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親孝行初めたのはいつですか?
親孝行初めたのはいつですか? こんばんは。 自分で自覚するのもおこがましいですが、 両親への親孝行って何歳頃しましたか? ささいなことでもよいと思いますが、たとえば◯歳のときに自立して以来自活してきたとか、親の家を買ったとか、体調を崩したから思い切って同居したとか。いろんな形があるとおもいます。今思えば、みたいなことでかまいません。 年齢と具体的にどんなことかも教えていただけると嬉しいです。
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20才と3か月です 東京に出て、自活を始めました それまでは、職にもつかず 親に、反抗ばかりしていました 何を思ったのか 突然、コックになりたい と、父親に言いました 実行力の有る父親は すぐに、勤め先を 見つけてくれました あれよ、あれよ という間に、東京へ出ていました 2か月後、ホームシックにかかり 家に、戻りました その時、母親が テレビを買えといって 二万円くれました 私は、東京に戻りました
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- napukun
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36歳男です。 3人兄弟で、それぞれ自立して 親父の『それぞれに持ち家を持たせてやりたい』という夢? は一応適ったみたいですが、それが親孝行なのかは疑問ですね。 下戸な私は、一緒に酒が飲みたいっていう願いも叶えられそうにないし 時々、親父の好きな珍しい焼酎買ってやるぐらいで 親孝行は未だ出来てない。って感じですねぇ 死ぬまでになにかしてやれればいいなって感じです。^^;
- sscience
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中学の頃。 さまざまな事、たとえば家の事を手伝うにも、それまで見返り(おこずかいなど)がないとやらなかったけど、親のありがたさに気が付いてからは、そういうのなしになりました。親の呼び方を変えたのもその頃。 あまり長生きでなかったので今考えればよかったかもです。
- MVX250F001
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3歳の頃です
- wildthing
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親孝行の定義にも寄りますが 私の親への親孝行は 私がどれだけ彼らを大好きかという意思を示したかと言うことだけです。 ありがとうは事あるごとに言って お父さんとお母さんが居てくれるから 私はとっても幸せなんだよとか、 お父さん大好きだからねー。とかきちんと言うと すっーーーごく嬉しそうな顔で笑っていました。 自活とか 家を買ってあげたと言うのも親孝行ですが どれだけ子供に愛されているかを伝えるだけでも 大きな親孝行だと思います。 中2の時に 私がお父さんにできる一番の親孝行はなに?と聞いたときに ”お前が将来何になろうとも構わない だけど 死ぬときに おまえへの心配は全くない”と思って 笑って死にたいと言われました。 なんて深い言葉なんだろうと13歳の子供としては愕然としましたが色々と深く考えさせられる答えでした。 結局は 思いやりと愛情が親孝行だと思うのは私だけでしょうか?
お礼
言葉って大切なんですよね。 でも恥ずかし過ぎて言えませんね…。 たぶん受け取る方も、とっさに「ハァ?」って感じになると思うので、 なおさら言えません(笑) なのでいきなりそこを目指さないで、とりあえず間接的に何かしようと思います。 ありがとうございます。
- t-pierre-0519
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まず高校卒業後に親元を離れてから、親に感謝ができるようになりましたが、 大学卒業して社会人になって、生活していくことの大変さを身に沁みるようになってから、 「自分を大学に行かせてくれた親に対する感謝」と「自分が親に何をしてあげられるか」を 考えるようになりました。 モデルの蛯原友里(えびちゃん)は稼いだお金の一部を親に仕送りをしてるそうですが、 親元を離れて暮らす一般のサラリーマンはそんな余裕がありません。 親にお金を送ることはできないけど、仲良くすることならできると思い、 「親と仲良く接することで親孝行しよう」と思いました。 それ以来、親が亡くなる時に「手がかかったけど、いい息子だった」と 思ってもらえたらいいなと思って接してます。 また、週に1回は親(とくに母親)とは電話してるかな。 元気でいるとだけでも伝えるだけでも親は安心すると思うし、 親の調子や様子伺いをするだけでもこちらも安心しますし。 あとは、万が一、親が体調崩したときに、お金だけ渡して放置したくないので、 できる限りの介護をする覚悟と準備はしてるかな。 実際に親戚でいたんですよ、お金だけ出して、介護を全くしなかったのが。 それを見てたので、僕は自分の親にはそうしたくないと思ったので、 親の介護をする覚悟はできてます。 孝行息子かどうかと言われるとわかりませんが、 父とはたまに喧嘩しますが、おおむね両親とは仲良くしてます。 「親と仲良くすること」が一番の親孝行だと思います。
お礼
お電話するんですね。いいなぁ。 ウチは用件がないと難しい…会ってダラダラするほうが向いているという感じです。 10年前は母と手紙のやりとりがよくありましたが、 父がメールに開眼してからは、母の近況もメールに含まれているので 母から直接手紙を貰ったりすることはなくなりました。 なので手紙は祖母に送ったりしてます。 「手がかかったけど、いい息子だった」って私もこれを目指そうと思います。 「手がかからなかった」っていうのはもう無理なのでw ありがとうございました。
- 馬鹿鳥 仁左右衛門馬鹿犬(@osuwariha)
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私が30の時に、母が60になったので嫂の御両親と合わせて還暦のお祝いをしました。 嫂の父親が65歳父が62歳嫂の母親と私の母は同い年な上に同じ月生まれ(嫂の母が3月20日母は30日生まれ)だったので、どうせやるなら一緒にやろうと決めました。丁度嫂の3番目の子が産まれて1歳になっていたので、それを見に行くと父母から聞いてましたので、兄には金を半額出してもらうだけで段取りは全部自分でやりました。 ゲテモノ料理専門店に嫂の御両親と嫂と子の3人と父母兄私の合計10人で行きました。 嫂も勿論ですが嫂のご両親もゲテモノ料理ははじめてのようでした。横浜市から生まれてからこのかた引っ越した事がないとおっしゃっていたので、こんなものが食べれるんだとメニューを見て驚いていました。 父母は関西の山間部のへき地に生まれ育っていたので、ゲテモノではなく常食していたらしく何の抵抗もなく食べていましたが、父はゲテモノ料理が大好きなのを知ってましたからこの店にも何度かきたことあるなといってました。母は「50年振り、いやもっと前か、なつかしいなあ。イナゴのつくだ煮」といって イナゴのつくだ煮ばかり食べてました。無心にイナゴのつくだ煮ばかり食べる母に甥っこ達も興味しんしんでイナゴを食べると「おいしいけどもぞもぞするよ」と的確に感想述べてました。 そしてもうひとつ驚かれていたのが、店の仕掛けです。店内を小川が流れていて、小川の上を舟盛が進んできて、注文したお客さんのテーブルで止まるという事です。この仕掛けは甥っこ3人の興味も引き、舟盛呼びたさに一生懸命ゲテモノ食べてはお代わりして舟盛呼んでいました。料理はウサギ汁、しし鍋、鹿肉のステーキ、すっぽん鍋、カエルの手羽先、雀の丸焼き、鳩の丸焼き、イナゴのつくだ煮等々ありました。 食事がひと段落したところで還暦のお祝いのプレゼントを渡しました。 中身を見て4人とも大笑い。 赤いちゃんちゃんこでもこのタイミングで着させようとしていたのかなと思わせといて、 父と嫂の父親に赤褌。 母と嫂の母親には赤い腰巻を送りました。 「一度は身にはおってくださいよ」と冗談交じりにいいましたが、実はここにも仕掛けをしておきました。言われたからにはどんなもんだろうと中身を取り出すと封筒が落ちるようにしていました。その封筒の中に旅行券を3万円分づつそれぞれの袋に入れておきました。 後で気づいてくれて嫂の両親も私の両親もすごい喜んでくれました。 今でも会うたびによかったよかったと言ってくれるのが非常にありがたいです。 今年はその4人に古希のお祝いをしました。 10年間の間に色々あって、嫂の母親が脳梗塞で2002に倒れて片麻になり車椅子生活に。 私も2003に交通事故で身体障害者になりました。 心配して嫂の父親が母親を車椅子に乗せてまでして二人見舞いに来てくれたのはたまりませんでした。 母も今年自分の誕生日にひざ関節の手術をしました。自分の誕生日に態々そんなものぶつけてくるなんて、さすが関西人だなと半ばあきれてしまいました。今度は普通の懐石料理の店に連れて行き、そこで先にプレゼントを渡しました。「またおまえのことだからふざけたもんだろう」と父が言って封を開けると大人用紙パンツが中から出てきました。父は「確かに後、数年したら必要になりますね」と嫂に父親にぼそっといったので大爆笑になりました。母は「あんた、こないだの腰巻みたいにまたなんか隠してんねやろ?」といったので「御名答。今回は一人ひとり違えてあるからお楽しみに」といいました。嫂の御両親にはよく使うタクシー会社を前もってリサーチしていたのでその会社のタクシーチケット2年分を購入しておきました。有効期間2年で2万円まで使えるというチケットをそれぞれに。父母には商品券を2万円づつ渡しました。 還暦の時に比べて減額したのは私が病気療養のため休職しているからです。本当は全然金銭的に困ってませんが、前回の様な大盤振る舞いするとかえって気を使わせるといけないと思い、控えめにしました。 そのあと子供たちが3にんで詩を作ったからといってすえっこが詩を朗読して聞かせました。じつはこれも私が甥3人にお金のかからないプレゼントを考えておくようにと頼んでおきました。詩のアイデアと詩の文章は多分一番上の子が考えたのでしょう。祖父母がいなければ父母がいないそれだとぼくらはこの世にいない。だから祖父母はいつまでも元気で長生きしてほしいというような内容でした。母と嫂の母親がほとんど同時にはらはらと落涙したのをみて、真ん中の子が「ばーばとばっちゃんはやっぱり双子だよ。だって泣くタイミング一緒だもん」とぼそっといい、万座の笑いをかっさらっていきました。 とまあこんなところでしょうか。
お礼
お祝いをするときどうすれば楽しくなるか、お互いが気持ちよく心のやりとりができるのか、、それにはまず、やはり相手をよく知っているんですね。 関西人のノリの良さ、見習いたいです。 ウチは家族で爆笑することって昔はありましたが(幼少)、大人になった今は 考えてみると、あまりありません。 特別暗くもなく明るくもない、っていう感じです。 美味しいものが好きなので、食事のときはああだこうだ言いますが すべてが中庸というか「ほどほど」です。 無理なく楽しい事をしたいし、孝行したいって思うんですけど企画力がなくて…。 「かえって気を使わせるといけない」…すてきな心遣いだと思いました。 どうもありがとうございます。
- nandemoka
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小学生か中学生頃からですね。 節約する。 家の手伝いをして少しでも楽してもらう。 上記は、学校の先生(小学4年)の教育ですね。 トイレットペーパーでも、親が働いて買ってくれてるのですよ。 家計の負担を減らすことも立派な親孝行です。 あと心配をかけないとか。 良い子に育つと思います。
お礼
心配をかけない…ですね…。 私は心配とか迷惑をかけすぎたので、たぶん、兄弟のなかで一番わけのわからない、親不孝者だと思われていると思っています(私自身は)。 なので親と私の愛情が通じるか疑問に思ってしまっています。 私は大好きなんですけどね。でも行動にできてないので、難しいし悔しい…。 ありがとうございます。
妊娠したときからでしょう。 何かをしてあげるのは大切なことだと思いますが、あなたが幸せでいることが一番の親孝行だと思いますよ。
お礼
あ、妊娠した時って、自分(子ども)をですか? そうですね…。でも、まっとうに育てて来たつもりの子どもがわけわからなくなったら、 悲しくなりますよね。 なんか私の場合、孝行というか、感覚的には贖罪に近いことがわかってきました…^^; ありがとうございます。
- asebi-0806
- ベストアンサー率39% (1265/3233)
親孝行というつもりはなく二十歳で自立し台所を分けました。 親に送金まではその時はできませんでしたけど。 わけあって両親は熟年離婚しました。 父が土地家屋を売った資産を独り占めしてどこかに消えました。以来、縁切り状態です。 母はパートして自活していましたがそれも定年を迎えたので、自分の住む土地の近くにマンションを買って母を住まわせています。 マンションを買ったのは35歳の頃です。 70歳を越えた今も元気でいてくれる母と、昨年はじめて二人きりで旅行しました。 今年も予定してるんですが、なかなか忙しくて…。 でも母が元気でいてくれるうちにできるだけの事をしたいです。
お礼
お父さんすごいですね。 縁切りって……何があったのか。 そうなりますと、一緒にいること自体がやっぱり孝行になりますよね。 ありがとうございました。
お礼
ピンポイントなんですね。 ちなみに、どうしてですか?