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尼崎港線の旅客列車は晩年は塚口~尼崎港間、一日2往復でした。
尼崎港線の旅客列車は晩年は塚口~尼崎港間、一日2往復でした。 それ以前は川西池田~尼崎港間の運用でしたが、この頃も一日2往復でしたか? 盲腸線化以降の運用形態等で詳しい方、教えて下さい。 上記以外の運用はあったのでしょうか? 例えば福知山~尼崎港というような運用があったとか、一日2往復以上の運用があったとか、気動車での運用があったとか、どんな情報でもOKです。 なお、貨物車との混合列車が存在したことは存じています。
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昭和31年11月19日改正ダイヤでは5往復(尼崎港-川西池田間3,尼崎港-塚口間2)、 昭和36年10月1日改正ダイヤでは朝1夕2往復(尼崎港-川西池田間)の運転となっています。 気動車は定期列車としてはないと思います。 またもっと遡れば尼崎(後の尼崎港)が本線で神崎(現尼崎)が短絡線の扱いですから直通列車も有ったはずですが手元に資料がありません。
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- ROSHI1965
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回答No.2
旅客営業が終了しました1981年4月1日までは、 塚口駅~尼崎港駅間を1日2往復ディーゼル機関車と客車の 運用でディーゼルカー(気動車)での運用はありませんでした。 塚口駅~宝塚駅間が電化になる前までの普通列車は、 ディーゼル機関車と客車で運行しておりました。
質問者
お礼
ありがとうございます。 そうでしたね・・・。 とても懐かしいです。
補足
ありがとうございます。 5往復していた時期もあったんですね。 旅客列車が5往復していた、ということは貨物列車(混合列車ではない)も合わせると、それ以上の運用機会があったと言うことになりますよね? ちなみに貨物列車の運用についてお詳しくないでしょうか? 尼崎港駅を出発した貨物列車は一旦、塚口駅まで行った後、東海道線の尼崎駅構内へ行き、そこから大阪方面、神戸方面へ向かう、というルートだったのでしょうか?