「春秋戦国志」(冒頭に書かれています)に詳しく、また面白く書かれておりますので、一読されてみてはいかがでしょうか? 余談ですが、漢の時代の美女として名高い趙飛燕も、大変動きが優美であったと伝えられています。その当時の美女の条件は「細身」であった事。 時代変われば…ですね。 歴史の中で見れば、彼女よりも美しい女性は何人もいたかもしれませんし、正真正銘本物の傾国の美女もいたのですが、それらを押しのけて中国四大美女・世界三大美女の仲間入りを果たしている知名度は、立派な功績と言えるのではないでしょうか。
- disease
- ベストアンサー率18% (1239/6707)
楊貴妃は玄宗皇帝を骨抜きにして国を滅ぼした傾国の美女です。 そういった意味で歴史への貢献といえば新しい時代を引き込んだことでしょうか。 偉大さはやはり世界三大美女に挙げられていることでしょうか。(あとの2人は小野小町とクレオパトラ)
- uriko22
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アルコール依存症で、かなり太っていたという説もあります。それで香りのする物を口に含んでいたのかもしれませんね。
- NyankoCyaya
- ベストアンサー率0% (0/12)
「温泉の水滑らかにして玉の肌を洗う」彼女の美しさ(特に、輝くばかりに白く美しい肌)を表す有名な詩ですね。(肌のツヤを保つと言われる果物のライチが好物だったのは有名ですが、コラーゲンを豊富に含む鶏の手羽先だったかな?も、大好物だったとか) 貢献…と言うのは分かりませんが、外見よりも機知に富む聡明な才女であり、踊りの巧みさや香りのお洒落の上手さを特筆するべきでしょうね。 美女の基準は場所や時代によって違うのは当然ですが、当時の美女の基準は「色白・ふくよか・大柄」が絶対条件でした。でも、楊貴妃は踊りがとても上手だったという事ですので、動きはとてもしなやかで優美だったと思いますよ。 また、中国ではその身体から芳香を発する美女がいたと伝えられていますが、彼女もその一人だったと伝えられています。 楊貴妃は白檀・沈香で建てられた「沈香亭」で日中を過ごし、壁には沈香・丁字・麝香etc.…を口で噛んで(口臭予防と口中剤を兼ねていたのでしょうね)天子との対話に備えていたそうです。それだけ、香りにも長じていたのです。 でも、玄宗が政(まつりごと)をおろそかにした為、人々の怒りや恨みは彼女と彼女の一族に向かい、安禄山の乱によって…。その後、玄宗は泣く泣く彼女を処刑せざるを得なくなりました。 彼女の亡骸を改葬したおり、彼女に贈った香袋(とても高価な竜脳が入っていました)が香りを放っていた為、それを持ち帰って、彼女の肖像画を眺めては悲しみに暮れていたと伝えられています。 質問者様の求める回答では無いですが、彼女の一面を伝えるエピソードとして、参考までに…。
- chapanese
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こんにちは。 楊貴妃自身が歴史に貢献したか、偉大かというと調べても出てこないとおもいます。楊貴妃自身は美人といわれただけで、特になにをしたか、というとないんですよ。 むしろ楊貴妃が生きた時代を調べてみましょう。 楊貴妃は本名「楊玉環」もともと玄宗(唐代第6代皇帝)の息子の妻でしたが、玄宗に見初められ、寵愛を受けるようになりました。 玄宗は「開元の治」とよばれる立派な政治をしていました。が、晩年は楊貴妃寵愛で政務を怠り、結果として約十年にもわたる戦乱「安史の乱」をひきおこし、都長安を逃れることになりました。この乱によって唐王朝の威信は一気に落ちて、以後没落の一途をだとるのです。 そのさい、やはり戦乱の原因は楊貴妃にあるということで、兵卒からも楊貴妃を殺せということで不平不満が爆発し、結果として楊貴妃およびその一族は殺されてしまいます。 漢文の授業とリンクしますが、李白や杜甫はまさしくこの時代に生きた人でした。特に杜甫の苦しい生活をうたった詩は安史の乱によるものなのです。 このような背景から、考えてみるのはいかがですか?
世界3大美女の一人です。 天皇(名前は忘れましたが)に愛されてい多のですが、その愛し方が、溺愛でした。天皇は楊貴妃に夢中で、他のことに手がつかなくなり、政治がおろそかになり、国が、めちゃくちゃになったそうです。それで、国民の非難の対象が楊貴妃に行ったそうです。 貢献とは違い、こんなことしか分かりませんでした。