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障害者の心の負担について

ある障害を持った男性が「ピア・カウンセリング講座」に 参加し、同じような障害を持った人たちと本音を 話し合った。 この男性は、自分の障害があるがゆえ、 例えば、一人で水が飲めないのを他人に頼んだ際に 「またかよ」と言われたりする。 ついつい口癖も「ごめんなさい」、「申し訳ありません」 となってしまっている。 家族においても、家族や周囲に迷惑をかけていると思い、 欲求を抑制することが度々ある。 そこで質問なのですが 障害を持っている人は、心理的にどのような負担を 抱えているのでしょうか。 また、それによる困難や不便さを取り除いていくためには どのような援助や取り組みが必要だと考えますか?

みんなの回答

  • tomopu
  • ベストアンサー率8% (4/45)
回答No.4

再びです。#1のものです。こんばんは。 >以前、常に他人からの手助けを必要とする方と出会 と申しますのは、常に他人からの手助けを必要としなければ(トイレ・着替え、のお世話。その他もろもろ)ならない自分の意志をもつ方。違う言い方をすれば、努力だけではどうにもならない障害を持っている方です。 いや~でもその方は強かった!精神的に強かった! 私は外見上わからない法律上の障害者です。 今までの回答プラス、どちらか言えば日本の社会は、障害を持った人を弱気にさせてしまう環境ですよね。 悪くいえば自分である程度の努力によってはカバーできる事も、できなくさせてしまう環境。そしてそのレールにのってしまう。。。。 「どうせ私は。。。。」って 私がそうなんですよ 笑 とにかく前回同様、普通に接する事が大切ですよね。 ここで、質問している段階でやはり、障害者として自然と接してしまっているのでしょうね。 すいません、えらそうに言えるモノでもないのに! きっとお優しい方なんでしょうね。  

回答No.3

こんばんは。 今、自分が書いた解答が消えてしまい、泣きそうな障害者です。 私は、股関節に障害がある者です。 >障害を持っている人は、心理的にどのような負担を 抱えているのでしょうか。 答えは、ひとそれぞれ、です。 私の場合は、杖を持っていないと見た目で分からないので、 電車などで席がない時、イライラする一方、 席を譲られるのもなんかイヤ、というワガママです。 本当は、『助けてください』の一言が言える強さが必要なんでしょうけど。 また、足に関しての質問もイヤです。 人に知られるのがイヤなのではなく、 『怪我?』『生まれつきだよ。』 『治るの?』『治らない。』 のやり取りで、相手が気まずそうにするのがいやなんです。 足が悪いのが悪いのか?!って感じです。 障害者でも、健常者でも、機嫌が悪い時は悪い、 性格が悪い人は悪い、嫌な事はひとそれぞれ、 うれしい事もひとそれぞれ。 障害、と一言に言っても、精神障害から聴覚障害、身体障害、いろいろですし、 先天性・後天性によっての心理面の違いも大きいようです。 私の場合、先天性なのに、19歳になるまで気がつかなかった為、健常としての経験?もあり、二つの側面がよくわかります。 自分自身のことを言えば、先天性として受け止めるのがキツイというのが本音です。 健常の生活でも、腹が立つことはあるし、 障害者として、腹が立つこともある、 障害の有無で、腹が立つことは悲しい世の中だど、 障害があるからこそ気づける事、 嬉しい事、人のやさしさに触れられる事、 出会えた人がいる事、ということもあります。 要するに、自分を認めることが大事ですね。 >それによる困難や不便さを取り除いていくためには どのような援助や取り組みが必要だと考えますか? 親身になることです。 先ほど述べたように、障害者といっても人間で、個性がありますので、対応はそれぞれになります。 同じ障害を持つ人でも、ここまでは自分でやりたい、でも、ココのラインからは手伝って欲しい、 というのが違います。 よく、ボランティアがかえって迷惑だと言う話を聞きます。 それでは本末転倒です。 それは、お互いの歩みよりがないからです。 してもらう側も、『これはお願いします。』『これは自分で出来ます。』の一言を添えること、 する側は、独り善がりにならないこと、押し付けにならないこと、に注意し、その人自身を見つめる事で、 本当にその人が必要としている事は何かを見極めることです。 確かに、私も、『ごめんなさい』『申し訳ありません』 と言っている自分にうんざりしますね・・・。 仕方ないのでしょうが、自分でもっと心の広い人間になりたいです。 今、興味深い本をよんでいます。 『クララは歩かなくてはいけないの?』 著;ロイス・キース 訳;藤田真利子 2003.4.30.、明石書店発行、ちょっと高い2600円也。 いかに、児童文学が障害者感に影響を与えているかの本で、そうとは知らずに買ったのですが、著者自身が脊髄損傷者のようです。 私の、『なおらない』ことに哀れみを感じられるのがイヤだという問題を解決する手がかりになりそうです。 大事なのは、人間として、どう生きるか。 長くなってしまってもうしわけありません。

  • shiro_002
  • ベストアンサー率13% (16/115)
回答No.2

ちわ、もと障害者です、ベットで寝たきりでした(だいぶ回復しましたが・・)。 この男性の気持ちは良く分かります。 食事・排泄・歯磨き・・・と言った一般の人にはあまりに普通のことがすべて出来なくなるのです。 頼むから、この手と足を動くようにしてくれ!俺は顔が洗いたいだけなんだ! とヤケになりますが、それが過ぎると(私の場合1~2カ月)多少落ち着いて諦めにも似た現実を受け止めます。 それでも食事を看護婦さんに食べさせてもらうのもイヤだったし、見舞いで貰ったリンゴもイヤだった(自分じゃ包丁も使えない) 暑くても窓も開けられない。ほんと自分がイヤでした、自分は何の役にも立たないし、必要ともされていないんです。 自分の経験で言うと、相手を思う気遣いだと思います。 お水もって来ましょうか、シーツを取り替えましょうか、カーテン閉めましょうか、売店で買ってくるのものありますか・・・と、これでもかと言うくらい、どんどん話し掛けて助けてあげてください。 そうすると、相手も申し訳なく頼むと言うのが少し薄れると思いますよ。

umeco
質問者

お礼

早速の返答ありがとうございます。 実際、経験された方の経験談だったので 非常に助かりました。 実は私も昔、病院に入院したことがあったのですが 本当に軽度のものだったので不便な経験はしませんでした。 一方、重度の障害をもつ人の‘要求’、‘欲求’を どうしたら果たしてあげられるのか ずっと考えていました。 まぁこれは看護婦さんの仕事なんだろうけれど。 いい経験談ありがとうございました。

  • tomopu
  • ベストアンサー率8% (4/45)
回答No.1

はじめまして。 >障害 すごく奥深い言葉だと思います。 私は目にみえない障害をもっています。外見では判断できません。内分泌系です。でも障害は多々あります。私の場合、自分の中の心理的障害が強いです。 私が最近思う事は、本人の病気に対しての捉え方が大きく関わると思っています。 以前、常に他人からの手助けを必要とする方と出会う機会がありました。 付き合いとしては三ヶ月程度あったので、ある程度その方を知ることができたのではないかと自分では勝手に思っています。 その方の心は私には、健康人に感じられました。もしかすると、過去には、いろいろな苦難を乗り越え今があるのかも知れません。。 周りの環境なんですよね。 やはり、可愛そうの目で育てられれば、本人はそのことに必要以上に引け目を感じる→悪循環のはじまりです。。。。 >障害を持っている人は、心理的にどのような負担を 抱えているのでしょうか 根は深いです。いつも、障害者は蔑視の目で見られています。特に日本は。 求めているものは一人一人ちがいます。 普通が一番。障害が持った人ではなく、普通の人として接した時はじめて、答えがでるのではないでしょうか。 むずかしい。。。。。(~o~)答えになっていないかもしれません。。。。。

umeco
質問者

補足

>以前、常に他人からの手助けを必要とする方と出会う  機会がありました。  ↑ これは、どういうことですか? もし気に障らなければ教えて下さい。 >求めているものは一人一人ちがいます。 普通が一番。障害が持った人ではなく、普通の人として接した時はじめて、答えがでるのではないでしょうか。  ↑ いい返答だと思いました。 ありがとうございます。

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