うーん・・・僕の中では人間はみんな残虐で、時と場合によっては何だってありえると思っています。
南京大虐殺は諸説ありますが、じゃあ、直接銃殺などで殺戮するのと、
原子爆弾をドカンと落として、大量に人が死ぬのはどっちが残酷でしょうか?
人数の問題はありますが、どこの国であっても、
歴史をたどれば少なからず血塗られた部分があります。
近代になって、科学技術や軍隊組織が発達したために人数が桁違いになったとことと、
情報の流通や蓄積が盛んになったために、そういう話が良く見えるようになっただけのことです。
人間が残虐になったのではなく、技術がより残虐になり、そのことが書き留められるようになった、
そう考えられるのではないでしょうか?
また、日本は敗戦国ですから、残虐であるとか非難されても文句は言えません。
勝った国であれば、否定もできるし隠蔽もできます。
中国史などを読むと顕著ですが、歴史書が書かれた時代の王朝と、
過去に対立していた勢力や、その王朝に簒奪された王朝にたいしては、
極悪非道な行為があったと言うことが書かれます。
日本人が残虐だと言えば、どこの国も、隠されたものも含めて歴史をたどればみんな残虐です。
また、近代に限ってみても、見方を変えるといろいろなところで残虐な話があるのです。
それが人間の本性なのかもしれませんが、自分でそれを認めることで、
過去よりもまっとうな人間になれればいいのだと思います。
近代になって、そういう非難を浴びる機会を得た日本人は、
そのことを心に刻んで、残虐な自分を抑えられる人類になっていけばいいのではないでしょうか?
お礼
ご回答有難うございます。 差別は兎に角、世界で虐殺行為の行った国は日本とドイツだけです。 ある意味では日本人とドイツ人が共通している気質があるかもしれません。