幼児期に発端すると仮定した場合・・・。
概ねが幼児期に経験する全能感を、解消出来ぬまま成長してしまった結果、アダルトチルドレンの一部に見られる「完全主義」的な傾向が発現していると考えられますね。
即ち、完全主義的に「〇〇でなければならない」と言う固執が強く、成長後にも全能感があるので、実際に「出来る」と錯覚し、「駆られる」と言う衝動にまで至るんでしょう。
義憤の場合、「〇〇」は「道義的・道徳的であらねばならない」となりますが、これも幼少期に発端したと言う前提であれば、幼児期の道義・道徳が形而上学的なモノであろうハズも無く、せいぜい勧善懲悪的なレベルでしょう。
想像される生育環境としては、鬱屈経験などと言う様な心因性のものでは無く、むしろ「常に〇〇クンが正しい」的に、かなり過保護的か甘やかされた環境と考えます。
むしろ幼少期に、適度な鬱屈感などを感じなかったため、忍耐・我慢や、論理的解決方法を経験・習得しなかった故、生育して独善的で径行直情的な性向に至ったと考えた方が、自然でしょう。
尚、「義憤を感じる」までは性格ですが、それに「駆られる」となると行動や衝動の傾向ですから、「性向」です。
一般的には「キレやすい」「カッとなりやすい」など言われる性向と同種で、「義憤」と言うのはあくまで主観的なモノ(個人の価値観)ですから、余り関係は有りません。
お礼
なーるほど 「義憤」と「駆られる」を分けて考えるのですか 参考になりました ありがとうございます