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悩む介護者の悲痛な叫び
- 母を亡くして半年、介護生活に追われた焦りが抜けず
- 介護に尽力したが、時間の経過とともに空虚感が募る
- 将来の不安や地元での限られた生活に悩む中年介護者
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自分の人生ってなんなのだろう?・・・って気のぬけたような感慨にふけってしまう事って誰でもありますよね。 人生の谷間みたいなもんでしょうか。 前向きに、とは思うものの先が明るく見えない感じもしますね。 私にもそんな時がありました。 幸いにも夢を一つだけ持っていた事で助かりました。 逆に見れば、その夢に向かって生きていくしかなかったようにも思います。 (仕事という夢でしたが) 結果的には、半ば成功したような状況ですが それでも、これでよかったのだろうかと振り返ってしまう事もしばしばあります。 結局、完全に納得できる生き方なんてないのかもしれませんね。 確かなのは、夢に向かって生きている時が幸せだという事です。 夢が無い事ほど辛いことはない気もします。 夢を見つけてください。 年は関係ないと思います。 自分だけの夢が一つぐらいはあるんじゃないでしょうか。 悪い事でなければ、人目を振り切って進んでください。 人に尽くすのも大切ですが、ご自分の夢を叶えるのも大切です。 思いきって踏み出せば、新しい世界が見えてきます。 頑張ってください。
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- dokidoki777
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焦るお気持ちは痛いほど伝わってきます。 あなたはほんとうに両親思いのお優しい方ですね。 今まで、そして今もお父様のためにがんばっていらっしゃる。 とくに、都会と違って田舎では、様々な風習とか慣習が脈々と 残っており、傍からでは理解不可能な見えないプレッシャーなどが あることと思います・・・。 毎日が大変だとは思いますが、なんとか気分転換して自分を大切に して生きていくしかないですね。 自分も本当に様々な悩みがありましたが、ふと手にした一冊の 自己啓発本を読み、気持ちが楽になったことがありましたよ。 肩におもいっきり力を入れて生きた時もありました、でも やはりそんな状態だと長続きできないですね。 肩の力を抜いて楽な気持ちになって暮らしたいものです。 あまりいい答えができず、ごめんなさい。 近々にいい方が現れることを願っております!
お礼
ご意見ありがとう御座います。 >・・・でもやはりそんな状態だと長続きできないですね。 肩の力を抜いて楽な気持ちになって暮らしたいものです。 確かにそのとおりですね。だからといって余り“マッタリ”しすぎてもこれもまた気持ちに張りを無くしてしまいそうで怖い気がするし、なかなか難しいですね・・・。 過ぎ去ってしまった『時間』はもうどうにもならないのですからこれからのことを考えて生きていくしかないですよね。 父の生存中は動きは取れません。人生を真っ当し、母の傍に行くまでは気が抜けません。 すべての儀式が終え、せめて一周忌が済むまでは自分なりに準備をしておきたいとしています。 しかし、まだまだ先になりそうです。父は元気で今のところどこも(身体)悪いところはないですし食事もお粥ではなく普通にご飯を食べていますし年齢なりの衰えはあるもののそのほかは健康そのものです。 元気でいつまでも長生きしてほしいと思う反面、私の人生は(?)どこ・・・。 という“焦り”です。ことばでは言い表せない想いです・・・。 しかし、これも私に試練として神様があえて下さったものとしか考え様がないですね・・・。 そう受け止めて頑張るしかないです。 人生最後のひとときでも“幸せだわ。”って感じられたらそれはそれで幸せというものだと思います。 これが現在の心境です・・・。 ありがとうございました。
- happeanuts
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>家と施設との行き来… あなた自身の家庭は? あなたの生活に必要な収入源は? 家庭や経済的負担を担う必要がないなら、まだまだ余裕です。 何もしない日…があるなんて、すごく贅沢なことですけどね。 差し当たって立派な目標を見つけられなくても、いつもの毎日ではない日をすごすことで、気晴らしになります。 たまにはいつもよりオシャレして街に繰り出し、美味しいもの食べたり、ゆったりお茶飲んだり、美術館行ったり、大型本屋に立ち寄ったりする… ある程度の年齢なら、お出かけの時にそこそこちゃんとした格好していれば、どんな場所でひとりで過ごしていても格好つきます。 日常とは違うことから何か発見するかも知れません。自由になる時間とお金がちょっとあって、後は行動するだけで良いんです。 意外と街行く人達も、それ程オモシロ可笑しく過ごしてないかも知れませんし… 親との関わり方は、人それぞれ、どのような関わり方をしても良いと思います。 しかし、息を抜く時間を自身にプレゼントしてあげてください。
お礼
ご意見ありがとう御座います。 >何もしない日…があるなんて、すごく贅沢なことですけどね。 何もしない日というのは、たまたま、お見舞いに行かなかった日という事です。 掃除、洗濯、神仏のお水替えやらのetc・・・。毎日やることはたくさんあります。 施設は片道45分ほどで、毎日行くわけではないので・・・そういう意味です。 >意外と街行く人達も、それ程オモシロ可笑しく過ごしてないかも知れませんし… 確かにそう思います。いつものかわらない毎日の中から少しでも楽しみを探し、求めて楽しんでいるのではと感じます。 >親との関わり方は、人それぞれ、どのような関わり方をしても良いと思います。 確かにそのとおりですよね。自分でこうしてあげたいと思ったことをして挙げればそれでいいのではと思います。 相手は何しろ高齢者です。自分で出来ることは限られています。自分の娘が面倒を看てくれるなんて何と幸せだろうと心の中では決して悪い気はしないと思っているにちがいないと・・・。 現在、寝たきりとか、食事も介助といった状態ではないので父はもっともっと長生きをしそうです。 それはそれで“神様”から頂いた命なのでまっとうしてほしいと思っています。 これからも出来る限りの事はして挙げたいと思っています。 ありがとうございました。
- jyukkasapp
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私の個人的な感想。 親を重視しすぎ。 あるいは、自分のこころを軽視しすぎ。 重視しすぎは良くない。軽視しすぎも良くない。 ほどほどがいちばんいい。
お礼
ご意見ありがとう御座います。 確かにある意味そう取られがちですよね。 しかし、実姉も義理姉も見舞いに行くような人ではなく、誰かが一人看ていたらそれでいい・・・。 といった自分尊重型。母の時も2人とも見舞いには殆どこなかった・・・。 >自分のこころを軽視しすぎ。 これに対しては、“絶対にそれは無い”とは言い切れない思いはありますね。 『軽視』というよりは“人情”が入り過ぎるのかも知れないですね。 しかし、これも個性ですからどうしょうも有りません。 >ほどほどがいちばんいい。 この言葉は何事にでも言えることですよね。 確かにそのとおりだと思います。強すぎても、弱すぎても、暑すぎても、寒すぎても、凝り性でも、またその逆でも・・・。 ぬるま湯に漬かっている様な感じはどうも性に合わないのですが、今の私には必要かも知れません。 ありがとう御座いました。
- o-chan10mikan
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私も2年半前に父が亡くなり、母親と祖母との3人暮らしです。 祖母は介護が必要な状態なので家と介護施設でショートステイの半々の生活です。 幸い母は元気ですが元々、父に頼った生活をしていたので父の死後、事あるごとに頼られ負担に思うことがあります。 私自身、アラフォーと言われる世代で配偶者もいないので自分自身の将来も考えなくてはと思う日々です。確かに友人の多くは家族中心の生活で20代の頃の様にアクティブに行動するというのは難しいですね。 質問の回答にはなりませんがiris-comeさんもお父さんのお世話が大変だと思いますが無理せず、ご自身の幸せも見つけてください。私もがんばります。
お礼
ご意見ありがとう御座います。 お母様は在宅介護とショートスティなんですね。 体験者として言わせていただくのですが、お年寄りの介護ほど気を使い、体力を使い、なかなか出来ることではないですよね。 飲み物にしても冷たくてもダメ、熱くてもダメ。堅くてもダメ、だからといって全部柔らかくてもダメ・・・。 こうした思いをよくしたものでした。 >私自身、アラフォーと言われる世代で配偶者もいないので自分自身の将来も考えなくてはと思う日々です。 私から見たら“アラフォー”なんてまだまだこれからですよ。 自分自身ここまでやれたことは“独身”だったからだと思います。 元はと言えば母から懇願されて実家に戻ってきたわけですが、もし家族持ちだったら無理だったと思います。断わざるを得なかったかもしれません。 幸か不幸か身軽だったことでこうした経緯になってしまいましたが、母をとおして社会勉強が出来たと受け止めています。貴重な体験をさせてもらいました。 >お父さんのお世話が大変だと思いますが無理せず、ご自身の幸せも見つけてください。私もがんばります。 ありがう御座います。とても励みになります。確かに自分の幸せも大事ですよね。 歳は関係ない、なんてよく聞きますが、ある程度の年齢に達するとそんな悠長なことを言ってられません。40代なんて一番女ざかりではないですか・・・私とはえらい違いです。もう先が見えています、私の場合は・・・しかし人生後半、ボケるまでは幸せでありたいと努力をしたいと思います。 ありがとうございました。
どうも。 ふと思ったのですが、本当に時間がないのでしょうか?僕が質問内容を見るに、空虚感を深く味わっている時間が無駄な気がします。貴方のお父さんのお見舞いも、お父さん自身の体調が急変したりしない限り、別にお見舞いに行かなくても良いかと思います。 また、マイナス思考になると、人間は視野が狭くなり、目標を立てづらくなると思うのです。だから、今の全てをしっかりと受け入れて、プラス思考に考えるべきだと思います。 田舎だから、年を取ってきたからと言う理由で、貴方がやりたい事を見つけれる可能性を自分で消してしまっているのではないでしょうか?世界は広いのです。自分で可能性を閉ざしてはいけませんよ。 ある脳科学者は、プラス思考でいると、精神年齢を若くすることが出来るそうです。歳をとって何もする気が起こらなくなる原因のほとんどは、マイナスに考えることによる、精神年齢の老化だそうです。だから、今からでも遅くない、マイナス思考な考え方は止めた方が良いです。
お礼
お励ましの言葉有難う御座います。 >僕が質問内容を見るに、空虚感を深く味わっている時間が無駄な気がします。 確かにおっしゃるとおりだと思います。これはその人の性格によって様々で、『スイッチ』の切り替えの上手い人、そうでない人といるんですよ。 >・・・別にお見舞いに行かなくても良いかと思います。 父は高齢の割りにはボケては居ません。やはり家族が来てくれることを心待ちにしているようです。 なんと言っても家族が一番なんですよ。 寝たきりで誰だかの識別も出来ないようならまた違ってきますが・・・施設の入所者の方には患い様はそれぞれですが、不謹慎かもしれませんが、もうある程度歳をとって施設生活を送るようになったらボケたほうが苦悩せずに良いかも知れません。 そうでなければ、うちの家族は見舞いにも来てくれない。なんと冷たいものかと・・・いう事にもなりかねません。 たとえ、家の事情を判っていても、家族や親戚などが来て、ドライブや、たったの一泊でもさせてくれるひとがいない限り、365日外の空気も吸うこと無くその場に居ざるを得ないという事です。 悲壮感が漂っていますよ・・・。 長生きも良いけれど、平均年齢女性の場合は87歳か88歳くらいだったと思いますが、その歳までピンピンしていられる人など稀で大体が病院が施設ではないかと思われます。 ・・・あまりにも長く病院、施設と漬かっていたせいか本来の自分に戻すには時間が掛かりそうです。 これからは時間の使い方を工夫しないといけないですね。 ありがとうございました。
私は既に両親とも鬼籍に入っています。 母は癌で入院中は、東京暮らしの私と弟は週末は勿論、平日でも早く仕事が終われば車を飛ばして帰郷し見舞っていました。 ただ、私には(弟にも)、幸いにも?『何だか“燃え尽き症候群”の様で半分“気”が抜けた感があります』という“余裕?”はありませんでした。ちょうど仕事が進みだして“手が抜けない”状況だったです。 人によっては『人倫に悖る』と言われそうですが、敢えて言わせて頂けば『親なんか捨てなさい!』 親には子供の人生を狂わせる権利なんてありませんし、子供に自分の人生を狂わせてまで“親孝行?”をして貰いたいなんて思っていません。 私がそばにいればそもそも『田舎がイヤで出て行ったのに介護のために戻って』を止めていたでしょう。 このサイトでも30代、40代?にもなって、『親の死を乗り越えられない』なんて情けない(家の娘は15歳で母親を癌で亡くしています)親不孝を見かけますし、貴女が『親がいなけりゃ生きてはいけない』って方なら“何をか言わんや”ですが、そうでないご様子ですので、ご自分のことを第一にお考えください。 お幾つかわかりませんが、まだ私からすれば“お若い”のですから、『父を看取り、お葬式、納骨(母と共に)』なんて後回しです。やれる時にやれば良し!『父は施設生活』を幸い?に、ご自分のやりたいようにやってみることです。親ってものは、娘なら結婚して家庭を持ってくれて役目終了! 少なくとも自立して働いている娘を見て『俺は孤独で寂しい』なんて思っていたら“罰”があたるんです。私も一人娘の親として常々そう思っています。 『都会の生活が好きという事ではなく、むしろ今の歳では苦痛ですね。』ったって、私のマンションには40代で独身生活を謳歌?している女性もおられます。傍から見ると『この人にはヘタな旦那は要らんわな。』って感じですね。 これから仕事に追われ、恋愛して、といろいろあるでしょう。そんな時に親のことなど考えないことです。それが貴女のお母様が成仏し、お父様が安心して死を迎える道だと思ってください。
お礼
ご意見有難う御座います。 そうした“スパッ”とした割り切り方もありますよね。 しかし、その家庭により、みんな異なる様に、うちも例外に漏れず、長男(他界)はとにかく母に対して“言葉の暴力”が酷くて親に対して何と言う言葉遣いをするのかと悲しくなるくらい見下したものの言い方をしていました。傍にいる嫁が少しでも旦那を諫めるようならまだ救いはありますが、“ざまぁみろ、まったくだ。”といった顔をしていたことを子供ながらに覚えています。 長男もその嫁も同等で、それほど母を舐めておきながら、しっかり母の作った手料理を食べているとは・・・嫁はまず、台所に立つということは無かったですね・・・。 どんなに母は悔しかったことかと思うといまでも涙が溢れます。 嫁いびりはよく聞く話ですが、逆ですからね。・・・そんな嫁にお人好しの母は出来上がったものをお皿に乗せ、『これ持って行ってやって。』なんて言う・・・。 施設、病院と行ったり来たりの時も何一つ手伝う事は無く、お見舞いなんて来たためしは無い、そういうある意味“人の道に外れた者”と言っても過言ではないと思います。 結局、亡くなるまでお見舞いなんて来たためしは無かったですね。 実姉も近くに住んでいるのにめったに来ませんでした。だからこそ、私がしてやらねば、という気持ちにさせられたのかもしれません。 ダラダラと愚痴っぽくなって申し訳ありません。・・・両親の在宅介護から始まり母が亡くなるまでの10年間はいろんな勉強をさせて頂きました。みんな何かあったときにその人の本性が出ます。 そうした意味では大人にさせて頂きました。 母には感謝の一言です。 多分、母が亡くなりちょうど半年になります。そうしたブラックホールの様な場所に嵌っているのかもしれません。 有難うございました。
お礼
ご意見ありがとう御座います。 >結局、完全に納得できる生き方なんてないのかもしれませんね。 確かなのは、夢に向かって生きている時が幸せだという事です。 夢が無い事ほど辛いことはない気もします。 まったく仰るとおりです。 自分の目標を持ち、距離を縮めて行っているときが一番充実し幸せなのかもしれないですね。 私も夢は無いわけではないのです。 ただ、現在の状況では準備をしておくと言うことくらいは出来ますが行動に移すと言う事は到底無理ですね。 それをするという事は父を捨てるという事となり、極めて正常な精神の持ち主であれば断念し、母の時と同様に最後まで看取るとする方を選択すると思います。(自分なり、第三者の立場で。) 長生きも短命もすべて“神様”がお決めになられた事なので、良し悪しの問題ではないですよね。 善行を積めば必ずや光が差してくるのではとしたところです。 後、数年は無理かもしれませんが、やれることはやっておかないとと思っています。 ありがとう御座いました。