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とある大学の文学部で宗教関係の学科です。
とある大学の文学部で宗教関係の学科です。 入学してから、毎日辞めたくてたまらないです。 大学に何の目標もなく入りました。 もちろん、宗教に何の興味もありません。 なので、毎日ふわふわと適当に行ってます。 今のところは遅刻も欠席もしてません。 現在夏休みで、考える時間が増えて、より嫌になります。 一度でも大学を休んだら、二度と行かなくなるような気もします。 そんな自分でも、最近写真とかカメラに興味を持ちました。 色々なことを知りたいって気持ちがあります。 でも、興味であり、本当に自分のやりたいことなのかと考えると尻込みしてしまいます。 もし、仮に写真を学ぶと決めたなら、大学を中退するほうがいいでしょうか? それとも、大学卒業してから、行くのがいいのか… 親にただでさえ、かなり負担をかけてるということを考えると、もう何もできなくなります… でも、負担を軽くするために、少しでも自分で払いたい、奨学貰って行こうという気持ちはあるのですが… なにか決め手となるキッカケがありません。 一歩を踏み出す勇気が欲しいです。 甘えだとはわかっています。 ただ、後悔はしたくないと思うんです。
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- qwe2010
- ベストアンサー率19% (2193/11072)
今日のニュース 大学中退者の就職先はほとんど無いそうです。 親のためにも、貴方のためにも、いやでも卒業だけはしましょう。
他の方のご意見とは若干違いますし、質問者様の意には沿わないでしょうが、 質問者様は『写真を学ぶ』って何を学ばれるおつもりですか?今は一眼レフさえバカ○○ンですから誰にだって撮ることはできます。一流の写真家と凡百の写真家?の違いは写真一枚にこめられた哲学です。最近読んだ本に寄れば『写真とは一枚の写真なのか、動画の中の一枚を切り取っただけのものか?』って書かれていました。 今質問者様が学ばれている宗教はまさにそのところを突き詰める哲学を学ぶことでしょう。それが興味ないと言われるなら、ただ『動画の中の一枚を切り取っただけ』の写真を撮る凡百の写真家にしかなれません。 私自身は『宗教はアヘンである』と学んで、いまだにそれを信じて疑わないバカですが、それでもキリスト教や仏教、特に親鸞の考え方には学ぶべきところが多いと思っています。 質問者様の場合、そういうものを学ぶ機会があるのですから、その中から自分自身の宗教観なり、人生観なり、自然観なりを学び取って、それを一枚の写真に凝縮するような写真家になって欲しいものです。
- hs1510
- ベストアンサー率27% (443/1640)
折角興味の有る事が見つかり許されるなら中退してきちんと「写真」を学んでみてはどうかと思います。 子供達の大学や友人達の中にも折角入ったのに「他にやりたい事が見つかった」、「思っていた内容と違う学部だった」等様々な理由で中退していきます。 親の目から見ると「何で?勿体無い。」とつい考えてしまうのですが、他の大学に編入したり専門学校に行ったり就職したりとそれぞれですが、結構皆その道で頑張っている子達が多いですよ。 まあ、中には辞めてからだらだらして偶にアルバイトをする位とか、次に選んだ所もまた辞めてしまうと言う悪循環を繰り返している子もいますが…。 親御さんは、もし中退すると言ったら反対するでしょうが貴方が迷いに迷い考えた末に出した結論ならきっと応援してくれるでしょう! いずれにしてもご自分の人生です。悔いの無いようによく考えて行動して下さい。
- shubal
- ベストアンサー率20% (402/1958)
興味があることは「やりたいこと」です。動機などそんなものです。写真に興味があるそうですが、コマーシャルの商業カメラマンも経験したことのある私としては、写真は「習うもの」ではありません。カメラを所有し、興味のあるものにシャッターを下すことが「写真」です。それと写真集というのは高価ですが、図書館なども利用して、主に海外のカメラマンの写真集を見てみてください。どういう被写体をどのように撮るか、写真というものの自由さがわかります。そしてきっとそれらに影響を受けて、こんな写真が撮りたいと思うはずです。そこには「勇気」も「甘え」も「後悔」もありません。あるのは「喜び」だけです。 あなたが怠惰な気持ちに陥ってしまうのは、主にこの末期的な社会のせいです。年長の者として、こんな社会にしてしまって申し訳ないです。だから元気を出してください。お願いします。