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納骨の考え方
- 納骨についてのご意見をお聞かせください。
- 20年前に亡くなった母について、同じお墓に納骨することに疑問を持っている方がいます。
- 母が父方のお墓に納骨されたことにより、悲しい思いやよくないと感じているのではないかと考えています。
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質問者が選んだベストアンサー
お亡くなりになった仏様は、生きている人間のようなしがらみも都合も無く、悲しんだり文句など言いません。 はっきり言って、生きている人間の都合だけです。 生きている人間が都合良いように好きにすればよいことなのです。 はっきりいって、生きている人間が、仏様が悲しんだり仲良くできないと考えることが一番不幸かも知れません。
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基本と言ったら良いのか、根本的と言ったら良いのか解りませんが、私くしの知っていることを書きますね、 結論的には、そのままで良いと思いますが・・・・ もともとから書きますと、お亡くなりになられた方の供養は塔婆供養が殆どでした、お金持ちとか偉いかたなどは石のお墓を建立されました。さらにとてもお金持ちの方はお寺を建立されました。 今のこの方法は、平安時代末期から始まったとされています。 もともと日本でも欧米同様、埋葬方法は遺体を焼かずに埋めていましたから(昭和40年代頃までこの風習がありました)ご遺体を埋めたところに塔婆を建てる方法でした。 (お骨にしないと現代の石造りのお墓に入りきりませんよね) 土に埋めたご遺体は約50年で土に帰ると言われています。 (この考え方が亡くなった方の供養が50年で終わることになっていますね) その後は『先祖代々』としてまとめて供養してゆくことになります。 さて、現代では夫婦墓が基本形となっています。 田舎の方では、先祖代々というお墓に亡くなった方々を次々に入れて行き、別に塔婆を建てて供養するという方法も行われていますが、 現代では核家族化と転勤などの移動・移住によりご先祖様と同じ場所に住んでいる人が激変していることもあり、この夫婦墓が基本となっています。 つまりは、この夫婦墓が50年経って先祖代々と同じ意味になって来ます、 今までは、先祖代々というお墓での供養方法と、回忌法要という個々の供養方法があったものが、 ひとつのもので(一つのお墓で)供養を行って行くように現代では変化して来ました。 そこで、不仲だった父と母の供養を一つのお墓でするとどうなるか? ですが 他の方も書かれていますように、 この50年という供養期間に理由があるように思います。 仏教用語で<現世離脱>という言葉があります。 人は死ぬことにより、現世から離れることとなります、これは、生きていて感じる、喜びや悲しみ・痛み憎しみなどの感覚を少しづつ失って行き、仏の世界に近づいて行く期間だとされています、 亡くなった人達は、最初殆どの人は自分が死んだことさえ 解りません、 しかし、時間が経つに連れ自分が死んでしまったことを理解し、現世との縁を失ってゆきます、50年はこの修行期間だともいえます。 ちょうど骨が土に帰る期間と同じとされています。 亡くなった方が、亡くなった後も感情を持ち続けていたのでは、あの世に行くことは出来ません、 生前中が悪かったとしましても、それはご縁があってご結婚された訳ですから同じお墓に入ることは自然なことです。 お墓の中で暮らしている訳ではないのですから。 生きること(現世での修行)が70年、亡くなってから仏様の近くに行きつくまでの修行期間が50年 (早い人は速効行かれるようですが) そう考えましょう。
お礼
ご意見ありがとうございます。 う~ん・・・中々、、重く深いご意見ですね。 ありがとうございました。
- mama4615
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初めまして 二児の母です。 家族会議は必要だと思います。 貴方だけの問題では無いでしょ? お墓参りに行くとしても 墓地が二カ所あったら 二カ所守らなければならないです。 貴方が守れても、次の代はどうでしょうか? いつまで 二カ所の墓地を守ってくれるのか、、、です。 お母様だって 誰も来ない、来なくなるお墓は望んでないと思いますよ。 別にお墓を設けるのではなくて、お骨をちょっとだけ離してあげたらどうでしょうか? 何もしなければ 貴方には悔いが残りますし。
お礼
ご意見ありがとうございます。 確かに二つ・・・という今後の事もあるのはあるのですけど。
- heeroo44
- ベストアンサー率6% (14/210)
恨みや憎しみは、俗世(此の世)の人間の話です。 死んでしまえば、彼岸(あの世)に往生して仏様になるそうです。 この世の人間の感覚で、亡くなった人(仏)を考えるのは、とんでもない勘違いです。 ましてや、遺骨など・・・・ただの燃えかすです まあ、人間の遺骨は、何処にでも捨てる訳にいきませんから、お墓なり納骨堂に 納める訳です。 浄土真宗の開祖である親鸞聖人は 「自分が死んだら、屍を賀茂川に捨て、魚に食べさせよ」 と、仰ったそうです。 生きている人間世界の、ドロドロした感情で、故人を想う事は親不孝、先祖不幸だと思いますよ。
お礼
ご意見ありがとうございます。 みなさんの意見と同様で、かなり自分勝手なエゴなんですね。
- peri1005
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お母様が20年前、お父様が10年前に亡くなられているわけです。 たとえ生前の仲がよろしくなかったとはいえ、そこまで一緒に眠っているものをわざわざ掘り起こすようなマネをしなくてもいいのではないかと思います。亡くなられて埋葬時に分けるというのならいざしらず、今から分けてどうするのですか? 生前にどちらの墓に入れて欲しいとの意思を示すものがあれば別ですけど。 お骨の移動は貴方が思うほど簡単ではないんです。ある程度の費用もかかりますし、どちらかはご自身で管理されていないお墓です。管理している方の了解をとることも必要になってきます。さらに言うならお寺さんが違っている場合は宗派の問題もあり、これも改めてお経をあげるとなれば一大イベントにもなりかねません。 一度納骨されたのです。すでにお父様もお母様も、この世での役割を終えて静かに眠っておられるわけです。一番良いのはそのままそっとしておいてあげることではないかなと、私は思いますがいかがでしょう?
お礼
ご意見ありがとうございます。 確かにおっしゃる通りかもしれませんね。
故人の供養とは、残された人の安心感・満足感であると思います 貴方が安心・満足できる方法が最良の供養です 当方の両親は、折り合いが悪く別居しておりました(父が家を出ていました) 母が先に亡くなり、2年後に父も亡くなりました あの世に行ってまで(仏なので)喧嘩はしないだろうと同じ墓に葬ってあります
お礼
ご意見ありがとうございます。 残された人の安心感ですか・・・。
お礼
ご意見ありがとうございます。 中々、奥深い意見ですね。