- ベストアンサー
キリスト教…
キリスト教… キリスト教というのか クリスチャン?カトリック?というのか よくわかりませんが、友達がキリスト教信者?です。 今まで別にこれといって問題は無いのですが、無宗教の私は 宗教信者の事がよくわかりません。まぁ友達がキリスト教というのも最近知ったのですが… 特にアンチ-キリストとかではなく、なんとも思ってないのですが、そういった人と付き合う上で何かありましたら 教えて下さい。 友達とはただの大学の男友達です。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
キリスト教というのはユダヤ教から出発した宗教です。ユダヤ教はユダヤ人に神が特権を与えるということになっていたのですが、ユダヤ人が神の教えに背いたため神は怒ってユダヤ人だけでなく、神の教えに従う全ての民に特権を与えるとしたものです。その印として神はイエスキリストを使わせたということになっています。聖書の旧約聖書部分がユダヤ教で新約聖書部分が神の教えに従う全ての民に特権を与えるという拡張部分です。ユダヤ教は未だにユダヤ人に神は特権を与えられたと信じています。これがユダヤ、パレスチナ問題です。ローマカソリックが成立してから色々な変遷を経てプロテスタントなどが出てきます。 日本人の場合、聖徳太子が言ったことになっているのですが、いくつでも宗教を信じても良いということになっています。そのため新たな宗教が入ってくるたびに1人の人が信じる宗教の数が増えてゆくという国際的に不思議な事態となっています。まさしく極東の不思議の国です。 聖書は西洋人とのつきあいの場でよく流用されるので知っていた方が国際人としてベターです。 日本大使館は戦争でヨーロッパを追われたユダヤ人にアメリカ行きのビザを発給しました。宗教的に偏見のない日本人がユダヤ、パレスチナ問題の仲介をすべきだと考えています。
その他の回答 (4)
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
イエス・キリストを崇めている宗教はすべて「キリスト教」です。 仏教には、浄土宗とか真言宗とかいろいろな宗派がありますが、キリスト教にもいろいろな宗派があり、その中でも歴史が長くて組織が大きいのが「カトリック」と呼ばれる宗派と、「プロテスタト」と呼ばれる宗派です。「聖公会」も比較的大きいのですが、日本では地味です。 「キリスト教信者」とは、キリスト教の「洗礼」という儀式を受けて信仰を誓った人のことを言います。両親のいずれかがキリスト教信者である場合、子供は生まれた直後に洗礼を受けることが多いので、本人の意思とは別にキリスト教信者になっている人も大勢います。長崎市などでは、隠れキリシタンの時代から、こうして脈々とキリスト教が受け継がれてきました。 「付き合う上で何か」ということですが、そのお友達も隠すことではないと思ったから信者だと言ったのでしょう。興味がなければ何も聞く必要はないし、何かを勧められてイヤだったら断ればいいだけの話です。でも、例えばカトリックのミサなどは幻想的で面白いので、クリスマスなどに参加してみるのも楽しいですよ。 ちなみに、大学生とのことですが、上智だって、青学だって、立教だって、同志社だって、みんなキリスト教信者が始めたキリスト教の精神に基づいた大学です。美智子皇后の出身校である聖心はカトリックです。キリスト教は普通のことですよ。ただし、どんな宗教にも、いわゆる「カルト集団」はいますのでお気をつけて。
お礼
ありがとうございます。
- Wendy02
- ベストアンサー率57% (3570/6232)
私の周りには、プロテスタント系が多かったのですが、カトリックの人とは多少価値観の違いがあって、へーそんなんだと思うこともありましたが、プロテスタント系は過激な人もいるようで、困るなって思うこともありました。でも、そういうものは、キリスト教の括りとは考えたくありません。宗教という枠組みを考えてしまうと、何か偏見に結びつきやすいように思います。 人にもよりますが、友人関係を続けたかったら、#1の方もおっしゃっているように、宗教のことは触れないほうがよいです。私は、人の宗教に触れて友人を何度も失いました。でも、逆も真なりで、考え方が合えば、無二の親友にはなれるとは思います。クリスチャンの人の言葉の中には、聖書から引用した言葉が、一生、忘れないものにもなることがあります。宗教に関わらず、相手の嫌がることをしない、当たり前のことですが、日本人の中には、宗教音痴のために、これが出来ない人も多いように思います。それに、本来、一般的な宗教の方は、そんなに自説の意地を張らないはずです。 一般には異端--統一教会・エホバの証人・モルモン教--というのが定番です。私は、それらの人たちがあながち悪いとは言いません。もちろん、私は、教義的に同意しているわけではありませんが、一般的な社会生活をしている限りは、私たちの国では、その存在を否定することは出来ません。 ただ、クリスチャンは、神社やお寺さんに行っても、お参りをしなければよいわけで、そういうことを絶対否定するとなると、問題かなって思います。某仏教系の団体のように、火事以外は、ムラ社会の行事には一切参加しないのに、選挙の時には信者が近所や知人をめぐり頼むというのでは、ちょっといただけないですね。 私の知っている明治以降に存在するキリスト教の団体は、異端に近いかもしれません。反戦で有名なクリスチャン・サイエンスに近い立場のキリスト教団体も日本には存在します。しかし、一般的なキリスト教団体としている所にも、政治的な運動をする人たちや、暴力的な言動をする人たちもいます。また、私たちが一般常識とする科学や文化を否定する人たちもいますが、私を、不快感にさせます。クリスチャンの人で、他宗教や文化に寛容的な立場にない人は、とかく人間関係でトラブルが起きやすいし、友人関係の維持も難しいかと思います。それは、しょうがないです。
お礼
ありがとうございます。
私はクリスチャン(プロテスタント)です。 家族も友人もほとんどがノンクリスチャンです。 特に気にすることはないのですが、向こうが止めてほしいということ(神様を冒涜するとか)を控えれば十分ではないでしょうか。 あと礼拝(カトリックではミサ)は普通日曜日ですので、その日の午前中に遊ぶことなどはちょっと難しいかもしれません(私はよくサボりますが)。 キリスト教は一神教というのと、物を信仰しないので、神社仏閣にお参りさせられたり、お札を頂いたりするとちょっと困ってしまいます(宗派や個人の考え方にもよるのですが…)。 キリスト教と本人が言っていても、いわゆる異端やカルトである場合もあるので(特に大学内では多いです)それに引っ張り込まれないようにだけはご注意下さい。 率直に質問して下さってうれしかったです。
お礼
ありがとうございます。
普段の会話で宗教うんぬんの話題を出さなければいい話だと思います。 キリスト教は”比較的”まともだと思いますので、 貴方は貴方、僕は僕、そんな感じで相手を尊重しつつ、 常識的な道徳やマナーを逸脱しなければ問題ないかと思いますよ。 宗教とは違いますが、 私は昔、北朝鮮の留学生と友達だったことがあります。 かなり仲良くなってこんな会話してました。 「靖国神社参拝とか、どうでもいいじゃんなー?」 「だなー、それを政治に利用するのは馬鹿げてるな」 「てかさー、○○くんも将軍様マンセーとか思ってんの?」 「思ってるわけねーだろwwぶはははwww」 「あはははwwマジかよwwwそれ言っちゃっていいのかよwww」 「いいんだよwww割と影じゃ皆言ってるw」 「そうなんだwww」 「でもお前らだって天皇万歳なんて思ってねーだろ?」 「だなーーwww別に皇室なくても俺らの生活変わんねーだろうしなーw」 なんて話を楽しくしていましたよ。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。