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先生
前に「義家議員はただ不良が公正しただけで、なんであんなに世間的に評価されてるのかわからない、逆に夜回り先生の水谷先生はもっと評価されるべきだ」みたいなことを知人から聞きました。 実際のところこの2人は実績とかどうなんですか?
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夜回り先生こと、水谷修氏については、あまり詳しくないのですが、「ヤンキー先生」こと、義家弘介氏に関しては、調べれば調べるほど、「胡散臭い」という印象しか出てきません。 というのは、義家氏は、その時々で言っていること、それも普通はぶれることがないであろう自身の経歴などについても、変化してしまうのです。 そんな状況なので、義家弘介氏の主張が、時と場合によって全く変わってしまうのは当たり前のような状況です。 義家弘介氏は、1971年に長野県で生まれ、高校2年のときに暴力事件を起こし、実質的に退学処分となり、家を追い出される形で里親の元へ預けられ、北海道にある北星余市学園へと編入します。 そこで、更正し、明治学院大学の法学部に入り、4年の秋に司法試験を目指していたものの交通事故にあって入院・留年。そのとき、北星余市時代の恩師が見舞いに来たことで、教師を目指した、という風に言っています。そして、翌年卒業して、教職免許を取り、数年間の塾講師を経て、母校である北星余市高校の教師になった、とされています。 この時点でおかしいのです。 教員免許を取るための教職課程は、1年では取れません。普通は、大学1年の時から専門科目を積み上げ、4年になると、教育実習生として学校の現場に出る、などし、ようやく資格を取得することが出来ます。明治学院大学の教職課程などを調べても、やはり入学時から積み重ねないと無理である、という風に書かれています。 ところが、義家氏は、それを1年でやってしまったと言うのです。これは完全に嘘がある、ということになります。 義家弘介氏の教員としての実績はないに等しいです。 氏が北星余市高校の教師になったのは、1999年4月で、退職は2005年3月です。つまり、教師をしていたのは僅か6年に過ぎません。しかも、1年目は専任講師という、クラスを持たない状態で、2年目~4年目までは持ち上がりで担任はしていましたが、その後は生活指導やアルバイトが忙しく(03年の秋に彼のドラマが放映されたことで、講演などが多く入り、そちらに精を出していたそうです)、担任などはしていません。 つまり、現場で子供と常に顔をあわせろ、と威勢良く吠えている割に、彼は殆ど、現場にいたことがないのです。 さらに05年4月から横浜市の教育委員会の委員になりましたが、07年6月に参院選に出るために、途中で放り出しています(同様に、安倍内閣の教育再生会議の委員もこのとき、途中で放りだしています) しかも、当時は、日本テレビのワイドショーのコメンテーターなどを務めていて、教育再生会議の中で「極秘」とされたことをぺらぺらと喋ってしまったり、そのワイドショーのコメンテーターも、番組スタッフに何も言わずに突如、やめる、ということをしてトラブルを起こしています。 このように、客観的なところだけでも、極めて無茶苦茶なトラブルばかり起こしている人です。 また、義家弘介氏は、自民党に所属し(町村派所属)、最近は日教組批判などを繰り返していますが、元々は、日教組の活動に熱心で、共産党の機関誌あかはたに、現在とは全く逆の教育に関する投書を行うなど、現在とは正反対の活動をしていました。 元々、北星余市高校は、ある程度、金のある高校中退者を全寮制で引き取る、ということをしていた学校です。 その北星余市高校が、自らの学校をアピールするために母校出身者である義家弘介氏をある種の「ヒーロー」として売り出したところ、予想以上に人気を集めてしまい、義家氏は金儲けだけしてすぐに辞職。その知名度で、国会議員にまでなりつめてしまった、というだけのことと言えるでしょう。 なお、義家弘介氏は、横浜市教育委員会の委員など、公立学校の改革などを進めていたくせに、自分の子供は私立学校へ入れたそうです(笑) こんな人です。
お礼
ありがとうございます。