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民俗神に美形がいないのはなぜですか?
民俗神に美形がいないのはなぜですか? 日本神話の神には美男・美女とされる神は多いのですが、日本神話から外れた民俗神では怖い・醜い姿のものが多いように思われます。水木しげるの本にも「日本の民俗神に美形はいない」とありました。これはどうしてでしょうか?
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民俗神はもともと生活上のさまざまな畏れや感謝などの複合感情から生まれ、 習慣や生活態度を戒め、顧みるための外的存在として配置されるものですから そうそう人心の接近を許すものであっては機能的な要求を満たしません 征服民/被征服民の神の理屈では山の神・海の神などを説明できません また「もともと美しいものが醜く改変された」という不自然な説明になりますから 民俗神は醜くされたのではなく、むしろもともとそういうものであり 逆に日本神話に登場する神々のほうにわざわざ美しくしてみせたり、 それらしい物語を紡いでみたりして特別な説得力をもたせる何らかの必要性があった、 と考えてみてはいかがでしょう
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- ウラ漁師(@uraryoushi)
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縄文期の宗教は自然崇拝で、人間以外のものは全てカムイだったわけですよ。カムイは神の語源と言われていて、ニュアンス的には妖精と超常的なものって感じだけど。 その中で最も恐ろしいものは火のカムイだったわけですよ。最も人間に恩恵を与えるのも火のカムイだったわけですよ。 火のカムイだけを考えてみると分かりやすいっすね。美系で全然危害を加えそうにない見た目だったら人間は油断しちゃうでしょ?火のカムイに油断したらどうなっちゃうか。。。火事になっちゃうし焼け死んじゃう。だからある程度見た目が怖かったり醜かったりしてくれないと「舐めて掛かるとこっぴどい目にあうぜ』と説得できねえよ、って事なんですよ。 例えば秋田マタギ衆の間では「山神様は醜い顔をした女性」とされていて、山では大声を出したり酒を飲んだり歌ったり踊ったり相撲をしたりしてはいけない、とされています。実生活で「女は怖いね」という実感から女性の神にしておけばみんな絶対守るからなんでしょうね。特にマタギ衆は熊が獲れなければ『死』を意味するから騒いだり荒らしたら熊どころかウサギも寄り付かなくなっちゃうから絶対守らせたい所なんでしょうね。 ついでに言えば日本の山の慣習で「10あるうちの3は残していけ」という教えがあるっすけど、これは農耕民族のノリでそこに山菜があったらあるだけ持って帰ると次の年からそこには何も生えなくなるから最低でも10あるうちの3は取らずに残していけ、という生活から実感した発想なんですね。乱獲は一番やってはいけない事と戒めているんですよ。だからたいていの山の神様は女性なんです。 女性から見たら心外かもしれないですけど、男から見たら怒った彼女やカミサンって、この世で一番怖いっすよ。 ところが縄文終期~弥生時代に朝鮮半島から上陸してきた移民は基本、カリスマ信仰だから。 朝鮮半島ではその後カリスマ信仰にいろんな手心を加えて特に北部ではチェジュ思想になってるけど、貧乏で生活が苦しくて喘いでいる人の目の前にキッタネエのが現れても基本シカトされるよね。美系じゃないと振り向かないし付いていこうと思わない。 加えて侵略の罪を正当化するために美系で話を進める必要があったんでしょうね。どうせついていくならキッタネエ奴より美系のほうがいい、という人間の欲を突いているかのように。 別に日本書紀に限った話じゃなくて、仏教やキリスト教なんかもそうっすよね。キリスト教は唯一神でキリスト自体は神ヤハウェの伝言者って立場だけど。キリスト教なんかローマ教皇が肖像画のデザインを細かい所まで指示を出すってほどだから。菩薩様なんか、男でも女でもない、性を超越した存在っすから、ね。性を超越しているから男の気持ちも女の気持も分かる、的な。 綺麗じゃないとどんなに虐げられた地獄の生活をしていても付いてこない、って意味合いが強いんじゃないっすかね。 日本って面白いから、一方でカリスマ信仰を持ってくるけど道端や家の台所やトイレにまで鏡餅置いて手を合わせるっすよね。ここまでカリスマ信仰と自然崇拝が融合した文化っていうのも稀有っすよね。
- impiousfox
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信仰の本来的なかたちにおいて、偶像的な美しさは必ずしも崇められる要件ではなく、その神がもたらすとされる現象(≒その神の能力)をこそ、人は畏れ敬ったというだけのことではないでしょうか。
- tak7171
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世界的に見ても民俗神は征服された先住民族の神の場合がほとんどですし、 そのようにして零落した神は能力や容姿も妖怪や魔に近づけられています。 征服した側を正当化させるためにも 先住民族の神を貶める必要があったからでしょうね。