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自分にとって不幸なこと

自分にとって不幸なこと 私の祖父は4年前インフルエンザにかかり亡くなりました。85歳でした。 翌年には、父が肺ガンで亡くなりました。56歳でした。 私は、二人とも、もっと長生きするものだと思い込んでいた分亡くなったショックは大きかったです。 皆さんの想定外の不幸の出来事を教えて下さい。

みんなの回答

回答No.4

7年前に交通事故に遭ってしまい いらい、体は片輪にされ頭もおかしくなったことですね。 この平成15年はほんとに厄年中の厄年でした。 前年の平成14年からおかしかったのですが 不景気なご時世だったのでダブルワークしていましが まず平成14年の春ごろから バイト先の警備会社の資金繰りが悪くなり 給料の遅配が始まりました。 同年夏には本業の介護施設の理事長が勝手に入居者の 通帳から金をカパカパつまんでいた事が発覚して 役所からの入金が停止しました。 当然給与の支払いが止まりました。 同年秋にはバイト先の警備会社が局面打開のため 異業種に参入するため多額の資金を出血し その金をブローカーに一任してしまったので 給与の遅配だけでなく減額が開始されました。 同年冬には異業種参入にかんでいたブローカーは 首の回らなくなった企業を狙って仕掛けてくる 詐欺集団であることが判明し、投下した資金は 持ち逃げされ、詐欺師の在日支那系米人は行方不明に 当然給与の支払いは停止しました。 そして運命の15年を迎えます。 15年正月3日。まだ松の内というのに警備会社が召集。 15年1月20日を以て自己破産申請し会社が倒産。 解散することが発表されました。 未払賃金立替制度を破産管財人がすべて処理してくれたので 交通事故後の8月末に入金を受けることが出来ました。 このタイミングでの入金は非常に助かりました。 15年1月15日から紹介された別の警備会社へ移籍。 このときふたつの警備会社にふりわけられました。 ひとつはわたしの移った50人規模の小さな警備会社。 もうひとつは300人以上の警備員のいる警備会社でした。 私のいった警備会社は現在も存在してますが もうひとつの警備会社は汚職事件をおこして倒産。 その警備会社が分社化していた子会社が本体を吸収 する形で細々とやっているようですが 移籍した大半の仲間は倒産と同時に失職したようです。 15年4月 本業の介護施設が廃業。 理事長の使い込みに頭にきた役所は入所者度外視で 廃業にまで追い込まれました。 入所者は雲散霧消しどうなったか不明です。 給与は未払いのまま。しかも警備会社の時と違い、 雇用保険も未加入だった事が判明。 そのため未払賃金立替制度も使えませんでした。 入居者と職員を地獄に追い込んだ張本人は私が 事故後のリハビリにいそしんでいた平成16年頃に 脳梗塞で倒れて痴呆になり、平成17年に再発作に より死んだそうです。 15年7月20日 高速道路で荷崩れを起こして加害事故。 保険会社に一任していましたが、 相手とはすでに示談成立しています。 それどころか私が交通事故に遭ったことを 保険会社から聞くとわざわざ見舞いに来てくれました。 15年7月21日~31日 食中毒を起こし下痢で入院。 15年8月3日 子供の飛び出しをかわすため自損事故起こす。 県道で交通量の多い道路で駅前の大きな交差点付近でした。 私の進行方向から見て右側が急な上り坂になっていたのですが その上り坂を2歳か3歳程度も子供がはしっておりてきました。 自分で自分の勢いが止められず、 そのまま交差点へ侵入してきました。 気付くのが早かったために回避行動を取れましたが 普通にブレーキかけても間に合いませんので  わざとバイクを思い切りばバンクさせて転倒させ バイクを道路端にあるガードレールの軸にぶつけ 絡ませることで回避に成功しました。 子供の母親は私のもとに駆け寄り 「あなたがスピード出して走るもんだから うちの子がころされそうになったじゃない 責任取りなさいよ。責任を!!」 と私のとっさの行動に感謝せずにとんだいいがかりを つけてきました。 おおきな交差点なので目撃者の人が多数いて 母親の身勝手な振る舞いに私の代わりに 怒ってくれて 「あんたの子供が飛び出してきたのに 早くに気付いたこの人がわざとバイクを潰してまで あんたの子供の事をかばったんだ。 状況を見もしないで偉そうな口たたくな」 といってくれたのが救いでした。 15年8月6日午後8時50分 交通事故で被害に遭う。 頭部打撲により高次脳機能障害をおこし 記憶、遂行、集中、注意。空間認知。行動認知、適量配分 満腹中枢、感情に障害がおこり今もそれに苦しんでいます。 右側面に相手車両が突っ込んできたため右足の股関節を 人工関節に置換。足首とくるぶしも骨折。 くるぶしの骨折の影響でアクセル操作出来なくなり 乗用車の運転はやめました。 とまあこんな感じです。 憂さ晴らしに長々書いてしまいました。 お付き合い頂き感謝します。

  • heiwa2
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回答No.3

おかしな動機で、突っ走ってしまったこと。  その結果、母は、病気になってしまいました。 そして、ついに、67歳で他界致しました。  家族も、崩壊したままです。 (弟も、普段から革靴なんか履くダメ人間になってしまいまいました)  ただ、それ以来、「逆転の発想(囚われない・こだわらない、など)」が、できるようになりました。  そうしますと、自分にとって不幸なことは、サラリーマン化(組織の一員になること。正社員になってしまうこと)のような気がします。  『人に使われることほど、不幸なことはない』と。  

  • Oruko000
  • ベストアンサー率31% (335/1079)
回答No.2

やはり私も突然の身内の死が一番ショックでした。 父が49歳で死に、その1ヶ月後に祖父が64歳で亡くなりました。 それが私の厄年の時だったので、私のせいかもしれないと強く思いました。 そして数年前妹が内臓破裂で死にかけ、あと5分遅かったら死んでいたと医師に説明をうけました。 血の気が引いた妹の顔を見て、病室を出た瞬間ただただ泣けました。

noname#142327
noname#142327
回答No.1

去年離婚したことかな。 離婚なんて、対岸の火事程度に思っていて、まさか自分が離婚するとは 夢にも思っていなかったので。 浮気してるとか、ギャンブル、DVなど離婚を突きつけられることをしてれば 仕方が無いかもしれないが、全く予想もしてなかった所に、 『離婚して下さい』と言われたのが最大の不幸です。

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