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映画「ザ・コーウ゛」の上映差し止め問題について
- 映画「ザ・コーウ゛」の上映差し止め問題について皆さまのご意見をお聞かせください。表現の自由を巡る論争や映画の内容について考えてみましょう。
- 映画「ザ・コーウ゛」はアカデミー賞ドキュメンタリー部門を獲得した作品ですが、取材方法や編集内容に疑問が呈されています。表現の自由と地元住民の権利の衝突について議論しましょう。
- 映画「ザ・コーウ゛」の問題点として、事実との乖離や取材方法の問題、主観的な編集が指摘されています。地元の住民の権利や表現の自由を考える上で、この問題について意見を聞かせてほしいです。
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憲法21条の「表現の自由」の保証は、公権力による表現の自由の侵害を規制するものです。民間を規制するものではありません。 今回のケースでは、上映の自由もあれば、上映に反対する自由もあるのです。 この映画の監督は、「家畜以外の動物は一切食べるな。魚もダメ。」の考えの様だけど、耳を疑いますね。それでも「身体の為に食物連鎖の下位にいる小魚は食べる。」そうです。言行不一致の極み。こんな人物が監督した映画など見る価値なし。 欧米人は『郷に入りては郷(の人間)を従えろ。』の考えなんだな。 ところで、「ザ・コーヴ」は来月から日本での上映が決まりましたね。鯨と違ってイルカは一部の種を除いて漁が禁止されていませんが、モロッコでIWC総会が始まります。さて、どうなるか?日本は捕鯨国のノルウェーやアイスランドと協調歩調を取って欲しい。
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- mt53s6e
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欧米であれば、裁判を起こす事案です。 被害をこうむり、精神的にも、苦痛を受けたのなら、その理由も明示して、きちんと裁判するべきです。(慰謝料請求) そうしないと、外国人には、あなたの考え方は、わかりません。 撮影のとき、約束があり、それが破られたのなら、契約違反として、裁判し、損害賠償請求するのが、筋です。 あなたの主張するような”上映禁止”では、盗撮した人に何のペナルティーもなく、あなたの苦痛もわかってもらえません。 日本人は、国際化しないといけません。
- czplka001
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彼らの得意とするとこです。 同じレベルでやり返さないと、作った人もマスコミも理解できないのでしょう。 牛や豚を神のように祀っている人々が、牛や豚を太らせて殺して出荷して商売にし、さらに喰っている映像を写して、あいつら罰が当たるぞと・・・。 ここまで低いレベルで訴えないときっと彼らにはわからない・・・。
- furiten555
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鯨の問題以前に、あの映画は盗撮なので、 映画の前に上映される 「劇場内での映画の撮影・録音は犯罪です。法律により10年以下の懲役、もしくは1000万円以下の罰金、またはその両方が科せられます。不審な行為を見かけたら、劇場スタッフまでお知らせください」 と言うビデオと矛盾していますね。
- mt53s6e
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映画を見ないことには、批判もできません。 取材を受けたけど、事実を曲げられた人たちは、そのことを、声高に主張するべきです。 日本および外国の新聞で、きちんと反論するべきです。 黙っていては、認めたことになります。 この映画を、日本人に見せないことに、どういう意味があるんでしょうか? 「上映差し止め」というのは、一時しのぎの鎮静剤にすぎません。 「もう、忘れてくれ!」という態度こそ、稚拙です。 外国人には、きちんと言葉で説明しないと通じません。 まだまだ、これからも、捕鯨で、日本叩きは続くんです。
- nourider
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太子町ではありません、太地町(たいじちょう)です。 表現の自由と言う考え方からすれば上映反対というのはある種の暴力です、観て判断すればいいし、厭なら見なけりゃいい。 私も太地町の近くの出身です、40年前、保育園の給食で肉じゃがといえば鯨肉でした。パサパサして美味しくなかったですが、今のように食肉が流通していなかった僻地においては貴重なタンパク源でした。 ところで日本では海亀は古来より神の使いとされ、あまり食する習慣がありませんでしたが、太地町の近くの紀南地方は日本では珍しくウミガメを食べます、それは明治初期から昭和中期まで、現金収入の少ない同地方では外国(特に豪州)でのダイビング漁に従事する者がおおく、現地の西欧人にウミガメの味を教わり、郷里に帰ってからもウミガメを食しました。他の日本人からは奇異な目で見られながらも。 最近は表向きには食べていないと言われています、でも時々は食しているようです。ウミガメって浜に上がっているのや漁の帰りに浅瀬でみつけたのをボコボコにドツキ倒して殺すのですが、特に浜辺で殺す時は涙を流しながら死んで行きます。 肉が臭いのでそのまま浜で解体し、炊いて食します。 でも他の日本の土地のひとにはあまり理解されないので、ほとんど食べなくなりました。それどころか最近は「海亀の産卵する浜を守ろう!海亀を守ろう!」というキャンペーンをしています。食うてたくせに(^^; やはり亀食いの文化?を啓蒙することもせずにいたらこうなります。 イルカクジラも同じ事、食文化という錦の御旗にあぐらをかき、世界への啓蒙を怠っていればいずれ紀州での亀食のようになります。 日本以外にたくさんの捕鯨国がありますが、なぜ日本だけがやり玉にあがるのでしょう?それは自国近海だけではなく外国にまで出かけて捕るという行為に対する違和感です、まぁ彼ら反捕鯨団体はそもそも水産業に対する理解が偏見に満ちており、外国ですら主流派ではないのですが、主流派の意見を汲み取りやすい映像を「狙った」というのもあるでしょう。 彼ら反捕鯨団体の奴らに、「じゃあファーストフードネイションという映画を観てみろよ」と言いたいですが、彼らはそもそも観ませんし、「オレはベジタリアンだから関係ない」という論調ですからそもそも議論がかみ合いません。 調査捕鯨という題目を続ける事で莫大な予算を食い、既得権団体になっている水産庁の天下り団体や、そこにうごめく政治団体など、日本人としても足下を見つめ直す時が来ていると思います。 まぁ、映画自体の出来はお世辞にもいい出来ではありませんし、マイケルムーアが強烈にブッシュ政権を批判した映画が賞を取ってもブッシュは再選されたように、あまり影響力は無いのです。 日本人はビビリすぎ。
- nasi000
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全国26館で公開予定だったが、3館が降りた。 保守系団体の圧力が原因との事で確かに問題、だか「一部映画館で差し止め」との事なので、大騒ぎするほどではない気もする。
- C-elegans
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一応先に述べておきますが、私は捕鯨に賛成で、 ザ・コーヴの主張を受け入れるつもりま毛頭ありません。 それでも、上映さし止めを「要求すること」には反対です。 (各館の自主性によって上映を取りやめることは別です) >1 事実と反している内容を、ノンフィクションといいながらドラマ仕立てに編集していること まず、「事実」とそこから導かれる「主張内容」はそれぞれ別個の対象です。 事実ではないことをさも事実であるかのように述べたうえで、論理展開するのは、 最終的な結論が正しいかどうかにかかわらず、まずそのように主張すること自体が間違いです。 しかし、事実から間違った論理を展開し、間違った結論を導くのは、 述べること自体が許されない主張ではありません。 まず主張が為された上で、論破され、そこで初めて却下されるべき主張です。 件の映画は、事実ではないことを述べているのではなく、都合のいい事実を取捨選択し、 間違った論理展開をしているだけのように思います。 また、ドラマ仕立てとノンフィクションは背反するものではないと思います。 ドラマ性のある過去を持つ人物を軸に据えていますし。 >2~4 この3点は確かに「正しいこと」ではありません。 しかし、ドキュメンタリーの性格上「100%間違っていること」でもありません。 取材対象の発言意図を無視しても、当事者たちの「本当の声」を映像に出すことは必要です。 非合法な手段でなければ、取材し主張すること自体が不可能な事態もあります。 人権を守るために、別の人権を毀損しなければならないこともあります (どう天秤にかけるかは別問題として) 例えば「民族浄化のドキュメンタリー」がいい例です。 民族浄化している側から話を聞くときに取材の意図を話してしまえば、 本当のことを話さないこともあるので、取材の意図に関して嘘を言い、 発言を、当事者の意図とは別の意図によって、集めなければならないこともあります。 民族浄化を取材すること、それ自体が非合法であったり、 取材する手段が、非合法的手段しか残っていない事態もあります。 民族浄化に関して、当事者を名指しで批判することで、 当事者の人権を少なからず毀損することもあり得ます。 特定の地域では「正しいこと」ではあるが一般的に「間違っていること」を是正するために、 その地域では「間違っていること」をしなければならないことがあります。 文化の垣根を超えるドキュメンタリーにはそれが顕著なのです。 自分は「イルカ漁」が「民族浄化」と同じだと主張するつもりはありません。 しかし、我々が「イルカ漁は他の漁、狩猟と異なることはない」という前提の世界にいる一方、 「イルカ漁は民族浄化と同じ虐殺だ」という前提の世界にいる人々も数多くいるのです。 民族浄化の当事者たちが「浄化は虐殺ではない」と主張しているのと同じです。 「イルカ漁」と「民族浄化」は決して同じものではありませんが、 2つの認識世界の間に「ズレ」があるという構造は同じなのです。 その「ズレ」を是正する必要性が十分に大きくなる時、 ドキュメンタリーの必要性は2~4に優先されなければなりません。 悪質な妨害をして出入り禁止になったのは当然で、 それを乗り越えて盗撮したことは責めを負うべきものです。 しかし、そのドキュメンタリーの必要性がその犯罪性に優先される論理の世界があり、 我々も、その世界との「ズレ」を是正したいと考えるなら、 その犯罪性をある程度許容しなければなりません。 そして「ズレ」は放置しても是正されません。大きくなるだけです。 以上の理由より、自分は1~4を理由に上映のさし止めを要求するべきではないと考えます。 また、各館の裁量によって決めるべきものではありますが、 できる限り上映してほしいと思います。 間違った主張から目をそむけても論破できません。 論破するためにはまず、その主張に目を通さなければならないからです ※ 上映さし止め圧力は、イルカ漁反対派にとって大きな追い風になっているのも、 ここであえて上映すべしと主張する理由です。 ※ ついでに「いのちのたべかた」も同時上映するといいと思います。 あと、どこのものだったか忘れましたが、イルカ漁をアウシュヴィッツの虐殺に例えつつも ナチス式優生思想まるだしで笑うに笑えない、監督のインタヴューも同時に上映するといいですね。
お礼
ありがとうございます。 この上映をきっかけに議論が起こることはいいことだとは思うのです、ただ、地元の方々が反論も出来ず一方的に悪者にされてしまう心情を察すると、なんとも言えない気持ちになるのです。 ある日突然平和な町にやってきて、一方的に理論を展開して弱者を殴り続けるようで・・
- 4by4-ko
- ベストアンサー率45% (86/190)
そもそも、マスコミが言う「表現の自由」が偏っていると思います。 映画、漫画、アニメ、コンピュータゲーム、インターネット…… マスコミの(表現の自由なんてまるっきり無視した)メディア批判を何度も見ています。 小泉総理の訪朝直後に、(朝鮮総連などから)抗議が来るので拉致報道を控えたとマスコミは堂々と答えていますし、同和利権や在日特権が表面化してこなかったのも、マスコミが報道に消極的だったのが主要因のひとつです。 事件が起きて放送自粛する事は日本ではめずらしくないですよね。米国メディアでも「911テロ」直後では、映画やテレビなどいろいろと自粛をしています。 映画に対して抗議する自由があるし、抗議を受け入れないで映画を上映する自由だってあります。 都合良く「表現の自由」問題にすり替えて報道するマスコミが、この騒動を自己防衛に利用しているように思えて不快です。 議論で反捕鯨派が論破したところを見ないのは、反捕鯨の大部分が感情論で占められているからだと思う。だから、その主張がエゴに近くなります。 映画『ザ・コーウ゛』の太地町のイルカ漁非難は明らかで、映像を反捕鯨活動に利用してる事もほぼ間違いないでしょう。 個人的には、映画への抗議は“妥当”に思えます。
お礼
最近のマスメディアの情報発信は「無責任」だと思うのです。コメンテーターが勉強不足で知識もないのに、あたかも知っているかのごとく発言する薄っぺらさ・・(個々には言いませんがひどいと思います。) 「正義の為なら手段を選ばず」この思想はまさにキリスト教的思想だと思います。1414年 ローマ法皇がトラデシアス条約を発布した年から ポルトガル オランダ が世界に向けてキリスト教布教を名目に世界侵略を始めました。「キリスト教であらずば人であらず」虐殺の限りを正義を振りかざして行ったこと。この映画があれと重なって見えてしまうのです。
補足
ごめんなさい、トラデシアス条約は 1494年でした。
- saisaibou2
- ベストアンサー率31% (6/19)
マスコミは、健全な状態なら表現の自由の上に成り立っている商売ですから、特に敏感になるのかもしれませんね。 また、マスコミは何かと世論を誘導して正義の味方になりたがる所があります。 でも、表現の自由は尊重すべきだと思いますが、その表現物には必ず発表の場が与えられなければならないか、とか必ず評価されなければならないかというと、それは表現者の努力の範疇であって、売れない原稿を持って出版社を右往左往している漫画家が、表現の自由を盾にマスコミに訴えても、発表の場が与えられない事に何も加勢してくれないでしょう。 ザコーヴの日本での評判がそうだったというだけですから。 では、マスコミはアメリカが原爆の展示をスミソニアン博物館でさせ無かった事をどう扱ったでしょう。あれも表現の自由を奪ったのではないでしょうか。れっきとしたドキュメンタリー資料です。 方やアカデミー賞を与え、方や展示も許さない。アメリカだって自国民の感情でそういう行動をとるのです。表現物がその発表の場が与えられるかどうかは、民意に大きく左右されます。 それから、ご質問のタイトルですが、キャッチーなタイトルとしては良いかもしれませんが、差し止めちゃったら公権力の介入ですので、それは憲法違反です。
お礼
ありがとうございます。 最近のマスメディアの薄っぺらさには、うんざりしています。これが民意を煽って世の流れを創っていく一つの力なのかと思うと・・怖いです。 マスコミも一つの商売ですからね。官房機密費がマスコミに流れていたという疑惑も気になるとこです。
- monyu2
- ベストアンサー率0% (0/1)
歴史教科書を読みもせずに歪曲だと決め付ける韓国人に対して、日本人は教科書を読んでからどこが 歪曲なのか言え、としばしば主張します。質問者さんも1~4までのことは、もちろん映画を実際に見て 確認したわけですよね?まさか、そういうふうに報道されているからそうなんだと思い込んでいるわけでは ないですよね?そうでなければ歪曲!歪曲!と騒ぐ韓国人と同じ行動をしていることになりますよ。 多くの日本人もこの映画を実際に見てはいないはずですから、まずは映画を見て、相手が何を言わんとしているのかきちんと理解してから反論しても良いのではないでしょうか。そういうことも認めないで一方的に上映中止しろ!俺達の意見に反対する奴は許さない!というのが良いなら北朝鮮にでも住むのが良いです。 映画作成者が公開をする場を提供しない、問題定義も起こさせない圧力団体の権利を声高に叫ぶのが正しい 人権論者なんですかね。配給会社など上映する立場の者からすると、上映を中止に追い込まれた「被害者」で 街宣車を出したりして執拗に抗議する人々は「加害者」ですが、被害者よりも加害者の人権を声高に叫ぶのが正しいと思いますか? 自由というのは自分の自由を認める代わりに他人の自由も認めて初めて成り立つものであることを お忘れなく。
補足
返答ありがとうございます。 やはりこのような意見が出てまいりましたか、という感想です。 まず 住んでいるところが田舎なので上映をしておりません。「観たかどうか」この観点が出てくると思いました、私の思考としましては「観たかどうかは問題にあらず」です。なでだか?それはこの映画がマスメディアを通じて社会に発信される、この情報を世間では「どのように捉えられているか」が重要だと思っているからです。 アカデミー賞受賞作 その内容は「反捕鯨、反イルカ食うな これをしている連中はけしからん人種」 これは事実です。 今、社会にあるこの映画に対する感覚は、こんな感じだと思います。では、一方的に仕立て上げられた地元の方々は、それに対してどのように、この映画を観た人々に反論をしていけばいいのでしょうか? 手だてはありますか?大きな力を得た(アカデミー賞受賞)ものにどのように反論していけばいいのですか?あまりに無力ですよ。その考えなくしてこの発言は無責任です。 加害者と被害者を差し替えて議論をすることに違和感を覚えます。そして 「自由というのは自分の自由を認める代わりに他人の自由も認めて初めて成り立つものであることをお忘れなく。」これはいかがなものでしょうか?私が考える自由とは、「そこに責任が伴うものではなければと考えます。責任とは相手を思いやる心であったり、不快にさせない気配りであったり、思いやりです。自由を認めて他人の自由を認める、これは聞こえがいいでしょう、相手が無法者でしたら成立致しません。自分の自由と相手の自由、同じ空間で共存するためには、高い規範、自覚が必要です。安直に自由を主張する意見には断固反対します。
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お礼
ありがとうぼざいます、確かにびびりすぎだと思うのです。 自分が思うのには ある日突然太地町(すんません)の方々が世界のさらし者になって悪者扱いされる。それに対して反論する術を持たない、持てないのは、あまりに卑怯な気がしてなりません。 ある日突然、ヨーロッパから来襲してきて「キリスト教の教えを守らない者は人間じゃない」と言いながら虐殺していった人々と重ねて見てしまうのです。