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西洋(キリスト教?)での道徳教育の基本となるものとして「人をジャッジす
西洋(キリスト教?)での道徳教育の基本となるものとして「人をジャッジするものではない」 というのがあるかと思うのですが、この場合の「ジャッジ」という言葉にあたる日本語は何が ふさわしいでしょうか? 小・中学校の時間割には道徳の時間という物がありながら結局は同和教育、それも教育というより そういう地域があってそこの人達を差別してはいけないなんて事を言われてきた記憶しかない時代 の者として、「人をジャッジするものではない」という処から何か広げていくことができないかと 考えております。 「ジャッジ」の日本語訳だけでなく、色々なお考え等お待ちしております。
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回答No.2
道徳教育やその考えの理由を、特定の宗教に特有の理論に求めるのは問題かと思います。 >この場合の「ジャッジ」という言葉にあたる日本語は何がふさわしいでしょうか? 回答:単純に「裁く」だと思います。 >「人をジャッジするものではない」 文中で「あるかと思う」といっていますが、それでは根拠にならず、個人の思い込みの域を出ません。 私も、大昔の口の上手い無職の大工の息子が、そんな意味のことを言っていたような気はします。 しかし、質問者様が、この文を「西洋(キリスト教?)での道徳教育の基本となるもの」としている以上、それに関する出展・資料があり、その中に「ジャッジ」という単語が使われていなければなりません。 >「人をジャッジするものではない」という処から何か広げていくことができないかと考えております。 差別=他者が当人の身分を決定すること=無意識下での裁き という解釈も出来ないことはないと思いますが、かなり遠回りの論理展開が必要だと思うので、他の論理を使ったほうがよいと思います。
お礼
早速のご回答ありがとうございました、6145444様のお答えの内容を完全に理解できているか 自信がありませんがお礼と補足を兼ねて書かせていただきます。 私事ですが、20代の前半から30代の後半までの10数年間アメリカで生活しておりまして、 その頃の数々の経験が今回の質問の発端になっている次第であります。 アメリカという土地柄もありまして、これまたはっきりとした根拠や出展・資料がある訳ではない のですが、「西洋(キリスト教?)での道徳教育の基本となるもの」という書き方をしてしまった 訳でして、あちらでの道徳教育には建前上「特定の宗教に特有の理論」を使ってはいないとしながら やはりキリスト教の理念が影響していると感じたことが、あの様な書き方になってしまった理由です。 確かに「ジャッジ」の訳語として単純に「裁く」が結果としては一番近いのかもしれませんが、 私的には日常の会話(言動)では「裁く」というレベルまで人や物事を決めつけているのか? しかしながら「決めつける」という言葉も今ひとつニュアンス的に合っていない気がして… 「差別」を無意識下での「裁き」というほど直結するつもりは私もありませんが、この辺りにも 日本人同士と西洋人同士での友人間でのつき合い方の違いが見られる気がしております。 とりとめのない文章の羅列で上手く説明もできず、また根拠となる出展や資料を示すこともできず 本当に申し訳ありません、こんな質問にご回答いただき本当にありがとうございました。