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太平洋戦争中、日本は米国によって、原子爆弾を投下されましたが、

太平洋戦争中、日本は米国によって、原子爆弾を投下されましたが、 日本も同時期に、原子爆弾を開発していたというのは本当でしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • oska
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回答No.4

>太平洋戦争中、日本は米国によって、原子爆弾を投下されましたが その通りですね。 日本人最後の一人になるまで「竹やりで、敵を倒せ!」と軍部が主張しなければ、広島・長崎の惨劇及び地方としまでの無差別爆弾投下(焦土作戦)の被害はありませんでしたね。 8月15日、午前8時頃にも「特別攻撃隊(特攻隊)」が出撃しています。 >日本も同時期に、原子爆弾を開発していたというのは本当でしょうか? 本当のようです。 昭和20年。福島県の田舎である石川町(当時人口5000人)を、B29が低空飛行でマシンガン攻撃を行っています。 B29なのに、何故か爆撃でなく「マシンガンによる攻撃」です。 戦後の情報開示によると、石川町ではウラン鉱石を秘密裏に採取していたようですね。 何故、軍部はウラン鉱石を採取していたのか? 原爆開発しか、目的はありません。 陸軍航空技術研究所安田中将グループが中心になり、仁科研究所で開発を行っていました。 仁科の「に」から、に(ニ)号爆弾と呼んでいたようです。 結局、ウラン精製が間に合わず「ドイツからUボート3隻で、ウランを日本に運送」しています。 この無線を傍受した米軍(マンハッタン計画実行中)は、日本からの「ウラン遅れ!」に驚愕したでしようね。 1隻は、マレー半島沖で米軍の攻撃を受け撃沈。 1隻は、米軍に投降。荷物には「日本向け酸化ウラン・560キロ」が積んであったようです。 この560キロという少ない量にも、米軍は驚愕しています。 (ゼロ戦に搭載可能な、ミニ原子爆弾を研究していたようです) 原爆開発には通常2トン程必要ですが、25%程度の少数のウランで原爆を開発していたのですからね。 560キロ程度のウラン精製には、あの福島県石川町のウラン鉱山で十分可能なんです。 (東京郊外・荒川にあった理研荒川工場(235濃縮秘密工場)は、米軍の猛爆撃を受けて跡形もなくなりました) 1944年7月頃?。東条英機は天皇に伝えています。 1.敵国は、極秘裏に原子核をつかう新爆弾を研究している。 2.日本も開発を行ってきたが、完成の目処がついた。 3.完成後は、ハワイに投下予定。戦況を挽回できる。 (以上、杉山元陸軍元帥が政府連絡会議を記録した「杉山メモ」より) 広島に新型爆弾が投下された後、陸海軍技術者・理研科学者は「原爆だ」と直ぐに判断しています。 原爆の事を研究していたから、直ぐに「原爆」と判断できたのでしよう。 戦後、日本の原子力研究は、ものすごい速さで成果を収めています。 戦時中に一切の研究が無ければ、ノーベル物理学賞はありえませんね。

その他の回答 (3)

  • roadhead
  • ベストアンサー率22% (852/3790)
回答No.3

>日本が米国に対して原爆投下をした可能性がありますね・・ それは無いね。 アメリカ本土まで行ける飛行能力無かったから

  • rikukoro2
  • ベストアンサー率21% (1316/6195)
回答No.2

理論は研究してました。  しかし、完成は不可能でした。 日本には原料となる『ウラン』がないのです。  当時確保していていた全部の日本の領土ではウランはとれません

  • allwinner
  • ベストアンサー率25% (159/624)
回答No.1

本当です。日本だけでなくドイツも開発していました。アメリカもこのことを知っていたので、急いで開発して先に使用したのです。

vivi1017
質問者

お礼

もし、日本が先に開発していたら、 日本が米国に対して原爆投下をした可能性がありますね・・。

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