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高校時代の悔いとは?
- 高校時代には失望と孤独がありましたが、一目ぼれした異性に対する憧れだけは輝いていました。
- 最近、高校時代を思い返すことがよくあります。希望に満ちた高校生活を夢見ていましたが現実は違い、友人もいなくて孤独でした。
- 彼女の住所地に初めて行ってみましたが、彼女との再会は果たせませんでした。当時の彼女にお会いして青春時代を楽しく過ごしたかったと思います。
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高校時代に残してきた最大の悔い…ですか。 それは自分の高校選びが間違っていたこと、そのものです。 私も思い描いていたのと全く違う高校に入学してしまい、いわゆる灰色の3年間を送りました。 しかも遠距離通学、学費の高い私立。 経済事情は決して良くなかったのに無理して私立に行かせてくれた親には申し訳ない気持ちでいっぱい。 生徒の自主性いっさい無視。今なら考えられないけど女子高のくせに体罰も日常でした。 なんでもっとちゃんと高校を選ばなかったんだろう、と。 それが最大の悔いですね。 母は寝る間も惜しんで働いて私の弁当を作ってくれた3年間でした。 なのにちっとも充実した高校生活を送れなくて、しかも希望する進路には不利だったという結果になって。 不毛の3年間を過ごすために親に苦労させたのかと、いつもそれを悔いています。 学校生活に失望した私は一時は不良の真似ごともしました。 外泊、喫煙、飲酒、等。当然ながら成績も相当落としました。 入学後は上位だった成績は2年時には赤点続出。 あの時の母の心配を思うと、本当に申し訳なかったと思います。 なんのために苦労してあの学校に通わせてるのかと思ったことでしょう。 親の心、子知らずとは言うけれど、30年経った今もそれが申し訳なくて。 でも同じ思いを抱える友達はいました。 「なんであんな高校に行っちゃったんだろうね」と30年経った今も会えば愚痴っています。 同じつらさを共有できた友達がいた事は救いになっています。 一緒にバカやった友達とも今でも細く長く付き合いが続いています。 バカやってても学校にはちゃんと行ったし卒業もした。 せめてそこはちゃんとしないと、母に申し訳ないという思いはあったんです。 そこだけはできて良かったです。 できれば公立の部活動などが活発な高校に行きたかったなあ、と思います。 生徒が皆、死んだ目をしてない高校に行きたかった。 戻れるならそうするでしょう。そしたら人生少し違ってただろうなあ、と。 でも、今の生活、人生も捨てたものじゃありません。 今、私は幸せだと胸を張って言えるから。 今さらやり直したいという思いはありません。 それに、私の経験、教訓を生かして、娘が今とても充実した高校生活を送っています。 娘の高校選びを真剣にやりました。本人が納得して行ける高校をとことん探しました。 理想の高校に入れました。私の行きたかった高校はこういうところだという高校です。 娘にとっても同じだったようです。やりたい事を思い切りやって、毎日が楽しそうで輝いています。 だから苦労は報われました。母にも少しは恩に報いることができたと思います。 ちなみに、娘の同級生で私の母校に行った子がいます。 時代が違うから良くなったのかな?と話を聞いてみましたが、相変わらず閉鎖的で最悪な校風は変わってないようです。 もちろんずいぶん改善はされたようだけど、その子は私と同じ思いを抱えて通っているようです。 受験前に相談してくれたら全力で引き止めたのになあ、と思います。 卒業生に後々までそう言われる学校が未だ存続しているのが不思議です。
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- e-toshi54
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県立の進学校に行ってました。 まあ多くの人が思うことでしょうが、「もっと勉強すればよかったなぁ」ということです。先生方も熱心、生徒も優秀、環境もOK。その中で力いっぱい勉強し、東大へ入れればよかったなぁと思っています。たったそれだけのことで自分の人生は大きく変わっていただろうと思います。たった3年間が、後の人生に大きく&大きく影響するということをその頃は認識していませんでした。認識できなかったということも、自分の実力の範囲とは思いますが。 高校生活そのものは、進学校の生徒としては、サークル活動、男女交際など、楽しく過ごしました。 次善ですが、私立の有名大学には合格しました。その後、そこそこの人生を送って来ていますが、その間、本人の実力に関係なく、その大学の名前の恩恵に浴したことは間違いありません。つまりそれが「東大」だったら余計有利だったろうなということです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 私が通っていた高校は、県立トップの高校なぞではありませんが、それでも一応進学校でした。 入学当初から国公立大学は希望してなくて、ろくに勉強する気もないくせに、そこそこの有名私立大学ぐらいは進学できるだろうなどという甘い見込みを立てていました。(結局、中堅私立大に入る) 高校生活では男女交際や部活などで当時流行りの青春ドラマのような楽しい学園生活を夢みていたのでした。 ところがどうしたことか入学当初から周囲の人間関係に馴染めず、まず友達ができません。中学生時代は優秀な部類だったはずの成績も、優等生ばかりの中では下位に停滞したままで、部活に入る勇気も失くしてしまいノッケから夢は挫かれたのでした。 今から考えれば、私は井の中の蛙で、ぬくぬくと育ってきた田舎の少年であり、ぬるい気持ちのまま競争のはげしい進学校の中に入り込んでしまったことによるカルチャーショックを感じていたということでありますが、当時は周囲の人間の人間性が悪いからだと勝手に決めつけていたのです。 そうです。私は田舎の比較的裕福な家庭で育った、ボンクラ長男です。 少しばかり勉強ができて女の子にも人気があったという経験から天狗になっていたところに、はじめてきびしい現実を突きつけられて、その現実を真正面から受け止められないで悩んでいたんです。 そしてそんな私は今、時々高校時代の自分という少年に語りかけながら平凡な暮らしをしているボンクラな夫です。
お礼
ご回答ありがとうございました。 回答者さんの高校時代は相当に荒れていたご様子ですね。 そう言えば当時ツッパリと言って、だぼだぼのズボン、ペッタンコの鞄、どうやって固めるのか目いっぱいのリーゼント、足首も見えないくらいに長い裾のスカートで闊歩する、見るからに不良っぽい人たちがいましたが、もしかしたら回答者さんもそんな感じで・・・とか想像してしまいました。 私は当時から内向的で、エネルギーが内へと向かう方でしたので、現代で言うところの「普段は大人しいけど切れたら何をするか分からない。」というタイプだったと思います。事実、本当に爆発しそうな時がありましたから。そういう意味では私も内面的には荒廃していたのです。 ところで回答者さんには娘さんがいるんですね。私にも高2と中1の息子がいます。30年以上前と今を単純に比較はできませんが、高2の息子は勉学に部活に励んでいるようで、荒廃している様子は全くありません。自分の高校時代とは月とスッポンのようです。親の私たちが高校時代に荒れていたというその経験をもとにして自分の子供と接することができれば案外、思春期の子を上手に育てられるというものなのかもしれないなあ・・・とか考えています。そういう意味では苦しかった自分の思春期も無駄ではなかったと嬉しくなります。 しかしひどい高校もあるのですね。校風も回答者さんと合わなかったんでしょうね。 私の場合は公立でした。校風が嫌というものではなく、きっと自分自身に多くの内面的な問題を抱えていたのだと思います。とにかく何をしたら楽しくなるのか分かりませんでした。自分を見失い自分に自信がなく、将来が不安で未熟なくせにプライドを捨てることもできずにいました。そんな自分だったから当然、憧れの人に声もかけることができませんでした。プライドを捨ててまっすぐ正直に生きる勇気がなかったのです。今やっと15歳の少年だった未熟すぎた自分に語りかけることができるようになりつつあります。