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ハングリーさについて

ハングリーさについて 自分はハングリーさってのが有りません 何としても 成績を上げたいとか 何が何でもこの女性を自分の物にしたいとか 他人が現状を打破する為に自分にムチを打ち 目標を打ちたて目標に向って突き進む姿を見ると「いいな 自分もあんな情熱を持ってハングリーに生きてみたい」と思います 育った環境やその人に魂(心)の問題もあると思いますが ハングリーさの無い自分が今後ハングリーに変わることは無いかもしれませんが 私は自他共に認める ハングリーに固まりだと言われる方 自分の体験や自分へこんな感じでハングリー にならざるおえないとか 何でも良いので書き込んでください

質問者が選んだベストアンサー

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  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.4

草食系、なんて今の男の子が言われてますけど、私はそれって「環境によるものだから当然」と最近は思ってるんですよ。 ハングリーさが無い、と言われても、ハングリーを生み出す土壌に生きてこなかったわけですものね。 私よりも上の世代を「団塊の世代」と言いますけど、私のように昭和30年後半に生まれた人間から見ると、彼らはバイタリティーの固まりだし、ハングリーさも(食欲や性欲も確かに我々とは違う)全く違います。 彼らの時代は「同世代が多い」ことでの競争社会でした。 今と違って「懐は大きいけど、そこに詰め込む量も大きい」というような状態で、今がデフレ社会と言うならば、当時はインフレ社会だったわけです。 だからハングリーになります…胃袋がいつでも空っぽだったわけですからね。 今はそうじゃないですよね。 胃袋は小さいけど、頑張って食べなきゃ、すぐにお腹が減るかもしれない、と言う「自転車操業」の時代です。 社会全体が焦りに包まれてるわけですから、当然それについていけない人はくたびれてしまうわけです。 食欲がなくなってしまうのです。 食が細くなるのは当然のことですよ。 だから、あなたの今の状態は「ごく正常」だと思うのです。 野心をもって突き進むのは若いうちには憧れるものですが、その「フィールド」はとても狭い。 新たなフィールドを自分で探しにいけるのならば、野心のかなえる場所もあるでしょうが、それは難しいことですよね。 ハングリーな生き方に憧れるなら、自分から日本と言う国を捨てるくらいの覚悟が無いと、今の状況では難しいような気がしています。

billy3
質問者

お礼

なるほど説得力のある回答ありがとうございます なかなか普段聞けないような回答です 国を捨てて海外へ  私より年上ですが頭が柔軟でうらやましい 尊敬します

その他の回答 (3)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.3

私も質問者さんと同じで基本的にガツガツと求めていくことはありません。 しかしかつて私はある職業の技術に心底惚れて、「どうしてもあの仕事につきたい!」と思ったことがあります。その職業は職人的というか、非常に勉強をしなければならない仕事だったんですね。手先の技術も必要でした。 そして、その勉強にチャレンジしたのですが、これが本当に大変でした。「自分はセンスがない」と思った数は数知れず。同じ時期に勉強していた仲間のほうがはるかにセンスがあって落ち込んだり、あるいはその自分以上に才能のある人が見切りをつけて諦める姿を見たり・・・辞めようと思ったことは数え切れないくらいです。 しかし、最終的にはなんとかその世界でプロとして(つまりそれでお金をもらう)デビューすることができました。才能のある人からない人まで、その業界の扉を叩いた人の90%以上が辞めるといわれる業界です。そこまで頑張れたのは、ひとえに「その職業のスキルを何が何でも身につけたい!」と強く願ったからです。辞めた人と自分との間で何が違うのかと聞かれれば、それだけです。 また私は今はそこそこに筋肉質な身体をしていますが、ハタチ頃までは骨と皮ばかりのガリガリ体質でした。なんせ身長170センチくらいに体重54キロですからね。しかし一念発起して何年もの時間をかけてゆっくりですが他人から筋肉質といわれるような体型になりました。 でも、その一念発起した理由が女に「弱々しい男は嫌い」といわれて振られたからです・笑。人間追い詰められればそういう気持ちになることもあります。

billy3
質問者

お礼

体験談ありがとうございます 男らしい方のようですね よき指導者になっていただくことをきたいしています ありがとう

noname#246720
noname#246720
回答No.2

私はどちらかと言うと「ハングリー」な性格をしているようで、よく友達に 「どうしてそこまで頑張れるの?」と聞かれる事がよくあります。 自分で考えても確かにその通りで、どうしてあの状況であんなにがんばれたのかなーと、思い返してみてそういう出来事が多いです。 …で、じっくり考えてみたところ…私は、追い込まれれば追い込まれるほど燃えるタイプのようで、ドMと言われるのですが確かにそうだなあと思う所があって。 だけどそれが人生のどこで培われたかはわからなくて… そして私としては、逆に周りに合わせて一歩引いていられる人が羨ましいと思う事があります。 他人と摩擦を起こさずに生きていけるという事が。 私だったら、大事な場面での意見の食い違いが出てきたら戦ってしまうので。 豊かになってしまった今の日本では本当の意味での「ハングリー精神」を持つ事は難しいと思いますが、情熱的かそうでないかの違いは…質問者さんの仰るように「魂」の問題かもしれません。 いずれにしても、どちらも必要な性格・人材ですので、無理にハングリー精神を持とうとか思わなくても良いと思います。どちらにも良いところはあると思いますので。

billy3
質問者

お礼

戦っているんですね    ハングリ-な方は自然とそういった気持ちが沸いてくる 非ハングリーな人はどこかでこれでいいかって気持ちがわいてくる ほんに僅かな差なんだろうけど…  回答者さんのような気持ちで戦ってみたいです

  • mazeran
  • ベストアンサー率42% (221/518)
回答No.1

「ハングリー」って、日本語に訳すと「腹ペコ」の意味がありますよね。 「腹ペコ」ってことは、「食べたい」と言う欲求があるわけですよ。 つまり「気持ちや考え」があってもダメで、「欲」、それも強い欲がないと「ハングリー」とは言えないと思いますよ。 そのためには、人それぞれに価値観が違うので一概に言えませんが、自分の人生の中で「ドン底」を見ないと、自分にとっての「ハングリー」にはならないと思います。 「ドン底」・・・。 失うものなど何もない。 今の場所にいたら「死」しかなく、生きて行くためには横も下もなく、「上」しかない。 何よりも「生」に対しての執着が強い。 残念ながら私もまだ経験はありません。 個人的に「ボクシング」が好きでよく見るのですが、彼らの中には「ハングリー」が多いと思いますよ。 金持ちがやるスポーツではありませんから。 彼らが流す「涙」は、まぎれもなくハングリーに対しての涙であり、勝った者は辛さに別れを告げ、上を目指す喜びに涙する。 負けた者は、上に行けなかったことに涙するが、次のチャンスを貪欲に狙う。 それこそ「ドン底」から這い上がるために彼らは「命」を賭けているわけで、ある意味美しいと思います。(最近話題の方は例外で、貧困が広がっている主に東南アジアなどの外国の方達) 「生」に執着しつつ、「横」も「下」もない、「上」しかない。と言う状況を、自分なりの世界で構築できないとなかなか「ハングリー」にはなれないと思います。 例えばの話ですが、今、「仇討ち」の制度が復活したとして、私の親兄弟の仇を討つためであれば、「ハングリー」に絶対になれると思います。 なかなか今の世の中、物が溢れているので、「ハングリー」と言う精神は「言葉だけの世界」のような感じがします。

billy3
質問者

お礼

回答ありがとう  ボクシングを例にわかりやすい回答ありがとうございます そんなに変わらない 生活をしている 人に心の中にあるものが自分には無いのが「何故?」 と疑問に思い 考えても分かる物でもないのですが そんな事を書き込んでみました

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