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怒鳴って叱ることに、効果はありますか?
怒鳴って叱ることに、効果はありますか? 子どもを持ったことが無く、親戚も少なかったので子どもと触れ合う機会が、子どものころからあまりありませんでした。 実際のところ、どうなんでしょうか? 私が小学生の頃、叱る時によく怒鳴る先生と殆ど怒鳴らない先生が担任になりましたが、怒鳴る先生はあまり記憶に残る学びが今考えると思い出せず、怒鳴っていた事だけを覚えており、反対に怒鳴らない先生は、叱られた時冷静に淡々と語っていたことをまだ覚えていたりするのです。共に、男性の先生でした。 怒鳴って叱ることで、子どもなら萎縮することはあるかもしれませんが、学びを得ることは無いような気がしています。
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質問者が選んだベストアンサー
私もそう思います! 怒鳴って叱られると子供は、何がそんなに悪いのかも解らずに従うしかないと思います。 叱るという事の目的は、間違いを起こした時に、間違いを繰り返さないようにするため、子供自身に何が悪かったのかを理解してもらう事が大事だと思います。 なので、怒鳴る先生のもとには、その先生がいなければ何をしてもOKという子供が育つと思います。 実際によく見る光景ですがw
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質問者様・読んだ回答者様方とほぼ同意見です。 初めて教わる事や、まったくもって同じ状況や内容で正当な活動の範囲で同じ言葉を発せられても差が出ると思います。 その場だけでは無く、国全体で考えても違う扱い(不当な)をされているのと同じなので。 怒鳴ることも時には必要かもしれないとは思います。 被害者は加害者が怒られるまでに、いくつもの課せられた条件らしき過程を経なければいけない割合が多いと感じるものの、加害者は、その場合、無条件かのように被害者にあたりますし、それも差が出るので、本当に死傷・支障に向く内容では怒鳴り止めようとする動きが無ければ人・大人・社会が信じられず善悪の判断も歪み続けると思う時があるからです。助かった人も居るかもしれません。 怒鳴るから効果がある実証というのは詳しく分かりませんが、怒らせてしまうと出る言動という中では、長年同類に見聞き出来る程、分かりやすい状態になるので、喜怒哀楽の怒というものを知るには明確な時に怒鳴る事を知る事によって、感情の1つと物事との共通点は分かり、人が受けるには嫌がる言動でもあれば避けた言動に出る場合も多くあるのだと思います。 何ら悪い事をしていなくて遭ったり怒鳴っても言う事を聞かない子たちも見聞きして効果が無いことばかりを覚えたり酷く身心が痛んだ記憶があり避けたくても避けれなかった感覚が根強く残っている危険察知が働いている人であれば、身心の今後の状態の方に先ず意識が向くので、言いたがってる内容が上手く吸収できずに居たり不当で支離滅裂な悪質なものであれば単なる脅迫・強迫にしか思えず得る気にもなれなくなると思います。 身体に力が入らず目を瞑ったり眉間にしわを寄せたり表情を歪ませてるように変わってる時は脳内も何らかの異変があり、移り変わってる最中なので、待てない人は体内に負担をかけ続けてる人としてしか見聞きされていない状態でしょうし、その印象ばかりが衝撃によって記憶に残されるだけもあると思います。 大切な話も台無しで不快な内容が付きまといそうです。 穏やかに言っても時々の低刺激の連続となる音波が、その人にとって不快であれば同じでしょうし、同じく前後の取り巻いてきた内容やその場で言われる遭ってはいけない時の言葉があれば怒鳴られてる感覚と合わさっていくと思います。 広い場所や雑音が入る場所や集中力を欠いてはいけない時・場所・場合で大声で指示を言わなければならない時には、喜怒哀楽の怒が出やすくなる可能性も高いですし、悪い失敗をしていれば気づいているかの確認や後に切り返し早急に元に戻していかないといけない為の合図として確りしてくれと確保を意味して応急的に受けることもあるでしょうし、特に動きが多い場合は呼吸の流れと内容で怒鳴るのと同等程度の状態になることも避けられないことはあると思います。 負担や止め避けなければいけない危険度によって責任分が無意識のうちに言動におさまらず出させてしまう意味でも。 間合いも考えず声の圧力により鼓膜が人の声によって破れたケースもあるようですが、そこらへんも考え、鼓膜はどうにか確保出来ても奇声を発するなともいうように高音でキーンと走るような脳に影響を与えやすい音(聞き取り難い音に値するので負担がかかる)や低すぎて衝撃の強い音は刺激を与えすぎる嫌いがあるので、配慮も要ることを小学生の頃から知っていてもらわなければならないと思います。 少し知る為に間接的に聴かせるならば知り得ることは可能になるまでですが、延々とであったり不必要に常習行為では聞き分けに支障が出ると思います。
お礼
そうなんですよね、怒鳴られる=不快という式が子どもの中に(大人でもかもしれませんが)できてしまうと、怒鳴る内容が右から左へ流れる状態になるような気がします。 ただ、感情の一つとして、怒鳴ることで「怒り」を子どもが理解できるようになるというのも納得しました。そして、穏やかでも精神的にジワジワとくる痛みを浴びせられたら、怒鳴られなくともキツイですね。 ご回答、どうもありがとうございました。
- Carbadoc
- ベストアンサー率19% (144/750)
怒鳴って叱る効果・・・うーん、少なくとも、怒鳴った側のストレス発散にはなるでしょう。 恐怖によって支配できるので、周囲からは、「おとなしい良い子」に見せることができましょう。 (実のところ、子供は自発的に何も出来なくなっているだけなのですが) そういう状況に置かれた子供が、なにかを学ぶとしたら、相手の顔色を伺う術でしょう。 感が強いとか、空気を読むのがうまいとか、そんな感じの力になると思います。
お礼
そうなんですよね、冷静に叱るというのも、ストレス溜まりますよね。 怒鳴って発散してしまった方が叱る側はいいでしょうね。 空気読んで、顔色を伺って…そうですね、私も同感です。やはり、怒鳴る事のデメリットの方が大きいような気がするんです。後々のことを考えて。 ただ、子どもを産んだことがなく、子どもを育てている方からすると、やはりこの考えは甘いのでしょうか… ご回答、どうもありがとうございました。
- blazin
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ケースバイケース、相手に拠るんだと思う。 怒られて気がつくタイプ、伸びるタイプと。 怒られたらそれに萎縮して、精神的に不安定になって学びさえ得られないタイプも居る。 丁寧に思う所を伝えて、相手の良さも受け止めた上でメッセージとして 諭す、届ける形が良かったり。それは簡単には掴めない。 それを決め細やかに感じて、対応していく、してあげられるのが一番望ましいんだよね。 怒られる時って。それなりに自覚があるんだよね。 自覚がある場合には。ただ怒られたというダメージだけが残る事は少ない。 自分自身やむを得ない部分も感じているから。その時点で相手には気づきとして活かされてる。 自分で良かれと思っていたり、これで良いんだと思っていた部分が。 相手があっての受け止め方、相手があって成立するものなんだという学びを得られる。 怒られて気がつく。相手を怒らせた自分自身に対して目が向いていく。客観的に。 怒る側としても。何故怒っているのか。何を伝えたいのか。 そこを混濁させた感情に流された対応をしてしまうと。 それは場合によっては学びさえ伝えられない感情的なぶつかり合いで終ってしまう。 大切なのはフォローなんだよね。 そこは先生の側としても難しい部分なんだと思う。 優しいスタンスばかりでもなめられてしまうし、高圧的な対応ばかりでも子供たちは 離れてしまう。 貴方の場合には丁寧に自分に対して語りかけてくれる先生がスムーズにフィットしたんでしょうし、 人によっては強く言われた事がきっかけで、自分を見つめなおす、振り返るきっかけになって。 ああいう風に伝えてくれなければ今でも気がつけなかったかも知れないと感謝している人も 居るんでしょうからね。心ある同志。本当に人それぞれ、受け止める側もそれぞれなんですよね☆
お礼
そうなんですね、自身が大人しい子どもだったので、これは個人的な場合だけなのか。 例えば、暴力だったり攻撃してくる子どもを相手にした場合、怒鳴ることは教育的に効果はあるのだろうか?とずっと疑問だったんですね。 怒鳴ることで、子どもを卑屈にさせてしまうのではないか?悪影響なのではないか?と思い、質問に至ったのですが、なめられないために、怒鳴るという理由もあるでしょうね。 ご回答、どうもありがとうございます。
- saneha
- ベストアンサー率32% (9/28)
子供のころ、怒鳴る先生と諭す先生がいましたね、確かに。 高校の時に、絶対怒らない先生がいました。担任で、男の先生でした。教室が騒いでいても、授業を聞かなくても、ただじっと待つ先生でした。みんな大好きでしたよ。 でも、その先生も一回だけ怒鳴ったことがあります。内容は覚えていませんが、でも、あの先生が怒った!!という記憶は鮮明です。 結論からしますと、怒鳴るということは印象には残るけれども、内容は残らない、というところでしょうか。それも、年中怒鳴っていたら効果はもっと薄くなる気がします。 叱ることは「印象付けること」だと思います。どの程度、その子供の心に残るか、ではないでしょうか。
お礼
>年中怒鳴っていたら効果はもっと薄くなる気がします 私も同感です。 絶対怒らない先生が1度怒鳴った記憶、というのも私も同じで、印象に残ってます。ただ、私も内容を覚えていないんですね。 ご回答を読んでいて、怒鳴る教師からは、多分「しっかりと叱られたという印象」が無いんだと思いました。叱られたというよりも、怒鳴られた、という印象で。 ありがとうございました。
お礼
>叱るという事の目的は、間違いを起こした時に、間違いを繰り返さないようにするため、子供自身に何が悪かったのかを理解してもらう事が大事だと思います。 その通りですね!これが、本当はここが1番重要なことなんですよね! その先生がいなければ何をしてもOKという子供が育つというのも、肯けますね。 どうもありがとうございます。