坂本龍馬暗殺事件の犯人について
長文ですが、坂本竜馬暗殺について質問させてください。
私は歴史については素人ですが、興味があっていろいろ勉強している者です。特に幕末の坂本竜馬暗殺事件の犯人について興味があるのですが、私個人としてはやはり会津藩が黒幕で、松平容保が見回り組に指示して実行させたと思うのです。他にも紀州藩説や薩摩藩説、新撰組説などがありますが、以下の理由で違うと思います。
(1)紀州藩説
いろは丸との衝突事件で後藤象二郎や坂本竜馬との交渉で8万両もの賠償金を払わされた腹いせとの説ですが、大金には違いないものの、所詮個人の金ではなく藩の金なので暗殺するほどの強い理由があるとは思えない。記録を見ても紀州藩としては早く金を払って一件落着したい向きがあり、いろは丸事件をほじくり返すようなことはしないはず。
(2)薩摩藩説
武力倒幕派の薩摩としては穏便に解決したい坂本竜馬の存在が邪魔になって暗殺したとの説ですが、確かに坂本竜馬が邪魔だったとしても西郷隆盛と龍馬は個人的に親しい関係にあり、「殺してしまえ」とまではいかなかったと思う。それに薩摩藩は寺田屋事件の時にいち早く龍馬の救出に出向いており、薩摩藩と龍馬の関係は悪くなかったはず。
(3)新撰組説
暗殺の時に伊予言葉で「こなくそ」と言っており、伊予出身者が新撰組にいるからという理由と、新撰組行きつけの料理屋(瓢亭)の下駄が現場に片方残されていたという理由ですが、新撰組という殺しのプロフェッショナル集団が、そんな間抜けな証拠を残すはずがなく、これは新撰組の仕業にしようとした意図がみえみえだと思います。
少なくとも実行犯が京都見回り組だと仮定すると、やはりその直属の上部組織である会津藩がテロリストとして認識していた危険人物の坂本竜馬暗殺の指示をしたと考えるのが一番自然だと思います。そもそも新撰組の芹沢鴨暗殺を命令したのも松平容保であり、邪魔者は排除しようとした思考回路があったのではと思います。
それと決定的なのは、黒幕が紀州藩にしろ薩摩藩にしろ、見回り組が会津藩以外の藩の命令など聞くわけがないと思います。紀州や薩摩が黒幕だとしたら見回り組に暗殺を依頼したわけで、そんな依頼など断っていたはずです。「そう思うならそちらで勝手にやってくれ」と回答していたはずで、「はいそうですか」と簡単に請け負うはずがないのです。
あくまで私個人の見解なので専門家の方たちにはいろんな意見があると思いますが、私の考え方は方向性が間違っているでしょうか。龍馬暗殺の真相は新しい史料でも出てこないかぎり永遠の謎だと思いますが、私の考え方への意見をいただければ幸いです。よろしくお願いします。
お礼
ご回答ありがとうございました。 おかげさまで、すこしすっきりしました。 しかし、雨が降った場合は100両が繊維に戻ってしまった。 なんてことはなかったのでしょうね。 最近は御札を使わなくなくなって、カードになったことで カッターのポケットにいれていたものが、 洗濯機で藻屑にならなくなって、何度も、助かっています。 100円玉なら大丈夫なんですがね。