源頼朝「みなもと(の)よりとも」
織田信長「おだのぶなが」
皆さん、一度はこの「の」が付く付かないに疑問を抱いた事はありませんか?
私もずっと気になっていて、数ヶ月前にようやく疑問がはれました!
(うろ覚えですので、間違っていたらすいません^^;)
~室町時代以前の貴族・武士の多くは「の」が付きます。
これは何故かというと、平安時代までは、まだ日本の人口が少なく、
「氏」を付ける貴族層の数も少ない事に由来します。
人の数が少ないので、「藤(原)氏」「源氏」「平氏」etc...の誰それさんで通る訳ですね。
(源さんのところの義経さん。といった感じです)
しかし、各地に武士が広がり、国人(豪族)が群雄割拠するようになった
室町時代以降では、「○○さんのところの○○さん」では通らなくなります。
また、各地で(自称含め)土地を氏にする武士が増えました。
(戦国時代に活躍する有名な武士はほぼこれに当たります)
収拾のつかなくなった氏の広がりに対し、
「の」を使う必要がなくなり現在の呼び方に変わりました。
ちなみに、足利尊氏「あしかがたかうじ」さん等は元は源氏なので、
源尊氏「みなもとのたかうじ」とも表せます。
織田氏は元は平氏なので、織田信長「おだのぶなが」さんは平信長「たいらののぶなが」ですね。
伊達政宗「だてまさむね」なら、藤原政宗「ふじわらのまさむね」です。
藤原氏は家格が高いので使えたかはわかりませんが・・・。
また時代でも「の」の使い方を大きく分ける事が出来ます。
平安時代では木曾義仲「きそのよしなか」のように「の」を使用していた木曾氏ですが、
室町期では木曾義在「きそよしあり」のように「の」を使用していません。
木曾氏は義仲が源氏から改姓して出来た氏です。
改姓したのは平安時代なので、「の」を使う文化が残っていたのだと思います。
・・・稚拙な知識のひけらかし失礼しました^^;
「の」が当時から使われていたのか等、知らない事が多いので間違ってる可能性・・・大です(苦笑)
皆さんが氏に興味を持って頂ければ幸いです^^