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"外人はつらいよ"六本木あたりでゴソゴソかたまって住んでいる外人の種類とは?
- 六本木あたりでかたまって住んでいる外国人について調査します。ベストセラー「外人はつらいよ」にはその一節がありますが、現在も六本木でゴソゴソして住んでいる外国人はいるのでしょうか?
- 六本木のビルは主にIT関連の企業が集まっていると言われていますが、30年以上前はIT産業が存在しなかったので仕事や階層はどのようなものだったのでしょうか?
- 六本木あたりでかたまって住んでいる外国人の種類や職業などについて詳しく知りたいです。過去の情報や体験談があれば教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
その本は読んでいませんが、六本木の沿線育ちです。本は初版が1976年のようですね。だったら要は「外国人同士でばかり付き合いたがり、米国風の生活を捨てきれず、英語が便利に通じる地域で凝り固まって、地元に溶け込んで冒険しようという気が希薄な白人系富裕層」を指していると考えるのが自然です。ちなみに、「外国人同士で」と書きましたが、厳密には「白人系富裕層同士で」と言っていいでしょう。 現在なら、米国に限らず、欧州やアジアを含めた富裕層が高層マンションに集う六本木ですが、1976年の時点では、かなりアメリカナイズされた街でした。けれども米軍基地の街とは違い、どちらかというと大使館(巨大な大使館用住宅が六本木のど真ん中にあります)や、大手企業の正社員が主流でしたね。夜になると米兵も遊びに来るのですが、そういう人たちは「六本木あたり」に「住んで」はいないので。 当時の六本木といえば「六本木族」はすでに廃れ、バブルにはまだ早い時期でしたが、白人モデルや来日アーティストが遊びに来るディスコなどが建ち並び、少し歩けば、米国のスーパーと見まごうような、欧米の日用品なら何でも揃うナショナル麻布スーパーマーケットがある広尾に至り、広尾には家族連れも大勢いました。 そして76年当時の外国人の数は本当に限られていました。そもそも都内で外国人が集う繁華街は六本木しかなかったし、今のように誰もが気軽にアニメやJ-POP目当てに留学したり、円目当てに出稼ぎに来たりしていなかったので、日本にいる外国人というと、宣教師以外は、そうした富裕層か、あとは「日本なんて極東に、なんで行くの?」と言われるような、いわゆる“変なガイジン”と呼ばれる人たちばかりでした。 その分、皆、礼儀正しかったのですが、やはり似た者同士で集まると態度が大きくなるのか、夜の六本木はトラブルもちらほら見聞きするところでした。また、外国人の側にも日本人の側にも「外人vs日本人」と分けてとらえる考え方が主流で、お互いに自然体で交わろうとはせず、思いっきり日本かぶれのCWニコルさんのような人か、思いっきりアメリカかぶれのペギー葉山さんみたいな人が目立っていたのです。著者が言うのはおそらく、その「アメリカかぶれ系コミュニティ」に所属している人たちですね。そういう人たちはみんな、ごそっと六本木に寄せ集まっていたのです。今は外国人の数が増えた分、「かたまって住んでる」人の“割合”は減りましたが、確実にいますよ。 でも日本人だってそうですよね。上の命令で仕方なく外国に赴任したものの、どうにも馴染めず、また馴染もうともしない。日本人同士でこりかたまって、日本の生活習慣にばかりどっぷりとつかり、異国での体験を肥しとしようとしない。ま、それの日本版ってとこでしょう。ただ、それはそれで、ちょっと垣間見る分には楽しかったですよ。80年代にバブル景気が到来すると、六本木もすっかり日本人の街になりましたけどね。ちなみに、六本木駅は76年よりも遥か前から日比谷線が通っていました。
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- nidonen
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#2です。ドン・マローニ氏が日本に来たのは 1970 年( 昭和45年 ) だったようです。てっきり、もう少し古い世代の人かと思ってました。 #4さんのご指摘どおり、日比谷線が六本木に通ったのは東京五輪に 合わせた1964年( 昭和39年 )のことです。私が#2で紹介した『東京 アンダーワールド』は昭和20~30年代の話がメインなので、時代が少し ズレていたみたいですね。 なので#2は、もっと古い時代の話だと読みかえてください。50年前の 六本木なら、私がご説明したとおりです。
お礼
再度の投降ありがとうございます。 50年前の六本木ということで参考になりました。
- Boba_Fett
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六本木あたりで、ゴソゴソかたまって~~ですが、 居住をかまえて住んでいる人たちであれば、 すでに回答にもありましたように ・外資系のエリートサラリーマン(高給っぽいですよw ⇒一昔前で言えば、リーマンブラザーズとか。 ・大使館関係の職員。 かと、推測されます。 ですが、居をかまえてない人たちのことを指してるのであれば、 クラブやバーとかで、たむろんでる外国系の方達 (=確実に腕っぷしも強そう) じゃないっすかねw 以上、邪推でしたーww
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、よく分かりました。
- nidonen
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その背景を知るのに絶好の本があります。『菊とバット』で知られる 日本在住の米国人ジャーナリスト、ロバート・ホワイティング氏による 『東京アンダーワールド』です。 http://www.amazon.co.jp/dp/404247103X/ マローニ氏が著したのは、地下鉄・日比谷線が開通する以前、 陸の孤島だったころの六本木ですね。アメリカ大使館や米軍関連の 施設が多く、固まって住んでいたのは基本的に米国人が多かったです。 あと、いま六本木プリンスホテルが立っている場所は、昭和56年 まではフィンランド領事館でした。スウェーデン大使館はいまでも 六本木一丁目にあります。このように六本木や麻布、赤坂などには 欧州の政府施設も多く、ヨーロッパ人も住んでいました。いまとは 異なり、イラン人やロシア人はいなかったのです。 よってそのころは、欧米人相手の飲食店とか、米軍関係のビジネ スを営む民間人もいました。軍からの払い下げ品を扱う貿易商とか、 なかには横流しで悪どく儲けている連中もいました。マローニ氏が 忌み嫌っていたのはおそらく、そういった悪どい業者でしょうね。
お礼
回答ありがとうございます。 『東京アンダーワールド』が描写しているのは1976年より前の時代ということですね。 欧米の大使館とかがあって欧米人が中心だったと。 参考になりました。
- hunaskin
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今でも六本木や麻布、広尾あたりには外国人がたくさん住んでいますね。 そのあたりに住んでいる人は大使館職員だったり外資系企業に勤務していたり語学学校の講師だったりしますが、私生活は同国人同士のコミュニティ内に終始しているひとが多いようですね。 遊ぶところも似たような境遇の人々があつまる店ばかり、とかね。 で、まあ皆さんわりと収入が良いようです。 このあたりの感じは今も30年前も変わりはありません。 ちなみに葛西あたりにはIT企業で働くインド人がたくさん住んでいます。下赤塚あたりにはフィリピン系の人が多いようです。 やはり自国人が周囲にいたほうが安心だから自然に特定地域に固まって住むようになるんでしょうね。
お礼
回答ありがとうございます。 富裕層が中心なんですね。 人間、金が出来ると、金持ち同士で付き合いたがるのは全世界共通のようですね。
お礼
回答ありがとうございます。 六本木の沿線育ちと言われるだけあって、なかなか詳しいですね。 >「外国人同士でばかり付き合いたがり、米国風の生活を捨てきれず、英語が便利に通じる地域で凝り固まって、地元に溶け込んで冒険しようという気が希薄な白人系富裕層」を指していると考えるのが自然です。 と書かれたことが正に正鵠を射た指摘だと思います。何故なら、彼は"本社の無知によって"上北沢という外人が一人も住んでないところに放り込まれ悪戦苦闘する様子が「外人はつらいよ」に書かれているからです。 カルチャーショックにもめげず、日本人と積極的に付き合って日本人と日本社会を知ろうと努力した様子がうかがえますから、相互理解を端から拒否する同国人には共感出来なかったのでしょう。 当時の六本木に住む外人のことがよく解り、マローニ氏の意味したことも理解できました。 ありがとうございました。