- ベストアンサー
深い人間関係を避ける考え方は間違っているのか?
- 人と深くなって嫌なところが見えてくるのは当然ですが、それを認め合い、良いところを見つけていくのが人間関係だと思います。
- しかし、その人は邪険に扱ってしまうと言います。この考え方は問題があるのではないでしょうか。
- 深い人間関係を避けると、いつまでも孤独になります。その人と接していくためには、相手の嫌なところを受け入れ、良いところを見つけることが大切です。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
人間の考えに、間違っているも正しいもないんです。 人生経験を経て、「こういう考え方で居るとこういうことで困ったことが起こる」って言う経験を経たからこそ、 あなたは今の考えに至ったのでしょう? その方もそういう経験を経るはずなのです。 でも今はまだ経ていないからこそ、そのような考え方で居るだけ。 何か啓発される機会があれば、考え方が変わるかもしれないし、変わらないかもしれません。 「その人は、今はそういう人。」 それが事実で、それ以上でもそれ以下でもありません。 あなたがその人に対して何かしてあげたいと思うならすればよいし、 そのような考え方の人とは付き合えないと思うのなら、付き合わなければ良いです。 でもその人は、もう矛盾してしまっているのだよね。 人と深い関係になりたくないと言っているのに、あなたとは深い関係になっているんだからね。 あなたはその人にとって、鍵になる人間でありうると思うよ。 人間は数々の鍵になる人間とであって、自分の扉を開いていくんです。 そのきっかけになれたら、それはそれで素晴らしいことだと思いますけどね。個人的には。
その他の回答 (4)
>「人と深くなると、相手の嫌なところばかり見えてくる。自分はその嫌な部分が見えてくると、その人のことを邪険に扱ってしまう。だから、自分は人と深くなりたくない」 関係が深くなってくれば、誰しも相手の長所だけでなく短所も見えてきますよね。 その人は、その短所が見えてきた時に邪険に扱ってしまう自分が嫌で、人と深くなることが怖いからなりたくないって思ってしまうっていう意味で言ったのでは??文章だけ見ても、言葉で言われても私は普通にそう読み取れるんじゃないかって思うんですが; 言葉の文字そのまま鵜呑みにするんじゃなくて、人間関係において、相手の言わんとするニュアンスを受け取ることって大事だと思います。 間違っている、間違っていないの問題でしょうか・・・ね? 相手の嫌なところを認め合い、かつ良いところを見て付き合うことが大事なことくらいその人も分かってると思いますよ?だから邪険に扱ってしまう自分と、それゆえに深くなることを避ける自分に悩んでるんじゃないんでしょうか? 私だったら、そんな人に言いにくいことを自分にうちあけてくれたその人の素直な気持ちが嬉しいという思いが先にきますけどね。頭では分かっていてもできなくて、そういう弱いものって誰にでもあるでしょ?気付いてなくて、いつも人間関係うまくいかないって悩んでる人もいるんだろうし。 もう少し寛容になってあげてもいいのでは・・と思います。
こんばんわ まず、質問させてください。 不特定多数の人と程よく仲良くなるのが好きな はずだった質問者さんが、人とのかかわり方 という深い部分で特定の人(その人のこと)と 強く関わろうとしている自分をどう思われますか。 質問者さんの心の中に変化があったのでしょうか。 それから、その人との接し方ですが、 その人にはその人なりの考え方があるようですから 基本、考え方に干渉しすぎないほうがいいと思います。 間違っている、間違っていないの問題ではなく、 思想の自由といったところでしょうか。 その人から意見を求められた時に応えてあげればいい と思います。 考えの深い部分で干渉しすぎると、その人にとって、 相手(質問者さん)の嫌なところと映りますから。
- hikarucou
- ベストアンサー率28% (268/954)
あなたがちょっと矛盾してるんじゃないかな? だってあなたは特定の人とより、不特定多数の人たちと付き合う方が好きなんでしょう? だったら彼ともそのスタンスで浅く広くの一人としてつきあえばいいのでは? 彼は最初からそういう人でしょう(邪険に扱うっていうのは知らなかったとしても)? でもあなたはきっと彼をどれほどかはわかりませんが好きになったから、不特定多数ではなく特定の人間としてつきあいたくなったから、そうじゃない彼の言葉に傷ついたんです。 彼はそういう人。 人それぞれ考え方があるので、間違ってはいないです。 彼があなたをも邪険に扱うというのなら、離れたその他大勢の一人として、おつきあいするしかないです。
- cowstep
- ベストアンサー率36% (756/2081)
「親しい仲にも礼儀あり」というのは、文字通りの意味もありますが、親しくなるのも程ほどにして、節度をもって付き合いなさいという意味もあります。あばたもえくぼの逆で、えくぼもあばたに見えるようになったらおしまいだと、あなたの友達は鋭いことを述べているのです。物分りの良い人だと察します。