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家族が自殺するんじゃないかと心配です。
- 家族の自殺を心配しています。どうすればケアできるでしょうか?
- 私の家族が自殺することを心配しています。アドバイスをお願いします。
- 家族の心のケア方法を教えてください。自殺のリスクが心配です。
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役に立った相談先は、自治体の無料相談電話です。無料だから、本音がいえます。DV相談とか、女性相談とかでもいいです。困っている自分のこととして相談しました。自殺願望のある家族に良い病院(カウンセリング)をすすめられました。 さらに、会社をやめて学校に入ったのですが、そこのいたスクールカウンセラーです。そこでもすすめられたカウンセリングルームは前者と同じでした。 本は気休めにしかなりませんが、斉藤学氏、斉藤環氏、西尾和美氏のを読みました。ことがあってから振り返るにはいいですが、渦中にいるときには悩みが深くなるだけという面もありましたが、読まずにいられませんでした。 有名な精神科医の先生に言われたことは A先生 ・あなたも家族を心配しているが、本人と同じような症状を持っている、ということです。 絶対違うと思いましたが、一理ありました。本人に干渉するな。あなたも本人も薬は効かない。 ・本人に対して「家を出ることを目標にしなさい。」 B先生 ・あなた自身の人生の目標を持っているか? 本人の症状の原因は、あるとすれば本人のがんばり不足ではなくて、両親同士の関係が原因でした。親はもう長いのでかわりません。親に助けさせるのではなく、本人が親をいかにあきらめられるかだと思います。(おわり)
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>ご家族様が、生死の際までいった時どのような対応をしましたか? 私が当時、一番知りたかったのはこれでした。どこに何をどうやって相談したらいいのか、いまの状態の何が問題で、どうしたらよいのか。ご質問者様もそうなのではないかと、つい思ってしまい、こんなに長く書いて迷惑だろうと思いつつも、迷惑じゃないかもと思ったりして、迷惑だったらごめんなさい。私自身がちょっとまだ今は整理できないです。前の回答も、きちんと書いたつもりでしたが、ぐだぐだですみません(笑)もし迷惑でなければ、具体的な相談先など、一回だけかかせてください。 >またどうすれば良かったとか。 ひとつだけあるのは「それまでの価値観、信念を曲げるべきでなかった」ということです。私の場合はですけれど、悔いのないように、やりたいことを精一杯やりました。「ああしておけばよかった」だけでなく、「こんなにしてあげたのに」「あれを犠牲にした」と思うのも失礼だと思ったので、いつも自問してその範囲内でしました。人生で初めて経験することで、適切なアドバイスができる人が事実上いない、間違っても誰も責任が取れない中で、自分のためにはそれしかなかった思います。私は経験しないと納得できない、何でも全力という不器用な性格だから、他はできなかったとも思います。ただ、私はわかってないと、それまでの信念を変更して価値観を変えたので、今は自分の生活や人生観がゆれてしまって苦労しています。専門家にも、そこで自分の生活を捨てたのが全ての間違いと言われました。川を泳いでいて、自分は濁流からあがったけれども、振り向くと家族が溺れてる。そこで木やボートを差し伸べる程度にしておくほうが、全てにおいて良かったのだと後から知りました。でも、それで死んでない保障はないです。私は、最初は生活を変えずにボートを差し出してたのですが、事があってから親がだめなら自分自身がもう一度濁流に飛び込んで一緒に泳ごうと思いました。でも、自分にそんな力は無かったし、本人も意外と力があったんです^^ 性格が全然違ってきていたことを知りました、やっぱり成長する過程で、中は良くても、知らないうちに考えることは違う。意外な強さや弱さは知らないんだなと思いました。いま、また濁流からやり直しです。でも、ハッピーな家族になったわけでもなく、元通りの状態(いわば今の質問者さまと同じ)一番困っているのは、自分の価値観が再構築できない、自分の断絶した時間がつながらないことです。 >私も一緒に悩んで悩んで苦しむように思います。 できれば同じような人がいたら、私と同じ苦労をしてほしくないと思って、くどいけど何度も長文書いてしまいました。整理できていない部分もあり、調子にのって自分の感情や経験ばかり申し訳ないです。でも、私の努力にかけた時間や情熱や勉強量や費用は大学だったら軽く学位がとれるくらいです。でも、まだハッピーに身を結んだわけでもない。だからもし役に立てたら、それは私のほうがありがたいことで回答しました。特に目に見えない経験や価値観を犠牲にしないでほしいです。もし質問者様が、単にこの問題だけに困っていればいいですが、長引くと、判断力が鈍ったり、つい隠し事があるような感じで、いろんなことがギクシャクしたりするかもしれません。でも、生活は変えないでほしいです。これまでの生き方や社会生活、価値観もです。結局、なにがあっても質問者様は今の価値観で今の生活をしないといけないのです。私はそれを知りませんでした。ハッピーエンドか、死ぬかで違う展開が生まれるのではと期待していました。 >本当に死んでしまってもそうだと思います。 自分が当時、死にに行ったとわかったときに感じたことで、患者のそれを経験している専門家も言うことは「そういう決断というのは、どんな人間にとっても相当の勇気と覚悟と行動力がないとできないことで、本人なりに一生懸命人生を考えて、選んだこと。だから、もしそうなってしまったとしても、本人が望んで努力して実現した道だったのだと思って、その生き方を尊重しようと思う。」ということです。 >何も知らない家族にして貰える事は無いか 今、やっと半分ぐらい信じられますが、助かった後も親にいらついて、堂々めぐりでしたが、カウンセラーに「あなたが動くから、本人が苦しむんだ。あなたがいろいろやるから、本人が死にたくなるんだ」と強く言われました。知らないくせにと思いましたが、今はその意味がわかります。こういう距離感かと。ただ「あなたと家族にいてくれて本当によかった。ずっと変わらない。」ということだけは本人にしつこく伝えて迷惑ではなかったみたいです。忘れるみたいですが(^^)ちなみにいまは絶縁されてます(^^)いまも好きで心配だけど怖くて復縁したくありません。
お礼拝読しました。 >私の家庭は良い意味で放任主義だと思ってました。 >そんな家族に感謝して今まで生きてこれました。 私も”自主性にまかせてくれている”と思っていました。だからこそ信じて思う方向に努力して進んでこれたと思っていました。かといって無視とも違う、甘やかしとも違う、虐待もない。何か頼めば聞いてくれる。そんな環境に感謝していました。でもそれは家族のもう一人にとっては、違ったようです。 >何だかそんな絆も本当は無かったんじゃないかと。 そうですね。自分にとって特に問題ないな家族だっただけに、そう思うと同時に、更にどうであれば絆なの?じゃあ友達みたいに子の意思を無視して干渉したり、貧乏だったり、ちょっと荒れた親だったりする他の家庭が、精神的には全部うち以上に暖かい家庭だったのか?と疑問に思いました。同時に自分も、他の家族にとっては冷たい一員だったのかな、と振り返り反省したり、あの時、こうしてあげればよかったと浮かんだり。本人にあの時ごめんね、こうすればよかった。と言いましたが、「あ、それはない。ない。」と言ってくれました。事があった1年後にもどうにもならず仕方なく私がカウンセリングにも通いました。そこでこの絆については、絆という言葉を使って相談しませんでしたので答えを出されるようなことは無いのですが、そういった経験も経て、また絆が全部私の勘違いだったんだと感じた境地も経て、感じることは、そのとき満足していた家族には、自分の思う絆があったということです。それは変わらないし、過去を否定する必要はないんです。そして現在から未来にかけても、自分が絆がないと思えば、それはない。なぜなら、絆というのは一人とか家族の一部では成立しなので、満足してない大切な家族がいることを知ってしまえば、それは絆ではない。でもあなたから家族、親からあなたへの愛は、あなたがあると思えばあるのです。 >もっと自分が目をかけてれば良かったのかとも思ったりします。 生死の問題を身近に感じて、助かった後、しばらくの間は、一番、自責を感じた点です。私は東京なので、大病院と開業医のそれぞれ著名な精神科医二人にも直接相談しました。行政と民間の二箇所から同じカウンセリングルームを勧められたので、そこにも通いました。結論だけですが、これは違います。運良く助かった本人にも聞いたところ、「あ、それはない。違う違う。」だそうです。そう聞いても、頭から離れませんでした。これはカウンセリンラーの力がないと自分だけでは払拭できなかったかなと思います。質問者様と私で、似たケースだからと言って違う点もあると思います。でも、これは私は結果的には、同じ(親以外の家族の対応が引き金とか原因ではない)点と思うので、結論だけですが、いつかの参考にして頂けたらうれしいです。 >人間みんなそうですが、私も散々悩んだり苦しんだり失敗したり後悔しながら手探りで生きて 自分が、もちろん努力もしたけれど、自分だけの力じゃなかったし、コツもあるんだなとわかった。失敗もすれば、今考えれば恥ずかしい経験をしたり、困ったときに助けてくれた世の中の人がいた。厳しさも恩も汚さも必要だと、家庭では経験できないことを社会を出て知ったからこそ、同じ家に育った同窓生の仲間には、力になりたいし、逆に生きて仲間として自分の力にもなってほしい。と思ってました。 >本人にもくじけず生きて欲しいし、大切に思う気持ちは変わらないです。 世の中では、辛いこともあるかもしれないし、血がつながってなければ、自分も他人にそういう態度をすることもあるかもしれない。だからこそ、小さいころから知ってる自分はあなたを見捨てないし、私はあなたを知っている、私は何があろうと人間性を信じていると思ってました。愛情です。・・私は伝わりませんでしたが(汗)質問者様の場合は違うといいですね。 >心配なのは、本人が死のうとしても誰も気が付かないんじゃないか。 これは確かに誰にもわからないことですね。怖いですし、辛いです。ですが、なかなか誰にも告げずにっていうのは、できそうでできないこと。家族から袋叩きとか、政治家が絶体絶命とか、そういうのとちょっと違うと思うんです。質問者様に甘えたり、家族がやさしいから、予告か報告はあると思います。そうしないで死ねる勇気っていうのは、常人でもなかなかないです。でも、この心配をするなとか無責任に大丈夫だいうのは、同じ経験した私にはとても言えません。私がまた同じ境遇になって、その心配をするなと言われても絶対無理です。生きている人間なら当たり前の生理的な感情だと思います。
できないお願いがあったというのは違いますが、状況的にはあなたと同じ経験者です。とても心配な気持ち、離れている分、いつも頭にあって心配な気持ちはよくわかります。 あなたにだけに出されたSOSのような気がして、救えるのは自分しかいないと感じられるのもやむを得ないでしょう。でも、とても失礼かもしれませんが、そういった「人に話せないできそうもないお願い」をして、結果的にあなたが「心配をする」状態にさせるというのは、その方の依存心や人をコントロールしようとする意思の働いていることだと思います。願いがかなえられないことは十分承知で、自分の苦しみをあなたに背負ってもらって、死んだらあなたのせいという風にさせるのは、血縁だから「そんな人じゃない、本当に苦しんでいるんだ」と思うのもわかりますが、やはり共依存になってしまいます。 私の家族は、結局生死ぎりぎりのところまで行きましたが、のちに自分で境界性人格障害かもしれないと言っていました。 そして、文面からあなたは本人と親子の関係にないように思います。本人がそうなったのは、あなたのせいでない以上、あなたが本人を根本から変えることもできないのです。あなたが心配すればするほど、相手は無理なお願いをしてくるでしょう。たとえお願いを叶えたとしても、相手は変わらないはずです。 今のあなたは「自殺するかも」と思うくらい責任感と恐怖を感じているのですから、何を書いても、たぶん心の奥底であなたは受け入れられないと思います。でも、あなたは相手を救えないです。共倒れになるだけです。 もし死んだとしても、それは相手の運命です。アルコール依存症の回復でも、自殺したい人でも同じですが、一度底をついて、自分で這い上がってこないと、無理です。願いを聞き入れてもらえず、取引として何かをしでかしたとして、死なずにただ現実を見ること、そこから這い上がることをしなければ、どうにもなりません。それは家族といえども、相手の人生です。親がかかわるならわかりますが、そうでなければ、ずっと無駄に心配する生活が何十年も続くだけです。あなたも相手も不幸なままです。
お礼
どうもありがとうございます。 あの文章からここまで汲み取って頂けて…。 私の家庭は良い意味で放任主義だと思ってました。 その為みんな自立心は強く、家族が必要な時は絆の強さを再確認出来る。 そんな家族に感謝して今まで生きてこれました。 何だかそんな絆も本当は無かったんじゃないかと。 そんな家庭だったのがいけないのか…もっと自分が目をかけてれば良かったのかとも思ったりします。 でも、人間みんなそうですが、私も散々悩んだり苦しんだり失敗したり後悔しながら手探りで生きてきこれました。 本人にもくじけず生きて欲しいし、大切に思う気持ちは変わらないです。 本人にも、自分で何とかしようと行動しないとどうにもならないし変わらないとは言いました。 心配なのは、本人が死のうとしても誰も気が付かないんじゃないか。 と。 ご家族様が、生死の際までいった時どのような対応をしましたか? またどうすれば良かったとか。 実際、こうやって気にかけてあれこれしても、アドバイスいただいたように私も一緒に悩んで悩んで苦しむように思います。 本当に死んでしまってもそうだと思います。 私が直接あれこれする事は、本人も気にすると思うので、何も知らない家族にして貰える事は無いかと思っています。 後は時間で解決出来る事を願うばかりです。
- shimokita4002
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内容が全くわからないのでなんとも言えませんが、あなたがその直接の関係者で その問題を解決出来ないならどうしようもないと思いますよ。直接なんとかしようと しても余計、こじれるだけだと思います。普通に接するしかないでしょう!
お礼
どうもありがとうございます。 私には解決出来ず、本人が努力するしか無い事でした。 そっと見守るようにします。
お礼
丁寧にどうもありがとうございます。 携帯からなので、私からの文章は短くなってしまいますが、お許し下さい。 まずは、長文全く迷惑では無いです。 真剣に答えて頂いて、嬉しく思います。 はっとしたのは、こちらが何とかしようと動くと本人が余計苦しむという事…。 他の家族に、それとなく注意をするように促したんですが、本人にそれを気づかれてしまい、 『余計な事は言わないでくれ』 と言われてしまいました。 まさに、この事だと。 どうしても心配なのと、やはり気が付けなかったと自分が後悔しない為にも、今までよりマメに実家に帰ろうとか…向こうの家事も手伝おうとか考えたのですが、今までと違う行動をする事によって余計本人を困惑させる事になるんですね。 自分の生活ペース、環境、価値観、変えてしまう所でした。 若干価値観は変わってしまうかもしれません。 今までの家族のあり方が、自分の中で違う物になっていく感覚で今少し自分も困惑している所です。 今までは、自信を持って家族が大好きだ。愛してると言えたのが、今はきっと言えないと思います。 大切なのは変わりませんが。 濁流にのまれてても、そっとボートを渡すくらい…というのはとても良く解りました。 私は以前、鬱気味と不眠症で弱ってる時期があったのですが、その時家族は、働けなくなってもお金は何とでもなるから…という事と、薬は飲んでいるか?という質問だけだったように思います。 それだけでも、駄目になっても大丈夫と。 心配してくれてる。 と、非常に楽になりました。 今回の家族のお願い、そこからくる自殺への恐怖は、また若干違いますが、本人が不安になっている事は変わらないので…。 私も、無理に濁流には飛び込まず会った時は様子を伺う程度に留めたいと思います。 きっと、ギクシャクしてしまうとは思いますが…。 死んでしまっても、本人が選んだ事…。 そうなんですよね。 それを止めるのも、また苦しめる事。 進めるのもまた同じような気がします。 きっと周りが何かと動いても、本人の中で変化が無いと抜け出せない事ですよね。