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ドストエフスキーにこの数年嵌っています。「罪と罰(は英語版でも2回)」
ドストエフスキーにこの数年嵌っています。「罪と罰(は英語版でも2回)」、「地下室の手記(2回y読みましたが未だに良く解らない)」、「白痴」、「死者の記録」と読む進んで来ましたが、1冊読み終えるのに相当な時間を要します。正直、あの文体を咀嚼するのに時間がかかるのです。未だに「悪霊」や「カラマーゾフの「兄弟」、その他「未成年」他に辿り着いていません。無論、中身は申し分ない程好きなのですが、皆さんもかなり時間をかけて読んでいらっしゃるのでしょうか。或いは、何かコツでもあるのでしょうか?
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参考にならないかもですが。 私は読むときは深く考えず、ただひたすら文字からイメージを起こして頭の中で映画を見るように読みます。だから集中して読めば、暇さえ許せばドストエフスキーも3日あれば読めます(本当の速読者に言わせれば遅いと思いますが)。 誰だったか思い出せませんが、どこかの作家が(もしくは評論家?)、どんな人でも自分が書こうとしていたことを100%理解して読み取れる読者なんかいない、と言っていました。それどころか、自分でも考えてもいなかったことを指摘されて、あ~そうなのかと逆に感心させられることすらある、とか言っておりました。 ですから、私は自分にすべてが分かるような力があるとは思っていないので、はなからすべてを分かろうとはしません。。。速読でも、その時に理解できて得られることもあるので、それでいいと思ってます。 何年後に再読して、前にはまったく見落としていた部分に気がついて、目を開かれた思いがすることもあります。それでいいと思っています。 文体で苦しんでるとのことですが、それは慣れしかないと思います。 意味を考えずにすぐにイメージできるようになればそれほど苦しまずに済むと思うのですが。
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私は最初が『白夜』 次が『貧しき人々』か『カラマーゾフの兄弟』でした。 『貧しき・・・・』はよく覚えていません。 『カラマーゾフの兄弟』は2回ぐらい読み返しています。 『罪と罰』は古本で買ったら挫折して何年か放置、 昨年やっと再開して読み終わりました。 翻訳のせいなのか、本が日焼けしてボロかったからか、単なるストーリーの好みなのか分かりません。 『白痴』は2回ぐらい読んだかな・・・・私は1回だと話を忘れてしまうのです。 (この場合、長いからというのもありますが) 『地下室の手記』は挫折中。 すっかり忘れて間違えて2回も買ったアホです。 『悪霊』は積読中。 このようないい加減さです。 『カラマーゾフの兄弟』は村上春樹の小説中で登場人物が読んでいたので興味を持ち、読んでみたものです。 岩波の古いのを図書館で借りたら挫折し、新潮文庫の原卓也訳で。 新潮文庫の上中下は一気に読了しました。 何日か何週間か忘れましたが、とにかく、挫折気味とか長くかかったとか言う風ではなく、スラスラと。 よくは理解できないけれど、面白かったから。 『罪と罰』の時とはえらい違いです。 ドストエフスキーを体系的に読もうとか、学ぼうとか考えて読んだわけではないので、ほとんどいきなり『カラ兄』から入ったようなものです。 でもそれ以前に学校の図書室で見かけた『白夜』をたまたま読んでいたので(表紙が綺麗だったのと、薄かったから選んだ)、準備運動としては最適でした。 文章は読み慣れるほど難解な文を読めるようになりますが、 文体は好みがあるので、必ず馴染めるかというとそうとは限らないと思います。 私はあの長さと大仰さが好きなんですけどね(笑) 「どちらかといえばむしろ、いや、ことによると・・・・・しかし」 おい、どっちなんだよ(笑)とツッコミを入れながら。 こんな読み方をしている人もいます。 ↓
補足
ドストエフスキー作品については、読者様々な思い入れがあるようですね。一回で読み捨てる人、泥濘に嵌る人等等。言えることは、速読ができれば、相当素晴らしいだろうということです。私も過去よく比較されがちなトルストイ作品を少し読みましたが、ドストエフスキーの方が好きなタイプです。不思議ですよね。決して読み易くなく、しかも、大抵の人は一定量の読書時間を要す作品ばかり(多忙な現代人にはこれがネック)なのに、現在に至るまで、人を魅了し続けている。まるで、一度嵌ると、そうは思っていても克服したくなる美しい山のようです。いつかは全作品を読了したいと思います。