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尼崎港線の旅客列車は晩年は塚口~尼崎港間、一日2往復でした。
尼崎港線の旅客列車は晩年は塚口~尼崎港間、一日2往復でした。 それ以前は川西池田~尼崎港間の運用でしたが、この頃も一日2往復でしたか? 盲腸線化以降の運用形態等で詳しい方、教えて下さい。 上記以外の運用はあったのでしょうか? 例えば福知山~尼崎港というような運用があったとか、一日2往復以上の運用があったとか、気動車での運用があったとか、どんな情報でもOKです。 なお、貨物車との混合列車が存在したことは存じています。
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- ROSHI1965
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回答No.2
補足
ありがとうございます。 5往復していた時期もあったんですね。 旅客列車が5往復していた、ということは貨物列車(混合列車ではない)も合わせると、それ以上の運用機会があったと言うことになりますよね? ちなみに貨物列車の運用についてお詳しくないでしょうか? 尼崎港駅を出発した貨物列車は一旦、塚口駅まで行った後、東海道線の尼崎駅構内へ行き、そこから大阪方面、神戸方面へ向かう、というルートだったのでしょうか?