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暑い季節になると時々むしょうに悲しくなる理由とは?
- 暑い季節になると時々むしょうに悲しくなることがあります。
- この悲しみの原因は、過去の出来事によるものです。
- 悲しい気持ちを受け入れ、忘れることが解決策です。
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こんにちは。 3年前に何があったのか、それ自体は想像の域を出ませんが、 文面からも伝わってくる『さみしさ』は受け取り、レスしています。 たぶん、大切な何かを失ったのでしょうね。 その時を超え3年間過ごして来たのですね。 少し違和感を感じられるかもしれませんが、私なりの表現をお許しください・・・。 ひとには、それぞれの過去が当たり前のように存在して『今』があると思います。 そしてその『過去』は、それぞれ『思考、判断』に反映され、『今』に至っているのではないかと思います。 言い方を変えると、私たちは皆、『過去に束縛されて今を生かされてる』のではないでしょうか。 私たちにとって『過去は改ざんも消去もできない、とても過酷なモノである』と言えますね。 極論になりますが『過去をすべて消去してしまったら・・・?』、どうなるでしょう。 当然、過去に起因する記憶もなくなるわけですから、『茫然自失の今』になってしまうのではないでしょうか。 また、『過去の一部を改ざん、消去できたとしたら・・・』、 この場合はきっと『時間と言う流れ』を断片化してしまいますから、 『作りモノの自分』と向き合うことになってしまうような気がします。 『3年前の出来事』、これを『自分の記憶の引き出しにしっかり仕舞う』のは如何ですか。 今のあなたには『きっとできる』と感じます。 『・・・しっかり仕舞う』ってどういう事・・・?ってなりますね。 御辛いでしょうが、『今』、そのときの事を思い出せる限り思い出して、 そのときに『表現できなかった自己の表現』、つまり泣きたいなら思いっきり泣いて、 感情を表面に出して、それから『あなたの過去と言う名の記憶の引き出しに仕舞う』のです。 私も様々なロケーション、地方、場所に『それぞれの思い出』があります。 それは『悲喜交々』です。 楽しい瞬間にも『ふとしたきっかけ』で、悲しくなったり、寂しくなったりします。 それらすべては『自分の過去に起因して』いる事を体験的に知っています。 ですから、思い出は思い出として『しっかり仕舞う』事を心がけています。 仕舞うと言っても『捨てるのではなく、整理して引き出しに見出しをつけて入れておく』のです。 ・・・『こんな時代もあったな・・・』なんて思い出すのはきっと『未来』になるでしょう。 『今、10代』との事、3年間辛かったと思います、そして『今も傷は癒えてはいない』でしょう。 例えは旨くありませんが、『自転車に乗ること・・・』と同じように、 人生も転びながら、『上手くになる』ような気がします。 いまは『転んで出来た傷に絆創膏でも張って』、また人生と言う名の自転車を走らせてほしいと思います。 『今から先』には、新しい景色も環境も・・・そして爽やかな風も待っていると思います。 それでは失礼します。
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- tomban
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人には免疫があります。 体の免疫は、風邪が治ったり、ケガが治ったりする「あれ」ですね。 心にも免疫はあります。 ですから、時間が経てばだんだんと忘れていくものですよ。 痛みが薄れて、だんだんと軽くなっていくようなものです。 やがて懐かしい思い出になる日も来ます。 考えがちになってしまうこともあると思いますが、どんどんと記憶そのものの「細かさ」というものは、あやふやになっているものです。 ディテールは、時間が経てば不正確になります。 考えてもそれはすでに「抜け殻」だと思います。 ですから、考え込むこと自体「不確か」なものだ、と気付いていただければ、少しずつ気持ちも楽になっていくと思いますよ。
お礼
自分は、体の免疫は強いほうなのですが。心の免疫は、とても弱いように思えます。それを強いものにすることは、可能だとおもうので、いろいろな経験をしながら強くしていこうと思います。時間が解決してくれると自分でもおもいます。回答ありがとうございました。
- m_mami
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暑い時期に辛いことを経験されたのでしょうか。 人の記憶は色々なことから思い起こされることがありますよね。 この曲を聴くと、あのころを思い出す。とか。 この場所に行くと、悲しくなる。とか。 質問者さんは暑い日の夜が、記憶を引き出す原因になって いらっしゃるようですね。私は曲を聴くと、ふっと思い出して しまう悲しい思い出があります。 みんなそういう記憶は持ってると思います。 これは私個人の思いですが・・・ 忘れよう、忘れようと思えば思うほど、記憶だけが鮮明になったり 良くも悪くも当時を思い出してしまうという事があると思うんです。 どういった思い出なのかは、文面からは分かりかねますが・・・ ご自身では忘れるしか解決の方法はないと仰っていますよね。 自分の努力で改善できることと、出来ないことがあって。 改善できないことなら、気持ちを整理しながら、忘れるしか方法が ないように思います。 ですが人間なので、完全に忘れる事は無理だと思うんです。 今ある記憶をすべて『忘れよう』と思うのではなく、その記憶を 悲しいですが、自分自身で、自分の心の中を整理していかなきゃ どうしようも出来ないと、私は思うことが多いです。 何が原因で、自分が悲しく思ったのか。 それを避ける事ができたのだろうか? あの時の自分はこう考えた。こう行動した。 だけど結果は自分の望むことではなかった。 悲しいの内容によっては、結果は仕方がないことだった。 自分ではどうにも出来なかった。 努力で結果が変わるものではなかった・・・などなど。 冷静に、色々な方向からその悲しい出来事を自分なりに考え 気持ちを整理していくことは、自分以外、誰にもできないんですよね? どん底の悲しさからは、2年や3年では気持ちが立ち直れないことも あると思います。悲しめるだけ悲しんで、後悔して、反省して・・・ 自分なりの結論を、気持ちの中で気付けなければ、前に進めませんよね? 3年引きずろうが、5年引きずろうが、自分の中でいろいろな事を気付き 気持ちの整理ができれば、きっと乗り越えられると思います。 文章からも、質問者さんは時間がかかったとしても、乗り越えられる 人のように感じました。 思い出して落ち込んでも、あとは這い上がるだけ! 必ずその一歩を踏み出すことを、頭の片隅に、心の片隅にきちんと置いて 気持ちが整理できたら、また一歩を踏み出す! そしてまた落ち込んだら、また考え、また踏み出す!! 色々な経験は、未来の自分の宝になると思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。今の悩みを解決する方法は、本当に忘れるしか方法は無いです。自分ではどうすることもできません。でも回答者様の言うと通り忘れると言っても人間なので完全に忘れることはできないと自分でも思っています。忘れると言うよりは、気持を整理して解決すると言うほうが正しいのかも知れません。そして、なぜこうなるのか、どういう考え方をすれば、整理できるのかを真剣に考えることが大切だと僕は思いました。気持を整理するのは、とても時間がかかると思いますが。自分なりにがんばってみます。気持を整理するのは簡単なことではないので、ある程度の時間はかかると思いますが。自分なりにがんばってみようと思います。いろいろな経験は、お金では買えないような自分の宝になると僕も思います。
- aymhfgy
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私も質問者さまと同じく夏に孤独を感じることが多いです。どうしてそうなるのかよく分かりませんでした。 夏のような活動的な季節に気持ちが沈む時があるのか、自分で自分が理解出来ませんでした。 しかし、ある時、それは自分が二十歳の時に父が大病をして手術をした頃だからだということに気が付きました。 もう、30年以上前のことなのにです。 質問者さまも忘れたい思い出に苛まれるということではないかと思います。 でも、私の経験から言うとそういう思いをされたことかある人と無い人ではそれからの人生の味わい方が少し違ってくるように思います。 これからの人生でも何か超えられないと思う立場に立たされることはあるでしょう。しかし、トラウマを体験している人は一度は乗り越えてきたという自信が生まれることもありますし、複雑な感情というものも体験すればするほど人の気持ちがよく分かるようになると思います。 まだ、3年なので生々しいのだと思います。年々、薄れて行きます。お辛いでしょうが、人間的に心の幅が広がって だんだん、成長出来る、その糧になる体験ではなかったかと思われます。 それに年月が少しずつ癒してくれますのでそれを信じて前向きになって頂きたいと思います。
お礼
回答ありがとうございます。回答者様も辛いことを経験なさっているのですね。30年たっても癒されていないような辛い出来事だったのですね。回答者様の言うように、辛いことを経験しておけば、これからの生きていくうえでの武器になると、僕も思いました。自分の感情を自分でコントロールするのは、なかなか難しいところもあるかも知れません。複雑な感情を経験しておけば、後でその感情が表れたときに対処できるようになるのかもしれません。時が解決してくれることを自分でも願っています。励ましの言葉ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。回答者様の言うとうり人間は過去に束縛されて生きていると自分も思います。 もし過去を変えられるとしたら、今ある悲しいことも消えると同時に今ある喜びや幸せもたくさん失ってしまうように、思いました。生きていれば悲しいことや嫌なこともたくさんあるけど、そのぶん楽しいことや嬉しいこともたくさんあると信じてこれからも生きていこうとおもいます。これからは、3年前の出来事を 忘れることなく、自分の経験として整理していきながら自分の心の引き出しにしまうことを心がけたいと思います。人生を自動車に乗ることにたとえたのはとてもいいことだと思いました。車の運転がはじめからうまい人がいないように、途中で事故に合うこともあるかもしれないけど、それを乗り越えて人間は成長していくんですね。