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昭和の遊び(2B弾・癇癪玉などなど・・・)
こんにちは。 昔の話になると思いますが、2B弾やもしくは癇癪玉でした等、昭和の遊びについてお伺いしたいと思います。 2B弾は昭和40年頃に販売中止になったとのことですが、発売年、いつ製造されたのかが見つからなかったので、 もしご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただければ幸いです。 戦争ごっこやカエルや生き物に使用した例が多いようですね。 昭和初期(大体20年から)の子供の遊びに興味があるので、みなさんの体験話を聞かせていただければと思います。 どうぞよろしくお願いします。
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2B弾とは懐かしいですね。 散々2B弾で遊んだ年代です。 昭和30年代が2B弾の全盛期でした。 発売開始時期は明確ではないですが、昭和34年頃に駄菓子屋で買った記憶がありますが、1本1円程度で買えました。 その後、2B弾を分解して火薬を取り出して爆発威力を高める遊びが一部で流行り、指先を失ったり失明する等の事故が社会問題になって発売中止になったようです。 昭和40年代の前半には、私も高校生になってましたが、この頃に2B弾は姿を消しました。 癇癪玉は、私の地方ではクラッカーの名で販売されてました。 クリスマス等で使う三角錐のクラッカーとは別な意味です。 癇癪玉は、私の地方では流行りませんでした。 理由は、当時は道路が舗装されてなかった為に爆発させるのが難しかったからと思います。 車が通る道路に癇癪玉を撒いて、車に踏ませて運転手を驚かせる等のイタズラに使う程度でした。 2B弾の苦い思い出は、中学生の時に2B弾の火薬を集めてロケットを作り学校に持って行ったら先生に見付かり没収されました。 没収されたロケットを学校の焼却炉に入れたようで、爆発したと2度に渡り叱られた事です。 昔は、危険な遊びをしてたと思います。
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- tpg0
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No2です。再びお邪魔します。 昭和の子供の遊びでしたら、2B弾や癇癪玉以外にたくさんあります。 女の子は、お手玉・おはじき・綾取り・リリアン・ゴム飛び等でしょうか、姉達が遊んでました。 男の子は、めんこ(地方によってはパーと言いました)・ビー玉・べーごま・ちゃんばら・西部劇ごっこ等です。 男女共通の遊びは、ケンだし・馬乗り・かくれんぼ等でしたが、時々ままごとのお父さん役をやらされました。 昭和20年代から30年代前半の男の子は「肥後の守」と言う折り畳みナイフを皆持ってました。 竹を削って竹トンボを作ったり、正月には門松に使った竹で竹馬を作ったりは、親の手助けなしで作ったものです。 折り畳みナイフは鉛筆を削ったり、オモチャを作る為の道具で喧嘩等には絶対使いませんでした。 履き物は、下駄を履いてましたが、鼻緒が切れても子供がナイフを使って自力で直しました。 当時の子供達は器用でしたね。 手前味噌になってしまいますが、犬小屋は小学5年生で作り、鳩小屋(1坪)は中学1年生で親の助け無しで自力製作してました。 ですから、小学校時代からノコギリ・カンナ・ノミ・金ヅチ程度は使いこなしてました。 自転車は大人用で練習して俗に言う「三角乗り」で乗れるようになりました。 三角乗りとは、サドルに乗るとペダルに足が届かないのでフレームの▽に片足を入れて宙に浮いた状態で自転車を漕ぐ乗り方です。 自転車のパンク修理も小学生で直してましたが、物が豊かになり、昭和50年代生まれの我が子達に、そのような経験をさせてやれなかったですね。
- nishikasai
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2B弾、遊びました。 覚えている遊びを列記します。 1.火をつけたら投げずに自分で火のついてない方を持ち爆発させ度胸試しをした。 2.女の子に投げてキャーキャー言って逃げるのを見て喜んでいた。 3.牛の糞の下に2B弾を置いて爆発させた。牛の糞が粉々になって飛び散った。 4.池の水面に浮かべると燃えながら進み爆発し、水しぶきが上がりちょうど海戦で砲弾が水面に落ちて爆発したのと同じ状態になるのを見て喜んでいた。小学校4年生くらいの悪がきだった。
お礼
大変遅くなってしまいましたが、ご回答ありがとうございました! ご丁寧な解説、嬉しく思います。当時の様子がありありと目に浮かぶようでした。昭和生まれではありますが、現代ではインターネットやらゲームが遊びの主流だなと思って少し残念に思います。