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反捕鯨とキリスト教

最近、ハリウッド女優のダリル・ハンナが、過激な反捕鯨活動で有名なシー・シェパードの船に乗船するというニュースがありました。 このような反捕鯨活動のニュースに対して、アメリカやオーストラリアなど反捕鯨を訴える国はキリスト教国の国だから、と考える人が日本にはいるようです。 確かに反捕鯨を表明している国の多くはキリスト教国ですから、そういうイメージを持つ人がいても不思議では無いかもしれません。 ですが、自分のように(元ですが)キリスト教徒で、子供の頃から普通に鯨を食べてきており、勝手な言い分で反捕鯨を訴える諸外国に反感を持っている人間からすると、キリスト教と反捕鯨を結びつける理屈はよく分かりません。 ある人はキリスト教が独善的な宗教であり、その教義が根底にあるから彼らは独善的に反捕鯨を訴えるのだと言いました。 もちろん、宗教批判をする人や感情的に宗教を嫌う人がいるのは当たり前ですし、別にそれは全然構いません。 多くの矛盾や問題を孕んでいることも、それが原因で悲劇が起きていることも事実です。 キリスト教に限ったことではありませんが、その教えに独善的な側面があることも理解しています。 それゆえ、独善的な行動に出ることは確かにあるのかもしれません。 聖書の記述を盾にして中絶や同性愛を否定し非難する人達を見ると、独善的な宗教というイメージを持たれても仕方がないと思います。(中絶や同性婚を支持するクリスチャンも沢山いますし、増えています。) また、自分たちが意識していないだけで、無宗教の人から見たら日本のクリスチャンも独善的に見えるのかもしれません。 ただ、反捕鯨への批判にキリスト教を持ち出されると、じゃあ鯨を食べてきた日本のクリスチャンは・・・と思ってしまいます。 きっと日本のクリスチャンもグリーンピースやシー・シェパードに賛同している、と思われても困るのです。 皆さんは、反捕鯨とキリスト教に関連があると思われますか?

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noname#77550
noname#77550
回答No.8

オーストラリアに住んでいました。 確かにオーストラリアは動物愛護に関しては日本とは問題にならないくらい進んでいます。 私が住んでいた地域には野良猫など見た事はありません。 犬のためにはいたるところにドッグランがあり、正当な理由があれば犬同伴で入れるレストラン、ショッピングセンターなどは日本とは比較にならないくらいたくさんあります。 しかし、反捕鯨と彼らの宗教を絡ませるのは少しナイーブ過ぎないかと思います。 確かに彼らの哲学と宗教は切り離せないものがあります。 その一つには肉食があります。 私たち日本人が何の抵抗もなく肉を食べるようになったのは一世紀にも満たない歴史ですし、また存分に食べられるようになったのはさらに最近の事です。 肉は高価なものであり、その反面忌むべきものでもあった時代はついこの間の事です。 一説にはその証拠として「すき焼き」の名を指摘する人もいます。 しかし、キリスト教やユダヤ教では旧約聖書の時代から人々は肉を食べ、そして彼らの絶対的創造主である神を宥めるために、肉を捧げ、これを焼き、香りをたてて、神のご機嫌を窺ったのです。 この末裔が自分達は血の滴る動物の肉を食べる事に何の疑問も持たず、少数の国が食べるクジラを何故非とするのか? ただ、種の保存とか、地球の未来を考えて抗議の声を上げているのかをじっくり考えて見る事が必要です。 食肉業界が関係している事が無いと言えるでしょうか? グリーンピースはアメリカの団体ですが、何年か前、アメリカの大統領が通商代表を連れて日本に乗り込んで来た来た事がありました。 政治イコール経済です。 アメリカもオーストラリアも食肉輸出国です。 彼らは夢のような理想を掲げて生きているわけではありません。 私は反捕鯨問題をこのような目で見ていますが、どうでしょうか? 踊らされて、特定の国を敵視するのは余りにも幼稚に見えます。 ※ キリスト教は別に独善的な宗教ではありません。 それを利用している人間がそのような方向へ向けているという事です。 キリストが教えた教義が徐々に変質しているという事に過ぎません。

green1957
質問者

お礼

>食肉業界が関係している事が無いと言えるでしょうか? んーなるほど、その点は全く想像できませんでした。確かに政治イコール経済ですし、アメリカもオーストラリアも食肉輸出国です。 なにがしかの利権が絡んでいるんだろうとは思っていましたが、もし本当に食肉業界が後ろに控えているのだとしたら、彼らの矛盾した行動にも説明がつきます(もしかして日本に商業捕鯨を許したら、吉野家やすき家に鯨丼が出るとでも考えてるのかな)。 末端で反捕鯨を叫ぶ人達の感情はともかく、それが国の意見となると夢や理想の問題では無くなりますね。日本人が勝手に精神的な問題にしているだけってことでしょうか。 >踊らされて、特定の国を敵視するのは余りにも幼稚に見えます。 本当にその通りだと思います。反捕鯨というだけで、その国の全てを否定してしまうのは間違っていると思います。 以前、豪州のバラエティ番組が、捕鯨をネタに過剰な日本人攻撃を放送して話題になりましたが、豪州在住の方が書いたブログを読んで豪州のメディア自体にも問題があることがわかり、安易に反感を持つべきじゃないと反省したことがあります。 キリスト教の独善性については、一神教で他の宗教を否定している以上、聖書の教えに忠実になればなるほど、信者が独善的になる恐れはあると思います。 アメリカの原理主義団体が、過剰なまでな中絶や同性愛、イスラム教に反発する姿勢を見ると、教義の解釈次第では危険なものになる可能性は否定できません。(どんな立派な教義も、それを実行するのは所詮人間ですので) 要はaurora68さんと殆ど同じ見解ということなっちゃうんですけどね。 ご回答ありがとうございます、とても参考になりました。

その他の回答 (10)

  • magga
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回答No.11

キリスト教と動物愛護は関係ないのでは?と思ってます。 そもそもキリスト教では人間以外の動植物は人間にたべれれるために創られたものだという主張さえ耳にしますから。動物愛護ではないのではと感じてます。 パーリ語の仏典を学ぶものとしては「何じゃそりゃ?」といった感覚を抱きますが… ともかくキリスト教と結びつけるのはちょっと違うかなと思います。 以前は楽しいからと、殺して捨てていたのも同じ国ようなですから、後になって食べてる人に文句言うのは何なんだと思いますよね。 じゃあ「牛も豚も鳥も虫もうちの国では殺さない!殺すのはよくないんだ!あなた方もやめたらどうですか?」と言うなら説得力ありますが… ただ支援団体などをよくよく調べることが必要かもしれません。教えに則ってる団体ばかりではないでしょうからね。その団体が政治的になんらかの関係性を持っていて、その政党に多くの信者が票を入れ支援するなら、誤解される可能性が高くなるでしょうね。その場合同じ教徒とするかあれは邪教とするかで一人一人の態度が変わるのだと思います。 社会の評価などはいい加減なものです、そのようなものと思います。 ちなみに僕は動物を殺すことに賛同するものではありません。むしろ家畜とされている生命同じ生命なのだから、共に繁栄出来るような世界になれば善いと思ってます。 何か参考になれば幸いです

green1957
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >そもそもキリスト教では人間以外の動植物は人間にたべられるために創られたものだという主張さえ耳にしますから。動物愛護ではないのではと感じてます。 確かにキリスト教では、人類は神の姿に似せて作られた存在であり、万物の長という立場に置かれていますから、そのような解釈をするキリスト教徒はいると思います。個人的には非常に残念な考え方です。 ただ、そもそもの記述が誤解を生んでいるのだとしたら、聖書を見直す必要もあるかもしれません。(こんなことアメリカで言ったら原理主義者に命を狙われるかも・笑) 鯨に対する自分たちの価値観が変わったからといって、その価値観を他の国に押しつけるというのは、やはり間違っていると思います。 また、他の方のお礼内容と被りますが、環境保護団体や動物愛護団体に限らず大きな発言力を持った組織には、必ず何かしらの利権が絡んでいるものです。純粋な思想や理念だけで活動が維持できている組織は殆ど無いと思います。 >僕は動物を殺すことに賛同するものではありません。 無駄な殺生には僕も反対です。 アメリカのような食料輸出大国と、それに追随する日本のような経済大国が自国の食料産業を維持するために、必要量を遥かに超える食肉生産が行われています。こんな状況が正しいとは決して思いません。 捕鯨に関しても、仮に鯨の商業捕鯨が完全解禁になったとして、果たして日本の捕鯨産業を維持できるだけの需要があるのかという疑問はあります。

回答No.10

すみません、反捕鯨がキリスト教と結び付けられているのは初めてしりました。 日本でキリスト教徒が独善的な?宗教と考えられるのは仕方ありません。仏教国ですから。 しかし、なんとかしてキリスト教を含む外来宗教を駆逐したい考えが強いからでしょう。実際関係ないでしょう。 日本が国際法を守らず捕鯨を続けて、NGO団体が行動しているのですから当然の動きだと思います。悪いのは日本ですよ。殺生すべからずという仏教の教えに背いていませんか? 調査捕鯨の名を借りて、違法行為を繰り返している政府の方針がおかしいでしょう。やっていることは北朝鮮と変わりませんよ。日本のルーツは朝鮮半島かららしいですから、やはり血は争えないのでしょう。

green1957
質問者

お礼

日本において反捕鯨とキリスト教を結びつける人が、どの程度の割合で存在するのかはわかりません。 あくまで1人の人から言われて、そういう考え方をする人がいることを知って驚いたので投稿させていただきました。 ですが、その人がnobinobitachanさんと同様、仏教徒であったかどうかはわかりませんが、外来宗教の排除を目的とした発言だったのだとしたら怖いですね。 殺生すべからずという仏教の教えに背いていませんか、というご質問については、仏教とは無縁の元キリスト教徒の僕に問われても困ります。(笑) ただ、あえて申し上げるなら、日本には政教分離の原則がありますから、仏教の教えが政府の方針に影響を及ぼすような事態は避けるべきかと存じます。 あと、nobinobitachanさんが仰っている国際法とは、国際捕鯨取締条約のことでしょうか。 もしそうでしたら、国際捕鯨取締条約は商業捕鯨を禁止する条約では無く、鯨種の保存を目的とした条約であると同時に、捕鯨産業の秩序のある発展を可能にする条約でもありますから、日本の捕鯨は国際法には違反していないと思います。 ですから、北朝鮮と同じことをやっているという指摘には疑問を感じます。 ただ、日本の調査捕鯨が、調査と同時に商業も目的にしていることは確かでしょうね。 日本のルーツについては、そもそも日本列島がアジア大陸の端にくっついていたのですから、日本人も中国人も朝鮮人も同じ種族だったとしても不思議はないと思います。

green1957
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。

  • Mumin-mama
  • ベストアンサー率45% (1140/2503)
回答No.9

>鯨をペットとして考えているのでしたら、鯨が油の採取対象だった頃から、いつ ペットに変わったのかという疑問が残ります。 ○アメリカが捕鯨を止めたのは1927年らしいので、その後は鯨油に代わって石油になたのではないでしょうか。 ○昭和40年くらいのアメリカのTVドラマで「わんぱくフリッパー」というのが、放映されていたのですが、世界中で大変人気があったようです。 ○1980年ころにはオリビアニュートンジョンが世界中で大人気で、「イルカを虐殺する日本には行かない」とか言った時期がありました。 ○1990年代には「フリーウィリー」がヒットして、オルカのKeikoをいかに自然に帰すかとか色々世界で話題になりました。 ○ここ15年くらい欧州では、自閉症やダウン症の子供がイルカによってリハビリが行われています。 これらによる、感情が今現在の人たちの鯨やイルカに対するイメージだと思います。 また、欧州ではベジタリアンの人たち、特に若い女の子は皮製品も身に着けないという風潮があります。  

green1957
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 1927年にアメリカが鯨油を目的とした捕鯨を止めてから、「わんぱくフリッパー」が人気番組になった1965年前後迄の、どこかの時点で愛玩動物として認識されるようになり、徐々にその認識が高まっていったということですね。 人懐っこく、高い知性と美しい外見を有する鯨(イルカ)は人間の友達であり、それらを食べるために殺すなんて残酷ということでしょうか。 とすれば、Mumin-mamaさん達と同じ見解の持つ人達の反捕鯨論は、単なる感情論です。 オーストラリア人がカンガルーを殺して食べることに抵抗を感じる、日本人の感情となんら変わりがありません。 もし、動物園でカンガルーを見た日本の子供達が、オーストラリアのカンガルー狩りを見たら、ショックを受けて泣くと思います。 それとも、鯨(イルカ)はダウン症や自閉症のリハビリに役立つ特別な動物だから殺してはいけないが、カンガルーは知能が低いし医療の役にも立たないから食用として殺しても良いということでしょうか。 その辺のMumin-mamaさん達の感覚は僕には理解できませんが、いずれにせよ感情論を持ち出されるのでしたら、これ以上なにも言うことはありません。 「駄目だから駄目なの!」という感情には、どんな道理も絶対に通用しませんので。 ところで、アメリカ・アラスカ州では捕鯨が行われてますね。世界の動物愛護団体は、アラスカに対しても抗議をしているのでしょうか。 ベジタリアンについてですが、健康のために肉を食べないベジタリアンということでしたら良いのですが、動物が可哀相だからという理由となると理解に苦しみます。 植物も、動物とは生物としての形態が違うだけで、立派な生命体です。鉢植えの花は、水をやったり日光にあてたりと、ペットと同様にきちんと世話をしなくて花を咲かせず枯れてしまいます。 植物は良いけど動物は駄目という理屈も、ただの感情論に過ぎないと思います。 ですが、動物の皮製品については、僕も全く必要性を感じませんし、人間の過ぎた道楽でしか無いと思います。 一応、ここまでかなり反論じみたことを書きましたが、現在の人類、特に先進国においては、必要なカロリー摂取量を遥かに超えた食料を供給するために、明らかに無用な数の動物が殺されていることは事実です。 その辺りの問題については、Mumin-mamaさんに近い認識になると思います。

  • mambo_no5
  • ベストアンサー率22% (51/231)
回答No.7

キリスト教に疎い者のまったくの私見ですが、 絶対の神が存在し、人間と他の動物とが別次元の存在である、動物の中にも人間の中にも優劣が存在する このような考え方だからキリスト教が誕生したのか、キリスト教の影響でこのような考えになったのか・・(ニワトリと卵でしょうか。実際には相補い合っていると思いますが) 日本では、『狐はスポーツ(ハンティング)で殺しても良く、鯨は食用でも殺してはダメ』と言う理論は受け入れ難い反面、自分は食べなくても「犬を食べる、猿を食べる」と言った文化を頭ごなしに否定することもありません。 「うちはうち、となりはとなり。狐にも鯨にも魂がある」と考える日本人と、「神の正しいお導きに無知な外国人を啓発しなければ神にそむく」と考え行動する外国人。 キリスト教普及を旗印に、世界を征服していった歴史と、鯨漁への執拗な攻撃に同じ匂いを感じる日本人が多いということではないでしょうか。 なお、どうでも良いですが「人の嫌がる事をするな」と叫びながら嫌がらせをしてくる相手が「まとも」なはずがありません。

green1957
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 僕は出来損ないのクリスチャンだったので、キリスト教発祥以前の(ユダヤ教時代のものである)人類誕生の描いた創世記が、いったい誰の手によって書かれたものなのかだとか、またどういう経緯でユダヤ教が形成されたかなどは、恥ずかしながら全く知りません。 ですので、mambo_no5さんが推測されるニワトリと卵の件についても、肯定も否定もできません。勉強してみます。 ただご指摘のように欧州勢力の拡大の歴史は、十字軍の遠征などのように常に神のご加護をいただいて異教徒を滅ぼしていった、傲慢なクリスチャン達の歴史でもあります。 そう考えますと、一部の日本人は、血塗られたキリスト教拡大の歴史を、彼らの反捕鯨活動の中に見てしまうのかもしれません。 そもそも、欧州であれだけキリスト教が広まったのも、その国民性に合っていたからでしょうし。 最後の一文については、捕鯨に限らず何に関してもそんな人はイヤですね。(笑)

  • Mumin-mama
  • ベストアンサー率45% (1140/2503)
回答No.6

宗教と捕鯨反対とは関係はありませんよ。 以下、直接の回答ではないので、反対意見の方はどうぞ無視してください。 捕鯨を反対するのは、彼らが鯨を自分の身の回りのペットと同じ感覚でいるからです。 例えば、もしあなたが子供と一緒に何処かの水族館でイルカショー(イルカは5m以下の鯨のこと)を見た後で、もし鯨のステーキなど目の前に出されたら「おいしそ~」って食べられますか? それとも、家の飼い犬を「うちの子が...」というような人が隣の国などにいって、「狗のお肉はおいしい」なんて決して言わないでしょう。 日本は動物愛護について、他の先進国よりおろそかだと思います。 たとえば、アフリカ象は最近になってまた、象牙を捕るために殺されいますが、その象牙の輸出先は日本だそうです。 先日も「30年前、ペットを殺されたから」、「日本では毎年50万ものペットが殺されている」と普通の日本人では分けの分からないようなことを言って人殺しをした人がいましたが、おそらく海外の動物保護団体の人達は同じ様な感覚を持っていると思います。(もちろん、人殺しをするという思いの方ではないですよ。) 日本のペットショップに行くと、この動物がもし売れなくなったら、どう処分されるのだろうとかよく思います。 また、日本では賞味期限が切れたからとか、冷蔵庫や冷凍庫に置き忘れてしまった食べ物を捨てていたり、メタボだと騒いでいるのに、わざわざ人の嫌がることまでしてグルメのために鯨を捕らなくてもいいと思うのですが...。 日本は捕鯨だけでなく、先にあげた象牙、売れ残ったペットの処分や外来種の持ち込み、人工中絶、未成年者と幼児のポルノ、HIVの増加率とか外国から指摘される前に国内でちゃんと考えないといけないことだと思いませんか。

green1957
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 捕鯨反対のお立場からのご意見ということでよろしいのでしょうか。 一応、質問者の権利としての返答だけさせていただきます。 鯨をペットとして考えているのでしたら、鯨が油の採取対象だった頃から、いつペットに変わったのかという疑問が残ります。 また、私たちの国は今日から鯨をペットとして扱うので、あなた達が鯨を食べることに反対しますというのは、それこそ独善的だと思います。 鯨を愛でること自体はその人の自由ですし結構なことだと思いますが、それを絶対の正義として法で縛ろうというのは間違っています。 ヒンズー教徒は、ペットどころか神聖な動物として牛を食べませんが、他の人が牛を食べることを反対したりはしません。 貴方はインドだけで9億人はいるヒンズー教徒が神聖視しているという理由で、牛肉を食べるべきではないと思われるのでしょうか。 ちなみに、僕は子供はいませんがイルカショーの後でも鯨は食べられますし、牧場で可愛い子牛を見た後でも焼き肉屋に行くと思います。 ただ、ペット業界の実状などを耳にすると、確かに日本の動物愛護は遅れている部分はあると思います。 飼う側にしても、可愛い子犬の時だけかわいがり、成犬になって世話が面倒になったら捨てる人達がいたりと、問題のある飼い主が多いと聞きます。 また日本の象牙需要が、象の密猟につながっているのだとしたら、日本の政府は早急に対処する必要がありますね。 未成年者と幼児のポルノ、HIVの増加率については、日本は完全な後進国ですね。日本人として恥ずかしい限りです。 人工中絶については、それ自体はもちろん賛成はできませんが、ただ法で禁止してしまうと、強姦によって無理矢理子供を身ごもらされた女性の選択権を奪うことになります。 このようなデリケートな問題については、法で禁止されて一番困る少数の立場の人達のことを最も考慮する必要があるでしょう。 まずは、教育の現場や家庭でのしっかりとした性教育が大事と考えます。

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.5

キリスト教と反捕鯨は関係ないでしょう。 そもそも、反捕鯨が始まったのは、欧米諸国が鯨を捕りすぎて資源が枯渇してきたこと、燃料が鯨油から石油に置き換わり、鯨を捕る必然性が無くなったこと、環境保護の意識が高まったことなどなどです。 ※英米を始め、捕鯨を盛んに行った国はランプや機械の燃料になる「油」を採るためだけに捕鯨をしていました。 キリスト教の国でも、捕鯨推進派の国は存在しますよ。 日本以外だと、ロシア、ノルウェー、アイスランド、フェロー諸島(デンマーク自治領)なんかが食用に捕鯨してる国ですね。 あらら、日本いがはみ~んなキリスト教国家ですね。 ということで、キリスト教と反捕鯨はあまり関係ありません。 聖書の記述を盾にするのは、まぁ自分たちに都合よく聖書を解釈する団体や教会(プロテスタント系)が多いですね。 中絶や同性愛を否定してるのも、福音派の一部である米国プロテスタント保守層ですから。 まぁ、「キリスト教徒」として一括りにして相手を理解しようとしない日本人もどうかとおもいますけどね。

green1957
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね。言われてみれば、日本以外で捕鯨推進派の国は全部キリスト教国ですね。う~ん、本当にそうだ。 かつて乱獲していたことに関しては日本も大きな顔は出来ないでしょうが、油を搾り取ったら後はポイッよりは、ちゃんと肉をいただいていた日本の方がまだマシな気はしますね。(自国可愛さ?) >中絶や同性愛を否定してるのも、福音派の一部である米国プロテスタント保守層ですから。 同じプロテスタントだった者からすると耳に痛い話です。ただ、殆どの宗派はどこかしら自分たちの都合の良いように解釈をしていますが、どちらかと言えばプロテスタントの方が聖書の記述に厳格だと思います。 中絶や同性愛への批判も、普通に読んだら否定するしかない記述が存在するからですし、様々な点でカトリックの方が寛容な解釈になっていると思います。(あくまで日本のキリスト教の話ですが) プロテスタントが息苦しいなら、カトリックもお試しあれと勧める方もいらっしゃるようです。 ですが、これはどちらが正しいという話ではありません。あえて持論を申し上げるなら、未だかつて聖書を100%正しく解釈した宗派も信者もいないと思っています。(そもそも、聖書自体が記述者の都合や価値観にそうとう影響されているでしょうし、聖書が今の形に編集された時にも、都合の悪い記述は削除されていると思います。) >「キリスト教徒」として一括りにして相手を理解しようとしない日本人もどうかとおもいますけどね。 そうですね。まぁ何が何でも理解してくれとは言いませんが、十把一絡げに批判されても困りますね。 僕自身は、別にキリスト教を否定して離れた訳でもないので、信者よ増えろ!とは思わないまでも、日本人も知識として少しは知って欲しいとは思います。

  • eroermine
  • ベストアンサー率18% (83/444)
回答No.4

アメリカでは誰もが日曜朝教会に行ってた頃鯨を捕ってました。 その後キリスト教の影響が薄れ、鯨教等の新興宗教がはびこってきたと考えてみては。

green1957
質問者

お礼

なるほど、鯨教ですか。それは面白い見方ですね。 確かに、キリスト教国のされている国でも、クリスチャンを自称しながら全然教会にも行かず、聖書も読まない。 クリスチャンとしての生活と程遠い生活を送っている人達が多いのは事実ですからねぇ。 まぁ逆に頑迷なキリスト教原理主義者も増えてはいますが、それでも、存在の証拠の無い神を信じるより、素直に神々しい存在として認識できる鯨を崇拝する人がいても不思議は無さそうです。 でも、本当にそんな宗教が蔓延しているとしたら困ったモノです。

green1957
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

反捕鯨とキリスト教に関連があると思われますか? 関係してますよ。キリスト教というのは新約聖書の部分のはずですが、なぜか旧約聖書を引き合いにだすんですね。旧約聖書はユダヤ教の部分ですが、創世記は皆参考にするんですよね。神が天地を創造した後、鳥それから鯨を創造するんですね。人間の創造はその後ですね。つまり哺乳類としては鯨が一番早く創られたということで、ユダヤ教学ベースのキリスト教では「鯨」は特別な存在ですね。鯨の後に牛も創造していますが、これは食べ物だと考えてますね。大いなる矛盾がありますが鯨が1番ということで気にかける人は多いね。日本のキリスト教はプロテスタント系が多いのかな。あまり旧約聖書部分は読まないのではないかと思いますが、アメリカやオーストラリアなんかでは旧約部分も入ったキングジェームズ版が普及しているから、影響が大きいですね。 つまり、反捕鯨とキリスト教は「創世記」から出てきている問題ですね。だから解決が難しいんですね。

green1957
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 関係ないよ、という意見ばかりになっても変だとは考えていましたので、嬉しく思います。 創世記との兼ね合いで、鯨の保護を主張する人達がいるとは知りませんでした。勉強になります。 ただ、日本のキリスト教で、カトリックにせよプロテスタントにせよ、旧約を読まない人は非常に少ないと思いますよ。(少なくとも僕は会ったことは無いです) 確かに、聖書を旧約と新約を別々にまとめて出版もしていますが、あれは単に一冊にすると重たいからじゃないでしょうか。(笑) 一般的に、旧約+イエス誕生以降の新約で、初めて神の教えとして完成すると考えるのがキリスト教です。 教会でも、いきなり新約から読ませるようなことはしません。かならず天地創造からの説教になります。 新約(イエス=神の子)を認めないのがユダヤ教と考えた方がよろしいかと思います。

  • maki5784
  • ベストアンサー率25% (3/12)
回答No.2

捕鯨とキリスト教とは全く関係が無いと思います。かつて、アメリカは太平洋で捕鯨を盛んに行ってきました。その船団の補給基地として日本に求めていました。脂をとるのが目的で、他の部位は捨てていました。その後石油製品に置き換わると捕鯨は止めています。自分たちに必要がなくなったために、動物保護を理由に反対活動をしているのです。また、動物保護の活動もキリスト教とは無関係だと思います。当然どんな宗教でも無益な殺生は勧めていませんが。 かつて日本やノルウェーが無秩序な捕鯨をした結果シロナガス鯨が絶滅の危機に陥ったことは猛省しないといけないと思います。

green1957
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうなんですよね、今、日本の捕鯨に反対している国の多くが、かつて盛んに捕鯨を行いましたよね。そして、鯨も少なくなったけど石油が採れるようになったから、鯨は捕らないようにしちゃおう。別に全然困らないし。 みたいな感じなんですよね。 そこに都合良く動物愛護という言葉を持ち出してきた。本当にそう感じます。 ただ、No.1の方へのお礼にも書きましたが、その独善性がキリスト教の独善性の影響を受けていないとは、言い切れないのかなと考えてしまいます。(汗 日本やノルウェーの過去の乱獲には、反省すべき点は多々あると思います。あのまま、無秩序に捕鯨を続けていたら、本当に絶滅してしまったかもしれません。一時的な緊急処置としての商業捕鯨の凍結は正しい選択だったと思っています。

  • pooh-03
  • ベストアンサー率24% (14/57)
回答No.1

キリスト教と反捕鯨は関係ないと思います。 反捕鯨は、団体幹部ががっぽりもうけるマルチ講みたいなものだと思っています。(下っ端はうまく乗せられるだけ) キリスト経は、人類だけを神の子として特別な存在として扱い、動物とは一線を画しているんだと思っています。 キリスト経は、命の尊さを説くときに、動物の命の尊さを尊重しているのでしょうか・・・? ですから、反捕鯨団体の主張とは根底が違うと思います。

green1957
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 マルチ講とは手厳しいですね。(笑 でも、多くの環境保護運動には何かしらの利権が絡んでいるので、あながち間違いとは言い切れないかもしれませんね。 ただ、質問文の中で反捕鯨とキリスト教を結びつけた人は 欧米の文化は、キリスト教こそが唯一無二の正しい教えであるとする、絶対的な正当性を唱えているキリスト教の精神を主柱にしているから、その中で生まれ育った欧米人は、自分たちこそが常に正しいと思っている。 そのように考えたように思われます。 確かに、キリスト教は他の宗教を一切否定していますから、独善的と言えばかなり独善的です。 とすれば、なぜ鯨なのかという以前に、反捕鯨活動の独善性とキリスト教に独善性を結びつけられても仕方がないのかもしれません。 自分で質問しておいてなんなのですが・・・・・ ちなみに、キリスト教は万物の長として人間を位置づけていますが、他の全ての命もまた神の創造物である以上、それを蔑ろにして良い訳はないのです。 キリスト教の精神に基づいた動物愛護という考え方は十分に成り立つのです。 でも、やっぱりなぜ鯨だけ?、という疑問は残りますけど。