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小説家としての資質

おはようございます、先日「小説家になるには」と質問させていただいたbike-sssrです。 似たような質問で恐縮なのですが、もしお暇がありましたら、耳を貸してください。 僕は理系大学に在籍するものです、専攻は情報工学で現在3年生です。 進路を決めるに当たり、表現者になりたいという気持ちが最近膨らんできていまして、前回は小説家になる為のアドバイスをたくさんの方からアドバイスを頂きました、この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。 さて今回の質問なのですが、資質に関してお聞きしたいのです。 ドストエフスキー等、文豪と呼ばれる作家が数多くいますが、どうも「面白い」と思えないのです。 「罪と罰」を読んでも「難しいなぁ…(苦笑)」であったりカフカの「変身」を読んでも「この蟲はなにをあらわしてるのかなぁ?」といったことしか感じられません、村上春樹さんの作品を読んでも「何が言いたいのかな…」というふうになってしまいます。 これは読解力か作家の意図を読み取る力かわからないんですけど、こういう能力も資質として必要なのでしょうか? ここから先は補足になります、僕は表現者になりたいと前回の質問時にも言いましたが、世の中に対して、啓蒙したいというようなことではないんです。 自分のパフォーマンスを世の中に認めてもらえたらどんなに素晴らしいだろう、ということが一番の動機のように思われます。 だから確立した表現したいことが無いのです、挙げるとしたらその場その場で変わっていってしまう自分です。 この考え方も自分的には「こんな考えでいいのかなぁ?」と思ってしまいます。 この2点についてアドバイスよろしくお願いします、厳しい意見も遠慮なくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#4980
noname#4980
回答No.7

>ドストエフスキー等、文豪と呼ばれる作家が数多くいますが、どうも「面白い」 >と思えないのです。 全ての小説を「面白い」と思う必要はないと思いますヨ。好みですよね。 また、面白いと思えない小説の読解力は、落ちて当然だとも思います。字面を追っていくだけで精一杯、という難解な書物はあります。純文学だから難しい、エンタテイメントだから読みやすい、ということもないです。わたし個人的には、エンタテイメントのはずの「薔薇の名前」「ドグラ・マグラ」は幾度も挫折しそうになるほど難解でした。 >確立した表現したいことが無いのです まだ実際に作品を作ったことがないのなら、そうかもしれませんね。 何か書きたい、でも何を書いたらよいか…?という気持ちは、分かるような気がします。 >自分のパフォーマンスを世の中に認めてもらえたらどんなに素晴らしいだろう、 >ということが一番の動機のように思われます。 でも、ただパフォーマンスを認められたい、というだけじゃないはずですよね。ただカッコよく成功したい、というだけではないはずです。小説家になりたいと思ったのには、面白い本を読んだからですよね。その際に「こういう素敵な話を生み出したい」という気持ちが芽生えなかったですか? これからまた接する本を増やしていけば、そういう気持ちが増えていって、自分の作りたいものが見えてくるのではないでしょうか。

bike-sssr
質問者

お礼

たくさんアドバイスをいただき非常に嬉しく思います、ただ最近多忙な為しっかりとしたお礼が出来ないことをお許し下さい。 大学もそろそろ夏休みに入ることですし、まずはなにかを書いてみたいと思っています、本当にみなさんありがとうございました。

その他の回答 (6)

回答No.6

 最近流行らないかもしれないけど、純文とエンタメって、やっぱり違いますよ。かくいう私もエンタメしか読まないので、ドストエフスキーは駄目でした(つまらなくて読めませんでした)。  前回の質問も読ませていただきましたが、福井氏や宮部氏はミステリー系統の作家です。なので、ドストエフスキーや村上春樹を読む必要はないと思います。  趣味と実益を兼ねて小説を書かれるのでしたら、好きな小説だけを読んでいれば良いと思います。自分が読んでいて楽しい、読んでみたいと思える小説を書くように努力すれば良いと思います。  前回質問には、あえて回答しませんでした。何故か分かりますか?曲がりなりにも小説家を目指されるのであれば、どういう方法で自分の腕を磨くかは、自分自身で考えれば良いと思ったからです。作家になった人達が、プロの描き手になる以前の修行時代にどんなことをしていたのか、そういったことは、調べれば幾らでも分かる事ですし、自分でそれらを試してみて自分に合った物を取り入れたりしていけばいいだけの事ですから。  とりあえず、本気で目指すなら新人賞に応募してください。ライトノベルか文芸誌主催のものにするかは、自分で主催している雑誌の作品を読んで決めてください。

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.5

こんにちは。 作家に読解力が必要かという質問で宜しいのでしょうか。 何をやるにしても同じことだと思います。音楽にしろ絵画にしろ、その世界に造形が深いことは何と言っても大切です。まして、作家というのはそのままプロなんですから。 ピカソだってちゃんとデッサンの勉強から始めたんですよ。コードもろくに知らずにオリジナルを作曲しましたなんて、学園祭の高校生バンドじゃなありません。古典に学び、技術や体型を習得する、繰り返し繰り返し積み重ねられた層がその世界の土壌であり、そこから新たな作品が産み出され、また淘汰されててゆくというのが理ではないでしょうか。 ある程度きちんとした文章が書けるようになるためには五〇〇冊程度の質の高い書物を読む必要があるという目安があります。飽くまで目安ですが、自分が言いたいことをきちんと表現し、尚且つ読む人の心を動かすことのできる技術を他にどうやって学べば良いのでしょうか。文章の書き方などといったテキストが参考にならないとは言いません。ですが、そんなもので仮に音楽家や彫刻家としての技術が身に付けられるというのであれば誰も苦労はしません。 作品には、きちんとした文章を書く技術と、思ったことを相手に伝える表現力と、それを下地に初めて産み出される独自性と説得力が必要です。オリジナリティーだけで世に出るというケースもありますが、最初からそれを狙うのはチャンスを手にするというよりは、手抜きだというのは言われなくたって判りますよね。 確かに一冊の本に書かれた内容を読取り、きちんと理解することは大変なことです。小難しく書かれたり、周りくどく言われたりすると参ってしまいますよね。それでも、くどいようですが、古典や現在に認められているものをでき得る限り参考にし、つまりぶっちゃけて言いますと、他人の意見も聞かずに自己啓発できるわけがない、物事を達成するまでに成長できるわけがないということです。 作品を書くためにはそれなりの鍛錬が必要です。質問者さんの前の質問に対する回答で、その為には「とにかく書くこと」とありました。それは最も大切なことで、全く異論はありませんが、「とにかく読むこと」もそこに付け加えて下さい。 また、自分の作品を客観的に評価するためには、冷静さと、具体的には他の作品との比較ということになります。突き詰めれば、他の多くの作品を理解し蓄積することが、結局冷静な判断に繋がって来るはずです。一応そういうことも身に付けておけば、例えば、自分の作品は面白いのにどうして予備審査で落とされていまうのだろう、などといった、あなたがそんな絵に描いたような壁と無意味な格闘をする回数を若干減らすことができます。 特に作品にしたいことがない、ということですが、 そんなことはありませんよ。あなたにはあなた自信が見た物、感じたものがあるのですから、その中からあなたの題材を見付け出せば良いのです。もしくはこの先、どうしても書きたいものに必ず回り逢うはずです。だいいち、それがなければ作品は絶対に書けません。 まず書いてみて下さい。 原稿用紙五〇〇枚くらいになると反吐が出ます。何ヶ月も掛けて執筆して、その内に、本当にこれでいいのか、自分の考えていることは間違っていないのか、ここでやめたら今までの苦労がおじゃん、夢にまで現れる作品からいっときでも逃げ出したくてどうにもならなくなります(本当に悲惨です)。もしかしたら、考え方が時々で変わってしまうというのも、その原因のひとつかも知れませんね。 ですから、その想像を絶する苦難を乗り越える為には、自分が本当に書きたいもの、どうしても言いたいことを見付けることです。でなければ、作品を最後まで書き上げることはまず不可能だと思って下さい。 世の中には蓋然的に本を書くべき人がふた種類いるそうです。 ひとつは誰もしたことのない特別な体験をしたひと。もうひとつは、ひとつの事柄をきちんと研究し、他人に紹介できる知識を持つひとです。そのような特別な経験や、世の中に有用な知識であれば、それは当然本にすべきです。 では、それ以外に本を書こうとするならば、それは自分で見付けるか、作るしかありません。ノンフィクションでしたら足を使いさえすれば題材を見付けることはできますが、特別な経験というのは中々手に入れられるものではありません。ですが、たった一度の普通の人生で得られる数少ない体験を基に想像を膨らませてゆくというのがフィクションですよね。だから、作者は想像という過程でその世界を備に体験することにより、それをきちんと伝えることができるようになるのです。その為には、ちょっとしたことでも注意深く見詰めること、どんなことでも常に真剣に考えてみること、そのようなことだと私は思うのですがどんなものでしょうか。 あなたの人生ですから、あなたのテーマは必ず見付かりますよ。 お役に立ちますかどうか、取り止めのない話で申し訳ないです。 どうか頑張って下さい!

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.4

自分で「面白い」と思う小説をたくさん読んだらいいと思いますよ。 何も世の中の作家のすべてが、文学に手を染めているわけではないのです。 SF作家もよし。ファンタジー作家もよし。アニメやコミック のシナリオライターになる道もあると思います。 私は子供の頃から「三国志」なんかに読みふけるような子供 でしたが、学校はやはり理系(機械工学科)でしたし、卒業 したらSEになりました。 けれども最近、物書きとしての面白さに目覚めてしまい、 下手な小説を書いてはHPに掲載していろんな人に読んで もらっています。 いろんなジャンルの本を読みましたが、主に歴史小説とファンタジー小説 が多かったですね。指輪物語は、映画化されてブームになる 10年以上前から読み漁っていました。 歴史小説は主に司馬文学にはまってます。学生のとき、卒業研究で 実験の結果が出るまでの間に図書館にいったとき、偶然目に 入った「司馬遼太郎全集」にハマッてしまい、以後は実験 はそこそこにして、図書館に熱心に通うハメになりました(笑) そこから趣味が広がって、海音寺潮五郎や池波正太郎など の作家の作品も読み漁っています。 とにかく、面白い本やマンガをいっぱい読み漁ったらいいかと思います。

  • niwa_tori
  • ベストアンサー率35% (6/17)
回答No.3

私はそんなbike-sssrさんに [ とにかく書くこと ] と [ じっくり待つこと ] をお勧めしたい。 書きたいことがないのに小説家になりたいというのは、どこか不自然な気がします。書くことで自分を表現したいのなら、他の職業もたくさんあるはず。 そしてとにかく何か書いてみては?簡単に書けると思っていたのに「あれ?何をどうしていいやら・・」。これは私が初めて短編を書いたときの話ですが、きっと同じ感想を持たれるのではないでしょうか。 ある作家が「私は小説を書くのを我慢していた」と告白していた文章を読んだとき、作家志望だった私は少なからず衝撃を受けました。単純に人の心を動かすのは [ 抑えきれない伝えたい気持ち ] からなる作品ではないでしょうか。これは小説に限った話ではないと思います。テクニックなどはその作品に磨きをかける役割のようなものではないかと。 ただ、せっかく伝えたいものがあるのに、それを表現できないのでは困りますよね。だから文章を書いて書いて自分の個性を磨いておきたい。 これが私の考え方です。少し質問内容とズレてしまったかもしれませんが、ご参考になれば。 私は文章を書くも読むのも大好きです。私にとって小説を読むことは、旅行に行くことのようなものです。あなたがいつか幻想の世界に連れて行ってくれる日を楽しみにしています。

  • sexpo69
  • ベストアンサー率31% (16/51)
回答No.2

率直に申し上げます。 まず第一にあなたの文章は読みにくい! 文章とは、改行すれば良いというものではありません。 貴方の文章は改行が多すぎて、かえって読みにくくなっています。 第二点、質問事項が解りにくい! 余計なことは省き、簡潔に質問してください。 その際、質問事項は箇条書きにすると良いと思います。 補足が必要だと思えば、回答者がその旨あなたに尋ねるでしょう。 さて、ご質問にお答えしましょう。 > これは読解力か作家の意図を読み取る力かわからないんですけど、こういう能力も資質として必要なのでしょうか? 私もドストエフスキーは理解できませんが、そのような読解力が小説家に必要な資質とは思えません。 あなたは解説者ではなく、小説家になりたいんでしょう? 小説家に必要なものは表現力です! > だから確立した表現したいことが無いのです、挙げるとしたらその場その場で変わっていってしまう自分です。 > この考え方も自分的には「こんな考えでいいのかなぁ?」と思ってしまいます。 表現したいことがその都度変るのは、人間として当然です。 例えば素晴らしい映画を観て感動しても、時間の経過とともに、その感動が次第に薄れていくこともあるでしょうし、もちろんその逆のケースもあるでしょう。 その時、その時に感じた自分の感性を大切にしたら良いと思います。

回答No.1

おはようございます。また回答にしゃしゃり出てきました(笑) 私はドストエフスキーやカフカはどっちでもいいと思います。というのは、やはり文学は時代の中から生まれてくるものがあって、もちろん最後は時代を超えていくので今でもドストエフスキーやカフカにも素晴らしいものはたくさんあると思うのですが、それを好むか好まないかというのは洋服の流行のようなもので「何がいいんだかわかんないよぉ」ということがあってもちっともおかしくないと思います。(ただし、彼らの何が素晴らしいのか、わかってるのとわかってないのとは書くにあたってちょっと違うように思いますね。好き嫌いは別にしてどこが評価されているのかは少し学ぶといいと思いますよ) 村上春樹はまぁ好む人と好まない人、わかる人とわからない人が分かれやすい作家なので仕方ないと思いますね。気にすることないと思います。 それよりも気になったのは、「作家の意図」という言葉を使われている点ですね。これが「メッセージ」とか「思想」とかいう意味で使われているのだとしたら、そういう考えを持ってものを書かない方がいいと思いますよ。 本質的には思想も読解力も目的も、どうでもいいのだと思いますよ。いい小説を書いてください。読解できればいいものがかけるわけではありません。確立した表現したいものを持っている人が書けるかというとそうでもないと思います。一つの世界を作ることです。ディズニーランドに行ったことがありますか?アレですね、究極は。完璧にその世界を作り上げるための「作者の意図」、その世界の中で通用する「思想」、それはその作品世界の理論がある、ということです。ディズニーランドでは全ての従業員がディズニーランドという舞台を作り上げるための演技者という考えで世界が作られています。だから掃除をしている人も、「掃除の演技をしている人として働いて下さい」と支持されるのだそうです。小説はそういうもので成り立っているのだと私は思います。 お金が欲しい、認められたい、ゲイジュツをやりたい、普通の仕事がしたくない、文学が好きだ、文学が嫌いだ…書く理由は人それぞれだと思います。「自分のパフォーマンスを世の中に認めてもらえたらどんなに素晴らしいだろう」、これもとても素敵な動機で、立派な「書く理由」だと思いますよ。自信を持って、勇気を出して、とにかく作品を書いてみてください。応援しております。

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