自分も信頼していた人間に裏切られ、家族も財産も家も健康も仕事も全て失いました。現在も心療内科に通院中ですが、貯えも底をつき、今後、治療を受けることすらできない状態です。自殺なんてこの10年、何百回考えたかわかりません。絶望もしつくしました。
で、先日、自分の葬式をしました。つまり、「これまでの自分」は死に、過去は「前世」であり、「今の自分」とは物理的に「別人」ということで決別したわけです。フラッシュバックするトラウマや憎しみ、悲しみ、苦しみは「過去世」における記憶の断片にしか過ぎない、というふうに受け流してるわけですね。禅でいうところの「大死大活」、「一回、死んで来い。全てはそれからだ」というのはこういう概念なのかな、と思います。つまり、過去の延長が現在でなく、人間も瞬間、瞬間に、「移ろいゆく現象」で、一瞬たりとも同一性を維持できない「無常の存在」である、という仏教的思想であり、粒子論的観点からも反証される真理ですね。
万物にはエントロピー、常に「秩序」を崩壊させる力が働いてます。幸福とは「秩序」ですよね。仕事であったり、家庭であり、人間関係であり、健康であり、これら「秩序」のパラメーターの総和が「幸福」です。しかし、宇宙の法則は常に平衡化、拡散化させ「秩序」を崩壊させるわけで、いってみれば不幸が当たり前なんですよ。が、ブリコジンという学者が提唱してる説には、逆にマイナスのエントロピー、つまり無秩序を再結晶させる、秩序化させる力も厳然と存在してるという「散逸構造論」があります。破壊と創造、この繰り返しが宇宙の根本原理ということですね。滅茶苦茶になっても、また、新しく「秩序」が再構築する可能性が厳然とある、ということです。
話が飛躍しましたが、>築き上げてきたものや、自分が信じていたモノを、これでもかというくらい目茶苦茶に壊されてしまいました なんていうことは、普通にそこらへんにある珍しくもなんともない話だ、って達観し、まず、それを受け入れるしかないですね。そこから、また、貴方の人生が新しく展開し、開けてくる、「再結晶化現象」が来るんじゃないですかね?それがどういう形か、いつなのか、ってことは誰も知ることはないでしょう。が、これを信じることが、あなたの信仰ってもんかもしれません。
ま、当面は鬱状態が続くと思いますので、心療内科にいって一度カウンセリングを受けた方がいいでしょ。但し、多量の薬を処方するような医者はやぶですからパス。時間をかけても、話をじっくり話を聞いてくれて、親身になってくれる良い医者を探すべきです。多量の抗鬱薬で廃人になった人なんていくらでもいますから。
時間に余裕があるなら旅行に行くのもいいですし、いらいらが募るようでしたら、プールやストレッチ、ウオーキング、軽い筋力トレーニングで汗を流すのも、精神を安定させるセロトニンが分泌されますから効果的ですよ。
崖っぷちの自分みたいな人間でもなんとか生きてますから、あなたも「とりあえず今日1日生きてれば、それでOK。死ななければれで合格!」くらいの気持ちでやりすごしてください。それでは。
お礼
>自分の葬式をしました。 目からウロコでした。 心情的にちょっと救われた気持ちです。 あと、ジョギングでもしてきます。