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どうやったら作曲する事ができるのですか
全く音楽的素養がありません。次々に新しい曲を世に出される作曲家の先生は私からみると根本的に脳の仕組みが違うのではと思わざるを得ません。私にはどうやっても新しいメロディーが浮かんできません。浮かんでくるのは必ず何処かで聞いたことのあるものばかり。ふっと浮かんでくるものなのですか、楽器を弾けなければだめですか、はじめから最後まで一連で浮かんでくるのですか。 メロディーは浮かんでこないくせに疑問ばかりが浮かんできます。どなた様かその辺のところを教えていただけませんか。
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私は作曲とピアノ演奏を幼少のころから学んで二十数年になる者です。どうやったら作曲ができるかという問題は、これまで度々質問が あったかと思いますが、私は全く作曲や楽器演奏を経験していない人に一から作曲を教えた経験があるので、「作曲のメカニズム」に関 する問題には今まで随分と考えさせられました(この問題についての多くの書物を読んだりもしました)。ここで多くの専門家と私の考 えをミックスして「作曲メカニズム」について議論したいと思います。 まず、作曲は下のymrsさんが述べられたとおり、完全に経験的なものであって、多くの音楽体験によって得た音素材を自分の脳裏に蓄え、 その中から作曲という具体的な行為の際に選び出すという作業に他なりません。つまり我々の頭の中には「音の空間」と呼べるような、 音に関する情報の記憶を持っていて、この音の空間から素材を選んで組み合わせることが、作曲なのです。世の中には、作曲ができるこ とを「天から授かった特殊な能力」であるという人がいて、それが素人の発言ならまだしも、作曲の専門家が自分の能力を「神の力」な どと言うのは、全く遺憾なことです。作曲は人間が誰しも持ち備えている能力で、作曲が出来ないと思う人と出来ると思う人の差は、単 に「程度の差」あるいは「音の空間の広がり方の違い」でしかありません。 とにかく我々は、多くの音楽体験(聴く、見る、歌う、演奏する、考えるなど)によって、意識の奥のほうに存在する「音の空間」に様 々な音的素材をためこみます。そして重要なことは、経験によって音の空間にため込まれた多くの素材は、時間と共に「変容」すること です。模式的にここまでのことを示すと、次のようになります。 音楽体験 → 音の空間に音素材を蓄積 → 記憶の変容 → 作曲時にその空間の中から素材を選択し組み合わせる 作曲の初心者は、この「変容」が弱く、後に作曲するとき、音の空間から素材を選び出すときに、体験から得たそのままの形で選択する 傾向にあります。初心者がどこかにあったような素材しか浮かばないのはこのためで、作曲になれた人は「変容」のプロセスを踏んでい るために、作曲時に出てくる素材は最初のものとは異なるものとなっています。「オリジナリティー」というのは変容するかしないかに かかっていると言えます。 ところで一口に作曲と言っても、どのような曲を創造するのか、どのようなレヴェルで行うのかによって、そのプロセスは大きく異なっ てくるでしょう。そこで、最も基本的な場合と、高度な作曲のプロセスの2つを述べたいと思います。 [A] 最も基本的な作曲のプロセス 最も簡単な場合は、音の空間から引っ張り出してきた変容を受けた音素材を組み合わせるとき、理論的な考察を行いながら進め、作品に していきます。「理論」とは例えば、旋律をバランスよく作るための経験的な方法とか、それに和音をつけるときの基礎的な技法(和声 法)を意味します。つまり、作曲は行き当たりばったりでは大抵の場合ろくな作品は出来ず、必ず冷静な理論的考察が必要です。このこ とは、どんなに簡単な音楽を作るときにも、作曲の目的に合ったものを生み出すためには必要なことです。 ところで、作曲を知らない人と、作曲のプロでは、同じこのプロセスを通っても、最後にできる作品には違いが見られます。しかしそれ は単に音楽体験の多さの違いによるものだと思います。作曲を専門的に勉強している人は、作曲技法(和声法、対位法、楽式論、楽器法 など)を勉強することを、一つの音楽体験として意識の中に吸収します。ここが初心者と大きく違うことです。例えば「和声法」は、 (色々な方法がありますが、最も典型的なものは)ソプラノ・アルト・テノール・バスの四声体で和音を表現し、各声部がどのように進 行して和音進行を成立させるかについての「原理」を記したものですが、これを勉強して、和声的に豊かな音響進行を演奏などによって 実践することで、より美的な音楽現象を体験することが出来ます。和声法はその名の通り方法論ですが、和声法に従った現象がどのよう なものかを知り、和声法を知らない人間には到底理解できないような次元で音楽について考察し、それを音素材として音の空間にため込 むことで、出来る作品は素人とは違ったものになります。つまり、音楽について良く知っている人間は、音楽体験の種類がそもそも素人 とは違うということです。 もう一つ、楽器を演奏できることは、演奏できない人よりも多くの異なる音楽体験をすることになります。聴くという行為と、弾くとい う行為から得る音楽の情報は、本質的に異なるものです。下のymrsさんは「楽器が弾ける弾けないは作る能力と直接はあまり関係ない」 と述べられていますが、楽器が弾ける人の方が、作曲において有利であることは確かなことです。また、「作曲家というものはあまり楽 器を弾かない」というのは事実なのですが、しかし昔に楽器を弾くことに熱中した時代が長い人ほど、音楽体験は豊富で、音の空間もひ ろがりをもちます。 音の空間では、経験によって得た素材をどのように蓄えるものでしょう? これも人によって違います。最も良いのは、絶対音感によっ て完全に音が蓄積されることです。絶対音感は作曲家にとって完全に必要なものとは言えません(実際かのチャイコフスキーには絶対音 感が無かった!)が、それでもやはり絶対音感は作曲には有利です。絶対音感が無くても相対音感を持つほうが重要です。また音の空間 にためこむ素材とは、旋律に限ったことではなく、複旋律(2つ以上の旋律の融合)とか和音進行とか、リズムの組み合わせとか、形式 など、様々なものがあります。作曲家は多次元的な音楽情報を音の空間に貯めています。初心者はとかく「旋律」に目が行きがちですが、 作曲は決して旋律素材の記憶と変容だけで出来るものではありません。 これまでのことをまとめると、この最も簡単な作曲のプロセス[A]においても、音楽体験の種類や多さ、音の空間にため込む音素材の次 元によって、最終的にできる作品の良さは違ってきます。 [B] 高度な作曲のプロセス やや高度になると、作曲はまず、「楽想・理念の萌芽」から始まります。つまり「どんな音楽をつくるか」を抽象的・象徴的な形で心に 描くわけです。それは音の情報である場合とそうでない場合があります。最初に作曲家の心に一筋の何かが舞い降りるとき、それは旋律 でもなく、和音でもなく、音と呼べるものかどうかもわからない何かが、衝動的に心に広がることがあります。作曲家はその「何か」が いったい何であるかを探るために、作曲を行います。作曲という音を用いた表現によって、その「何か」を具現化するのです。 このような凡人には理解不可能な作曲のプロセスは、作曲を専門にしている人でも簡単に出来ることではありません。ブラームスは、一 つのモチーフをもとに、何回もスケッチをとって、あれでもないこれでもない、と右往左往・試行錯誤して(すなわち上の[A]の方法で) 作品を作ることが殆どでした。しかし、モーツァルトの数週間で交響曲を何曲かつくるといった早業は、この[B]のプロセスによってでき たと思われます。つまり、作曲する前から、作品の完成された姿をモーツァルトはあらかじめ見ていて、それに近づく行為が作曲なので す。このようなプロセスは、特に、それまでにない新しい様式で音楽を創る際に必要となります。 これまでのことをふまえて、では実際どのようにしたら作曲が出来るか?という問いに答えましょう。ずばり、それは「経験を積む」と いうことです。それしかありません。ただし重要なのは、経験の量も大事ですが、質の良い経験をすることです。それは音楽を多角的に 眺めることです。 まず私の少ない経験を元にして言えることは、初心者はまず、楽器を弾くことをもっと体験すべきです。できれば鍵盤楽器の方が応用が ききます。例えばピアノを弾く技術が向上すれば、作曲の技術も向上するでしょう。世の中には優しいことだけ言って人を励ましたつも りでいる人が沢山います。本当に励ますというのは、できるだけ真実味のある情報を提供することではないでしょうか?初心者が楽器を 弾けなくても作曲ができるというのは半分ウソです。特に音感が弱い人は、楽器を弾くという行為で音の空間への素材の蓄積と作曲時の 素材の選択という、まさに、上で述べたプロセスが円滑に行えるはずです。作曲時に楽器を弾かなくても良い人というのは、高度な音感 があって、どこで何をしていても(電車・トイレ・風呂どこでも)頭の中で音を鳴らして、仮想の演奏が出来る人です。作曲が上手くな る最上の方法は演奏技術を磨くことでしょう。 次に作曲に上手くなるための方法は、色々な音楽の理論的側面を知ることです。初めは簡単なものから、徐々にレヴェルアップしていけ ば良いと思います。理論を知るとそれまで見えてこなかったものが見え、また同じものが異なったもののように見えてくるはずです。世 の中には理論の学習を薦めない人もいます。「知識ばっかり増えて実際面に役立たない」と言う人々です。こういう人のことを信用して はなりません。こういう人は音楽を理論的に考察した場合に見えてくる美しい体系の存在を知らない人か、極度に勉強嫌いか、または、 音楽や作曲が完全に感覚的になされるものだと信じきっている人でしょう。作曲において、体験から得た素材を空間にためこみ、それを 変容させて、選択するという一連のプロセスは、無意識的・感覚的なものでしょうが、素材をもとにしてそれをどのように構築し作品全 体を創るかという問題は、理論的に解決される(されるべき)ことです。もちろん新しい音楽を創造しようという大きな夢をもてば、 既にある理論や技法を駆使することより、理論や規則を自分で考案することの方が重要になるでしょう。しかしそれでも、歴史が作り上 げた技法や理論の伝統は、新しい音楽を創るときの良いヒントとなりますし、何が古く何が新しいのかを判別する際に既存の理論の理解 が必要なのです。 もう一つ重要なことは、いくら作曲が上手くなっても、常に自分は素人だと思うこと、常に向上心をもって望み、既存の方法に満足しな いことです。これまで述べてきた文章中に「素人」という表現がありますが、そういう私も、自分は素人だといつも感じています。 音楽は人間にとって完全に解かれることのない大きな問題です。どこまで行っても、到達点はありません。 長くなりましたが、以上です。何か疑問や、文章中でひっかかるところがおありでしたら、補足をお願いします。
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- maxima
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私が思うに、作曲家の先生が完全なオリジナルなメロディーだけで作っている曲は、案外少ないと思いますよ。 フレーズとかリフ(リフレイン)等の展開やアレンジの仕方とか、パートの重ね方等の素材をうまく使ってオリジナリティーを出している場合のが多いようです。 特に古典的な手法で作られている型の場合は、多く聞き慣れてくると新しい曲でも展開がよめます。 従って、一般人としてはそんなに知識を深めないと作曲できないようなものを作りたいのでないのですから、楽器を弾けなくても問題ないと思います。 聴いたことがあるメロディーでも浮かぶのであれば、この能力を高めれば作曲できるようになります。 ミュージシャンの基本はコピーからですし、頭の中でライブやCDを聞いたのと同じように音が鳴るようになる程聞き込めば音感も十分つきます。努力でそうなります。 楽器を弾いて経験しなくてもそういった意味では、作曲に十分な経験は積めると思います。 オリジナリティーをどう養うかといえば、まず貴方の気に入った文章や詩(創作したものでも良いと思います)に思い切って抑揚をつけて声に出すことから始めます。 自分で気持ち良く抑揚がつけられるようになったら、これに音の長短を加えてやればオリジナリティーのあるメロディーが1フレーズ出来上がりです。 幾つかのフレーズとそれらのリフパターンを作って気持ち悪くない組み合わせを作ると曲らしくなります。 これを録音すれば記録として残ります。再生して気持ち良くハモれる様になったら、重ねて録音します。 これで、コード進行もついてしまいます。伴奏付きですね。後はたくさん作ってみて、自分なりに表情がどうやったらつくか工夫していくと、経験に従って曲らしさも高まってきます。 創りためた数多くのフレーズやリフをいろんなパターンで組み合わせてストックしておくと、曲を作るときのアイデア素材として役立つものです。音でデザインするのが作曲と思っても良いと思います。 アンサンブルや試行錯誤をするのに、テープで録音するのも大変なので、サウウンドボードやソフトを使ってコンピューターで多重録音して継いだり切ったりしながら創るというのが良いかと思います。 別にDTMソフトでなくても音楽編集ソフト(テープ編集的な)があれば事足ります。この操作を修得する方が、楽器や譜面階の鍛錬するよりは、早道だと思います。 探すと、取り込んだ音素材を自動的に譜面に直してくれるソフトもあるはずですので、これを使えばりっぱに譜面までできてしまいます。 演奏となると自動演奏に頼ることになるでしょうから、打ち込みを覚えるか、DTMソフトを覚えて音源ボードでMIDI変換した素材を鳴らすといったことになるとおもいます。 長くなってしまいましたが、楽器が弾けなくても作曲はできるということは解って頂けたでしょうか? 簡潔に書けなくてすみませんでした。
お礼
非常に詳細にまた具体的なご回答をいただき厚く御礼申し上げます。読ませていただいて、なんとなくではありますが、これなら自分にもできそうな気がしてきました。以前に都々逸に関する質問をさせていただいたことがあるのですが、 「気に入った文章や詩(創作したものでも良いと思います)に思い切って抑揚をつけて声に出すこと」 のご指摘はまさに都々逸の節回しが定型のものではなく、実は非常に個性的なものであるということを教えていただいた事に通じているように感じました。 maximaさんのご回答で大変勇気づけられました。ありがとうございました。
- torineko
- ベストアンサー率0% (0/1)
私も音楽をやっているものです。脳の仕組みが違う・・・と言えば、坂本龍一さんは本当に違うそうですが(左脳と右脳の音を行き渡しする部分が以上にでかいそうです)、彼も「大体のものは95%がどこかで聴いたことのあるもので、良くて5%がオリジナル。でもその5%にいかに自分を出せるかが大切」みたいなことを言ってらっしゃいましたよ。私もそう思います。 また、今は楽器ができなくても、シーケンサーで作曲するという手もあります。私の知人も音符が読めない人や鍵盤が読めない人、ドラムしかできない人なんかもこれを使ってバリバリ作曲してますよ。なーんにも思いつかないときでも適当にシーケンサーで遊んでたら思いついた、てな感じで。でも、シーケンサーを購入するにはお金も多少かかりますので、持ってる方に貸してもらってちょっと遊んでみるといいですね。 お役にたてたかどうか。
お礼
先日TVで脳の仕組みが少し違うだけで特定の分野に天才的な能力を発揮する人を紹介していました。人間の身体の仕組みは本人にも想像がつかないほど高度でかつ神秘的なもののようです。そのパフォーマンスを最大限に使用できない(あるいはその努力をしていない)ことは一つの罪かもしれませんね。 坂本龍一氏をもってしても95%が経験的なもので、残りの5%がオリジナルなものとはびっくりしました。すると、人類初めて作曲の偉業を成し遂げた人は一体どんなスーパーマンだったのでしょうか、興味がわいてきました。ご回答ありがとうございました。
- radiocat
- ベストアンサー率33% (5/15)
音楽とは音を楽しむと書いて音楽と読みます。 難しい知識はあれば役に立つと思いますが もっと大切なのは何のために曲を作るか? ってことじゃないでしょうか? たぶん誰もが最初は「フンフンフン~」 という感じの鼻歌で始まり それをもっと「ポロン、ピロン、ジャーン」 とやりたくなって そしてテープに録ったりして形に残したくなるのだと思います。 まずは音楽を楽しんでみることです。 焦ってはいけません。 最初はみんな鼻歌なんですから(笑)
お礼
そうですか鼻歌からですね。そうだ私も鼻歌から始めよう。あせらず楽しくまずは鼻歌から。なんかとっても楽しくなってきました。ありがとうございました。
- ymrs
- ベストアンサー率59% (121/203)
いつもユーモアたっぷりの文章楽しく読ませてもらってます、y2a2さんは音楽にも興味がおありなのですね。 どこかで聞いた事のあるメロディーは出てくるのは当然のことで、 メロディーをつくり出すと言う作業は結局、過去に色々聞いたメロディーに関する記憶の貯蔵庫の中から、組み合わせを変えて登場させると言う事だと思われます (音楽を聞いた事の無い人は作曲ができないはずです)。 その組み合わせを変え方がセンスと呼ばれるものなのでしょう(学術的な事は知りませんが)、完全なオリジナリティーなど存在しないわけです。 ところが、ホントにどこかで聞いた事のあるメロディーじゃ困る訳で いかに、違ったものを組み合わせるかで、聴いた人は新しさというものを 感じるのでしょう。 ですから >私にはどうやっても新しいメロディーが浮かんできません。 そこで耐える事が大事なのでは? 文章を作る作業に似たものだと思いますよ。 ちなみに楽器が弾ける弾けないは作る能力と直接はあまり関係ないです。
お礼
音楽ってきっと人間が作り出した最高の発明品ではないかと思います。人の心を揺り動かすこの不思議なもの、「音楽」というものに人は古の昔から惹かれ続けてきたのではないでしょうか。もうひとつの偉大な発明、「言葉」では決して立ち入ることのできない心の隅っこにまでそれは容易に入りこみ、心地よい共鳴を響かせます。できるなら自分もそれを生みだし、人の心を幸せにできたらどんなにすばらしいことかなと思ったりします。 ymrsさんはこんな音楽を生業になさっているのでしょうか。的確なアドバイスをいただきありがとうございました。 >文章を作る作業に似たものだと思いますよ。 私にとってこの言葉は音楽同様とても心地よい救いのお言葉でした。
お礼
大変詳しくそしてわかり易くご説明いただき誠にありがとうございます。作曲のプロセスをこんなに丁寧に解説いただいたのは初めてで、感動いたしました。alien55さんのこの道に懸ける熱い情熱にあまりにも稚拙な質問をしたことをただただ恥じ入るばかりです。ご意見の通り作曲の道のりは長くそして深いもの、そしてたゆまない努力を必要とするものなのですね。 4320字にも及ぶ長編のご回答にお応えできるよう頑張ってみます。本当にありがとうございました。