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なぜ、「死ね」と言われれば本気にするのに、「好き」と言われても本気にで
なぜ、「死ね」と言われれば本気にするのに、「好き」と言われても本気にできないのでしょうか? たかがメールでも 「死ね」など言われたら 本気にしてしまうわけではないですが、かなりショックなのですが メールで「好き」と言われても中々信用できません。 (本気で言ってるの?からかってるだけ?社交辞令?など) なぜ、「死ね」と言われれば本気にするのに、 「好き」と言われても本気にできないのでしょうか? マイナス思考なだけでしょうか? 私だけではないと思っています。。。 この気持ちわかる方、何かご意見よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
自分で自分を好きじゃないからだよ。 だから他人に「好き」と言われても信じられないの。
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- robin2006
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「好き」と「死ね」では言葉の重みが違うからだと思います。 「好き」と同等の反対語は、「嫌い」だと思いますが、 「死ね」が存在そのものの否定であるのに対して、 「嫌い」にはそこまでの強さはありません。 したがって、「死ね」の方がショックが大きいのです。 ちなみに、「死ね」に対抗できるような反対の意味の肯定語は思いつきません。 「生きろ」「生きててくれてよかった」…「死ね」ほどのインパクトはなさそうです。 後は、他の方も書かれているように自分をどう思ってるかによって、印象は変わってきます。 やっぱり、自分はダメだと思ってると、肯定的な言葉は受け入れにくいと思います。 振り幅が大きいから。その逆もしかり。
お礼
大変参考になりました。ありがとうございます。
- g0taw
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日本人は褒められる事になれていないそうですよ!!
お礼
なるほど。有難うございます。
- ayafuku
- ベストアンサー率27% (45/164)
「死ね」と”軽く”言われると、誰も本気にしないでしょう。 「好き」と”重く”言われると、動揺し、本気だと思うでしょう。 要は、言うときのテンションの違い、聞く側の精神状態に影響 しているのではと思います。
お礼
有難うございます。
- tent-m8
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一概にはいえません。 言われる相手や、状況にもよります。 ある程度関係が進んでいる相手なら、「好き」と言われれば本気にする人が多いのではないでしょうか。 おおざっぱにいえば、人間には「自分の都合のよいように解釈したり、疑ったりする」性質があるからだと思います。
お礼
有難うございます。
上手い話は疑え、裏がある。と全く同じ心理ではないでしょうか。
お礼
有難うございます。
お礼
そうかもしれません。有難うございます。