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「自虐」の「自」は誰?
最近、教科書報道などで登場する「自虐」云々ですが、文字通りにとれば、「自虐」とは「自らを虐げる」ことになると思います。 過去の日本軍が、中国や朝鮮を侵略したことを認めることが「自虐」だということだと、「自ら」というのは過去の「日本軍」とイコールだと思いますが、いま、「自虐」を問題にする人たちは、日本軍と同じ立場なのでしょうか。(「赤紙」で引っ張り出された人たちと、戦争を指揮した人たちは立場が違いますが、基本的に戦争の責任は指導者でしょう) かつて、昭和天皇の戦争責任をめぐって、長崎市長が銃撃されたときの論調は、昭和天皇は平和主義者で戦争に反対したのに、軍が勝手に戦争をはじめた、ということでしたが、その当時の右翼団体は、昭和天皇と、軍と、どちらを支持したのか・・。 あるいは、「自ら」が「日本人」をさすとすれば、 ルーシーさん事件他で逮捕された、某容疑者について、「日本男児がそのような行為をするはずがない。本人が否定しているんだから、無実だ。英国人の言うことを信じて犯罪者扱いするのは同じ日本人として自虐だ」ということも成り立ちますか。
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- nakaG
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少しニュアンスが違うように思われます。自虐はマゾ的と言った方が正しいのでは? 自らのアイデンティティーを否定する事に、苦痛より喜びを得ているような日本の学会やマスコミの風潮を表現した言葉だと思います。 例えば、南京大虐殺といわれる“事件?”に対して、学問的な検証や疑義を唱えることは、タブーになっています。むしろより残虐で死亡者の数は多い方が受け入れられる風潮があります。誰か、ニュースキャスターだかが、南京大虐殺に疑問を挟んではいけない、信じる事が大事なんだと、宗教家みたいなことを言っていた記憶があるけど、あれなどずいぶん乱暴な論理だと思いましたね。 大東亜共栄圏が正しかったと唱える連中もおかしいけど、自虐史観の連中もおかしい。そんなことより、普段は人の良い、優しいおじいちゃんが、酔っ払うと戦争中に首を刎ねた中国人の話を得意げに話すことの方が怖い。アメリカでもベトナムでベトコンを自分はどうやって殺したか自慢する奴がいる。この男も普段はおとなし過ぎる位の男だ。戦争自体の病理を問わなければ、いつまでも戦勝国の正義を正すことは出来ない。 話は逸れるが、“いじめ”を日本の構造的な病理と決めつけている風潮があるが、なかなかよく出来た“いじめ”をテーマにした韓国映画を見たことがある。 戦争にしてもいじめにしても、人間の根源的な行為として捉えなければ、解決の道は見つからないと思う。
はじめまして。nozomi500さんの今回の質問に対して少し思うところがあり 、投稿させて頂くことにしました。 >「○○だから自虐だ」と明快に自ら主張してくれる方はいませんかね。 全くの独断ですが考えてみました。 「不公平だから自虐だ」そして自虐の「自」はこの度の場合「する側」であるというのが私の出した強引な結論です。 本多勝一氏のジャーナリズム理論では、社会事象を「する側」と「される側(権力に抑圧される側)」に分け、徹底して「弱者」である「される側」に立つことがジャーナリストとしての「良心」であり「正義」であると考えます。 この理論に立てば「される側」に立つことが良心かつ正義であり、「する側」は悪であるということになります。 絶対的な「悪」を「する側」に見出そうとする世界観では「する側」の良心や正義は排除されていないでしょうか。公平な見解が得られるでしょうか。 ですから自虐は絶対悪をおしつけるゆえに不公平な論理なのではないでしょうか。私は「国」とか「日本人」という枠組みに対し、個人的な帰属意識もない者ですから、自虐の「自」は「する側」と言うにとどめても良いと思っています。 私の意見は以上です。暇つぶしに読んでやって下さい。 ん、それなら最初から「自虐」でなく「不公平」といってるか---。 FIN
お礼
ありがとうございます。難しそうな話ですね。 ところで、自虐だという人は「する側」と思っているんでしょうか。(してない、と思ってたりするかも・・?)
- necon
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僕は、「自虐」の「自」とは世界の国々に対しての日本人を指すと思います。この日本人とは僕らの世代も、祖父、祖母の世代も、まだ生まれてきていない子孫の世代もです。 現行の教科書では日本軍がいかに悪いことをしたかしか書かれていないように思います。確かに、旧日本軍はアジア諸国に対しても、さらには沖縄戦での沖縄の人達に対してもとてもひどいことをしてきたことは事実です。しかし、それが旧日本軍の全てでしょうか?現代の日本人が当時の日本人の悪いことだけを後世に伝えていくという事は、日本人が日本人に対する虐げ(自虐)に他ならないと僕は考えます。まして、事実とは到底思えないようなことまでをも日本人が見つけ出し(創り出し??)それまで教科書に載せるというのはさすがにおかしいですよね!?これこそ自虐!!(笑) 現行の教科書では太平洋戦争を「軍部の暴走、それに逆らえなかった国民」というように扱っているように思います。まるで、単に旧日本軍は悪の集団で国民は何も悪くないと言っているとしか思えませんよね?こんな風に、「戦争と国民は関係ないもの」みたいに切り離されたのでは将来に渡って平和な日本を築き上げることができるでしょうか?つまり自分達で平和な世界を作っていくのだという自覚が芽生えるような教育方法では無いと思います。 僕は実際には太平洋戦争への突入は軍部の暴走によるものというよりは、当時の日本全体(日本国民)が戦争を後押ししていたように思います。実際、どこの新聞も国民の戦意を高上させるような記事を書いていましたし、戦争による特需で景気の向上を考え、早くアメリカと開戦しろというのが当時の考え方だったのではないでしょうか。前者が軍部の策略だったとしても、心底戦争に反対していた人は少なかったと思います。 つまり、単に日本軍が悪いとだけ教える自虐的な教科書ではあの戦争が自分達とは関係ない別の日本人の歴史であるような錯覚を覚えます。実際、戦後世代では完全に戦前と戦後を分けて考えています。まるで太平洋戦争を別の国の戦争のように第三者の立場で見ているとしか思えないようなこともしばしば。。あの戦争が本当に自分の国の歴史事実としてみているのであれば、自虐的なことだけを取り上げて書くのではなく、戦争をしなければならなかった当時の日本の日本から見た立場を取り上げるのが「日本の教育」ではないでしょうか。その上で、日本の犯した過ちに触れることがアメリカの教科書でもない、韓国の教科書でもない、中国や、他のアジア国の教科書でもない「日本の教科書」になるんではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 軍も一般人も同じく、日本人として同じ「自」というご意見です。うーん。戦後生まれも「自」か?ということも思いますが・・・。 もともと、「軍」というのは、単に鉄砲や爆弾を持った人達のあつまりではなく、戦争の目的があったわけです。 なぜ戦争がおきるか、ということになれば、いつの時代でも、戦争がおきて得をする人がいるからだと思いますが、「誰が得をした」(あるいは得をしようとした)かについて書かれている教科書はないと思います。西尾氏らの教科書も、それを追究するつもりはないみたいです。 たぶん、誰が得をしたか、ということになれば、現在の某大企業グループなどもその恩恵を被っているわけで、そういうことをハッキリさせると困る人々(とくに与党のスポンサー)がいて、無言の圧力になっているのだと思います。当寺の新聞社にとっても、スポンサーは戦争で儲ける人々でしょう。 戦争をしなければならなかった理由、などというものはないと思います。もしあるなら、韓国や中国の人々は、必然的に被害をうけた(侵略されて当然)、ということになります。一部の(人数では一部であっても、資本力でいえば大多数)人々の利益(それが国民全体の利益だと信じた人々は多いでしょうが)のために「しかたなかった」といっていいのかな・・? いまも、バブル後の不況が「恐慌」とまでいわれつつありますが、よその国につけをまわすのは「しかたない」ことでしょうか。 対米戦争は、米国に攻め込んだわけでない(真珠湾は基地だから攻撃目標になっても、戦争上はしかたない)から、それぞれ言い分があると思いますが、韓国や中国に対してそういうことを言うと、「侵略しなければならない理由があれば、侵略してもしかたない」ということになり、これは、被害経験者として怒るのは当然でしょうね。このへんをあいまいにするから、アメリカに対しても、非戦闘員を何万人も殺戮した原爆投下の責任をちゃんと問えないのでしょう。
補足
すみません、最初の方のときに、論争をするつもりはない、と返答しながら、ここで結構いいたいことをかいてしまいました。そのへんは飛ばして考えてください。 学生時代、中国や東南アジアの留学生と仲良くしていたもので(幸か不幸か、いわゆる白人系の人とおつきあいがなかった)、同じ戦争でも、アメリカとアジアでは感覚がちがいます。
- north073
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要点をついた御質問だと思います。 要は、論者が日本人としてのアイデンティティをどこに求めているかということではないでしょうか。 いわゆる自由主義史観を持つ人々は、明治憲法下の国家に日本人としてのアイデンティティの根源を求めており、その国家の責任を問われることについて自虐と捉えているのではないでしょうか。明治憲法下の国家という言い方をしましたが、このような人々は更に古いところに淵源があるのだとおっしゃるかもしれません。 また、いわゆる自虐史観を持つ人々には、新憲法下の体制(このような人々は「国家」ということばも「体制」ということばも嫌いますが)に日本人としてのアイデンティティの根源を求めている人もいるでしょう。このような人々にとっては、逆に「自由主義史観」の方が「自虐的」と感じられるかもしれません。 いずれの場合も、天皇の責任、軍の責任、民衆の責任というレベルの問題ではなく、それら全体を象徴する「国家」というイメージが「虐げ」られたかどうかということを問題にしていると思われます。 したがって、個々の日本人が攻撃されたとしても、それがここでいう「自虐」に当たることはありません。 個々の事象に対する攻撃が、「国家」に対する攻撃に結びついたとき、それが「自虐」と呼称されているのでしょう。
お礼
ありがとうございます。 「国家」というイメージ、というのは、なるほど、考えられます。誰がやったにしても、「日本がやった」という「イメージ」だと、理屈じゃないから(捉えるほうの主観)同じだということはいえます。 西尾氏らの教科書で、「歴史は科学でない」という、検定でカットされた主張があったそうですが、イメージならば、なるほど科学ではないですね。 しかし、「○○だから自虐だ」と明快に自ら主張してくれる方はいませんかね。 かつてベトナム戦争で「ソンミ村大虐殺」がありましたが、これはアメリカに対するイメージとして、どうとられていたか、というのも興味がわくところです。(この場合、虐殺を止めたのは同じく米軍だった)
- kichiji
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結局自分の所属するクニという社会体制に対する個々人の思い入れの温度差なのだろうと思っています。私は自分の帰属する組織に対し比較的強めの思い入れを持つ方なのかもしれません。それは家族兄弟に始まり、学校、会社、国家(せいぜいワ-ルドカップやオリンピック時の即席愛国者程度)と意識が重なってきています。日本という国が他国から理不尽に侮辱されたら、私は当然我が事のように憤りますし、現在のような不安定な日本の舵取りにはとても心配をしております。まあ私の認識はそんなものです。其のレベルで自虐騒動を鑑みるに、朝日新聞の報道のあり方は社会の木鐸ならんとの思い入れがまずあったわけで、中国や韓国に迎合したいというわけじゃなく、単に国家の御用新聞ではないという姿勢が見せたかっただけのような気がします。それが結果的に外交レベルで二進も三進もいかない今の状況を生み出していると思います。 自分の弟が二階でマスかいてるのを見つけた潔癖姉ちゃんが、わざわざ隣りのおかあさんに「うちのバカ弟はお宅のお嬢さんをカキネタにしてしております。」と御注進。聞いた隣りのお母さんはびっくりして「お宅はどういう教育をしていらっしゃるのかしら、あの暴力じいさんの孫だからなにするかわからないわ。ああこわい、でていって。でていけないなら、色々とこちらの要望でも聞いてもらわなくっちゃ。」とお父さんに。お父さんはお父さんで、「そらあご尤も。何なりとお申し付けください」という始末。息子は「暴力じいさんっていうけどなあ、お宅のばばあを口説いた記憶はねえっていってたぞ。」とのたまえり。もう一家は大混乱? ところでnozomi500さんは日本を好きですか?
お礼
ありがとうございます。 日本をすきですか、といわれると悩みますね。このシーズン、京都の筍をもらったりすると、日本に生きていてよかったなあ、と思うし、以前のオリンピックで「ニッポンチャチャチャ」なんか見ると、日本人として恥ずかしいし・・。(オリンピックで日本選手を応援するのは、ジャンプ原田、モーグル里谷選手と、水泳の女子リレーと、ビーチの高橋佐伯組ぐらいです・・。あとは、ジャマイカやモンゴルやノルウェー選手など) 好き嫌いで国を選べるならば、遊牧民族とか、小さな島国で魚をとって暮らしたいと思うことがよくあります。(寒さに弱くなければエスキモーかな) 日本に暮らしているかぎりは、好きになれるよう、自分のできる範囲で努力したいものです。 ただ、「自虐」という人達は、侵略行為(と認めないにしても)は「国をあげてやったこと」と考えているのか「一部の人がやったことだけれど、同じ日本人としてかかわったこと」と考えているのか、そのへんが知りたいものですが。 高校の同窓生にオリンピック選手がいると、同郷として応援しますが、逆にサリン事件等の犯罪者がいたとき、それで恥じるわけけではないです。(オウムの井上被告が、大学の同窓会に名簿削除してくれと言ったそうですが、同窓会側は拒否したそうです。)
- k_goto
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この場合、侵略したことを認めることが自虐、というのではなく、 こういうことを言うと叩かれるかもしれませんが、いわゆる左翼の方々が 問われてもいない罪を次から次から持ち出してきては(場合によってはでっちあげも入っているそうですが)、 謝罪をせよ金を払えと言うことではないでしょうか。 このままずっと他国に尽くして日本の財政をつぶせ、ということなんでしょうか? よくわかりませんが。。 それと、ルーシーさん事件で逮捕された容疑者のはなしですが、それは全然取り扱っている例が違うと思います。 しがない学生の意見です。 お気に召さなかったら聞き流してください。
お礼
ありがとうございます。いろんな裁判、その他のことがありますが、個々の事象についてはそれぞれ検証が必要だろうと思います。 とりあえず、まとを絞るのが、教科書をめぐって「自虐的」云々の批判がされているので、例えばT社やD社の教科書の内容が「自虐的」だというなら、何が「自虐」で、その場合の「自」は誰を指しているのか、それぐらいならば、話が簡単だろうと思います。 「一部の日本人が悪者になる」ことが「自虐」ならば、外国人女性の被害届け(ルーシーさんは別として、他の容疑は親告罪)を信用して日本人を悪者にしているのはけしからん、というのと理屈は同じだろうと思いますし、 「日本人全般が悪者になる」ことが「自虐」ならば、大元帥である昭和天皇が反対だったはずの戦争を進めた日本軍を、日本国民の代表として認めることになる。 実際に従軍した人たちが、「自分たちのこと」を悪く言われるのはけしからん、というのは理解できるのですが、小林よしのり氏など、私と年代がかわらない人たちが「自虐」というと、何が「自」なんだろうと思う次第です。
- buran
- ベストアンサー率33% (259/782)
この話は、難しいですね。というのも、西尾氏や藤岡氏の論旨と実際のメディア等での彼らの説明が微妙に違うんですね、特に重要なポイントで。 何かごまかされてるような気がして。 「自虐」ですが、事実としてあったかなかったかは彼らは問うていないんですね。中国や朝鮮、太平洋地域へ戦線を繰り広げたのは、それまで植民地支配をしていた欧米列強から住民を「解放」して日本がフラッグシップとなって大東亜圏を築くために行なったものだから、「侵略」ではない、というようです。 そういう立場のもとだと、戦争責任というのは考えなければいけないけれど、大東亜圏の住民が欧米支配から解放されたのだから、それをわざわざ「侵略」というのはあまりに「自虐的」に過ぎる、ということになりますね。 こんな説明でいいでしょうか? 私の立場は、あの人たちとは違います。ただ、批判するのなら向こうの言うことをまず聞くのがスジだとは思ってます。 (今朝もフジテレビでやってましたが・・・。)
お礼
ありがとうございます。 私も私なりの意見はもっているつもりなのですが、「理系」の人間としては、基本データが整っていないと、どういう立場であろうとも、理論立ての根拠がつくれない(基本的なところでかみ合わない)ので、そもそも何が「自虐」で、なぜ「自虐」なのか、また、それは「自虐」という人たちが共通したところで言っているのか、そのへんが知りたいわけです。 たぶん、buranさん自身は「自虐」だと思っておられないようなので、やはり、そのへんは推測になるのでしょうか。 「いや、○○だから自虐なんだ」と、いう方がたの考えを聞いてみたいものです。
- kichiji
- ベストアンサー率43% (24/55)
>過去の日本軍が云々・・・「自ら」というのは過去の「日本軍」とイコ-ル・・この文章ではイコ-ルになりません。今回の一連の騒動で取り沙汰されているのは、「自虐史観」というものなので、自虐という言葉の定義を云々することにあまり意味があるとは思えませんが、違うでしょうか? >かつて、昭和天皇の云々・・・右翼団体は、昭和天皇と、軍と、どちらを支持したのか。・・・???私の推測力ではこの段落の趣旨がよく理解できません。誰の論調で、其の当時とはどの当時のことなのか。 >あるいは、「自ら」が・・ル-シ-さん事件云々・・成り立ちますか? ・・・この段落の答え=全く成り立ちません。 もしnozomi500さんが、西尾幹二氏やこばやしよしのり氏の展開する「自虐史観」批判に対しての論評ご意見等がおありでしたら、一説御開示頂けましたら幸甚です。
補足
西尾氏らの考えは考えとして、私はあえて、この場で論争をするつもりはありません=考えをもっていないとか、異論があるないというわけでなく、このサイトはそういう持論の展開の場ではないと思います。 そういう人達が「自虐」という言葉を使う意味が理解できないわけです。 なぜ、侵略を認めることが「自虐的」なのか。 侵略があったかなかったか、は、事実にもとずいて判断すればいいわけです。 「事実であるかないか」と「自虐的か否か」は別問題のはずですが、「自虐的だからけしからん」という論調が平気でまかりとおっているように思います。 西尾氏らの教科書でも、「事実でないこと」は多い(神武天皇など、南京大虐殺より根拠に乏しい)のに、自虐的でなければOKのようです。(私などは、「東征」を認めることは「東」の人々にとって自虐だと思いますが) 「正確さ」が第一なのか、「非自虐的」が第一なのか、どうみても、後者です。 じゃあ、「日本人が悪者になる」から同じ「日本人として自虐」なのか、 それとも「日本軍が悪者になる」から同じ「日本軍支持者として自虐」なのか、そのへんの理屈が分からないのです。 昭和天皇についていえば、そのときの「日本軍」が昭和天皇の意思に沿った行動ではない=「おっそれ多くも(ここで直立不動)天皇陛下の御ために」ということで戦場に連れて行かれた個々の兵の意思ではない、という前提があるかどうか、それによって判断が違うかな、と思って加えましたが、あとからみると、つながりが悪いですね。西尾氏らが昭和天皇の戦争責任についてどういう意見を持っているかはわかりませんが。
お礼
ありがとうございます。なかなか深いご意見ですね。 戦争自体の病理(狂気、という表現もあります)を考えると、日本人だからどう、という言い方自体の意味もないですか。 私は、「理系人間」なもので、高校でも歴史(とくに日本史)は興味ありませんでした。過去の個々の戦争が、いつおこったとか、誰が仕掛けた、とか、現代人が覚えて(テスト勉強なんてそんなもの)何になる・・。 いつの時代にもおこっている戦争に対して、いつまで人間は進歩しないんだ、と、人類自体を嘆くのも最大の「自虐」なのかもしれませんが、そういうことを考えるための材料として歴史を学ぶんじゃないか、と思っています。