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本当の思い遣り
理由は分からないですが、何故か私の事を避ける(?)友達がいます。 最近その子がアメリカ留学から帰ってきた事を共通の友人から教えてもらいました。 皆15年来の友人です。 私は昔からあまり頻繁に連絡を取り合っていなかったので、直接帰国の報告がなかった事は気にしておらず、またお帰りなさいの食事会をしたいな~と思ってました。 しかし、共通の友人は、彼女が留学するとき壮行会を開き餞別を渡した私に、帰国の連絡が無かった事が筋が通らないひどい事だと言いました。 共通の友人はその子に帰国したことを私に言ったか確認したら、言ったよって嘘ついてたと教えてくれました。 私はその子の嘘にも傷つきましたが、共通の友人のこの報告にも正直傷つきました。 私が彼女の立場なら、言わないと思います。 共通の友人はその子に人としてのどおりや友達への思いやりを説きましたが、それがわかっている人なら相手の立場にまず立って、言葉を選ぶなり敢えて言わないなりをするのが本当に思いやりがある人なんじゃないかと思います。。 私は間違っていますか?
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noname#106108
回答No.1
思いやりとは「先のことを見越した頭の良さ」のことを差すのではありません。それは思いやりというよりは、気配り上手なだけです。 思いやりとは、相手を理解しようと「その人なりの心づくし」で努力することです。そういう意味では、共通のご友人は気配りに関しては何ともいえませんが、ご質問者さまのことを精一杯理解しようとしているのではないでしょうか。 知ってしまったことや、分かってしまったことで傷ついたからといって、それはもうすでに過去のことです。嘘をつかれた苦しい心中お察ししますが、悠然と構えて、あえて今まで通り振る舞うことはできないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅くなりすみませんでした。
補足
私は本当の思いやりとは、先を見越して相手の心情を察し気遣う事だと思います。 とても難しいことですが… “その人なりの心づくし”に相手への気配りがなければ、それは、自己中心的なものになるのではないでしょうか。言葉がひどくてすみません。 今回私が説明ベタなため、先の投稿になりましたが、共通の友人の言葉や態度は私を理解しようとしてるんだな、と感じる前に、自分の信念に反した友人を責めることに躍起になってる気がしました。 今まで通り二人とも同じ距離感で接しています。 重ねてご回答ありがとうございました。