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朝日新聞だけ見出しが違うのはなぜ?
最近、JRの特急や新幹線が子供をひく事故がありました。 その報道についてですが、NHKや他社は 「子供が列車にひかれた」 「子供が列車にはねられた」 と伝えましたが、朝日新聞社だけ 「子供が列車に接触した」 と表現していました。 素朴な疑問ですが、何か理由があるのでしょうか。
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それは、表現する人(会社)が違うからではないですか? 新聞や報道機関って、会社ごとにかなり見方や意見が違うようです。新聞の「社説」などはまさに、その新聞社の「説」、見方が表れてるのではないでしょうか。2、3種類とってる人は、読み比べられるので、違いがよくわかるようです。 もともと、新聞もニュースも、記者が見、知った出来事をその人の言葉で人に伝えているのです。ある意味、記者の主観です。表現が違うことも当然な気がもしてきますね。
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- myeyesonly
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こんにちは。私もNo1さんの通りと思いますが、無理矢理何か違いを見出すとすれば、 「ひかれた」「はねられた」・・・生命のある物体が接触し死傷した。 「接触した」・・・どんな物体であるかは問わずに「接触した」が被害の程度は考えてないという事になるでしょうか。
お礼
早々のご回答、ありがとうございます。 「接触した」だと、勢いとか程度について、主観が入らないということですね。参考になりました。
- taroimo_hasami
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別に意味は無いのでは。 確かに、「ひかれた」と「接触した」では感じ方に違いが出ますけど、言っていることそのものは同じだと思います。 私としては、「ひかれた」「はねられた」という表現の場合、列車が子供にぶつかっていった、という印象を受けますが、接触したの場合、より客観性がまして冷静だと感じますが。つまり、どちらがぶつかったか、ということではなく、感情の抜け落ちた表現だ、と言っているのですが。語感の問題ですね。
お礼
早速のご回答、ありがとうございます。 「こんな些細なこと、どうでもいいんじゃ…」という回答も覚悟していただけに、うれしいです。 なるほど、「接触した」の方が確かに客観的ですね。マスメディアは公平であるべきなので、より客観性のある表現を選んだということですね。 ただ、私の中には少し引っかかるものがあって、「接触する」と「ひかれる」じゃ、何か意味が違ってくるような気がしまして……(^^;ゞ 客観性について、もう少し考えてみます。どうもありがとうございました。
お礼
記者や報道機関によって、同じ事でもそれぞれの見解は異なってしかるべきですね。 そう考えたら、他社と異なる見出しになるのは当然の結果なので、私が記事を見ていて疑問に思った点の本質は、「他社と違う」という事ではないような気がしてきました。 もう一度考え直してみます。