えっと、まず国の中の人は各人が多様な見解と主張を持ち、全ての日本人がこぞって一つの主義に凝り固まるのは不可能です。これは日本であらずともどの国でも同様なことですね。
過去、日本は政治的に核武装を考えた時期もあった。中国が闇雲に核実験を繰り返し放射能の灰が日本を覆いつくすことが繰り返されていた時代、日本の政治上層部は核武装を検討していたんですよ。
ところがその同じ政治上層部が非核3原則を打ち出すことになる。
と同時に米国の日本への核抑止力の提供を強固に要求した。
日本核武装 - 非核3原則 -米国の核の傘
これら、一本線に繋がる三つ巴の思想です。
日本核武装をしても、他国を脅かす為のものではなく自国防衛のため。
非核3原則と言っても、米国の核抑止力を強固に期待したいが為のもの。
米国提供による核の傘が確固たるものである為には、日本が核日保有国であるのがほぼ必須条件。
日本は自国防衛をするために、日本の国の主権と国民の生命と財産と安全を守るために、日本核武装・非核3原則・米国核抑止力のどれかを、或いは幾つかを、或いは全てをやる必要があった。
その目的は特には対中国防衛です。
なので日本はその3つの全てをやった。
非核3原則を主張することにより米国の核の傘の完全提供を要求。同時に米国の核持込による日本核武装を実現。当時、韓国には核抑止力の米国保障は無くとも日本への核抑止力の提供は米国は完全保障した。
なので、非核3原則は日本が核武装する為の手段であった… という逆説的な条理になりますね。
日本の多くの大人は、大体はその原理を承知しながら、非核3原則を唱える民間平和団体を馬鹿にしながら、政府の非核3原則を支持していたのです。密約の存在に気が付きながら。
ですので、密約は日本の平均的大人の支持を受けてきたわけであり、今更密約の存在がどうのこうのとホジクリ返すのは大人気ない…という感覚。
まかり間違って密約の存在をあげつらい、非核3原則「だけ」を強烈に主張する政治家がいたら大半の有権者の支持を失い、そうする政党は国民から感情的に排除されることになります。