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最近のエコの感覚 なぜ、「物を使う」が前提なのか?

最近エコエコと言って、ペットボトルを薄くして燃やした時のCO2削減とか電池で水銀を使用しないとか全部、「物を使う」が前提じゃないですか。それはなぜでしょう? あと、車のことで、エコカー減税というのもおかしい話です。これは新規購入で買う人ならいんですが、乗り換えで買う人にはつけないほうがいいですよね、乗り換えるということは、今乗っている車を廃車にする場合、乗っていた車を燃やした場合、100のガスが出たとしましょう、そして乗り換える車いくらエコカーでも作る際にもCO2が出るわけじゃないですか、それが50のガスが出たとしてこれを何千人何万人とやったらこのエコカーの意味がないですよね? 簡単に言ったら作るときのCO2と、壊したときのCO2で壊したときのCO2が多いと意味がないわけです! それで質問は、なぜ「物を使う」が前提なのか、なぜ「物を減らしていく」と言う考えはないのか? 最近のエコと言う考えに腹が立って仕方ありません。

みんなの回答

  • shibamint
  • ベストアンサー率38% (397/1038)
回答No.6

ikesyu123様のご意見の通りです。私も普段から感じていることです。 本当のエコとは現状社会では『物を買わないこと』言い換えれば お金を使わないことに尽きます。 一方、経済を成長し続けることが必要なのも現実です。 そこで現状の文明を維持向上しながらのエコというのが 今のエコということになります。 私はペットボトル製品はあまり買いません。 お茶はやかんで煮出して容器に入れてます。 その一方、重たいといいながらペットボトルを買い続ける人もいます。 こういった、現状(矛盾)を否定しないでエコをしてゆこうとしているのが今のエコのコンセプトだと理解しています。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.5

>なぜ「物を減らしていく」と言う考えはないのか? 企業も消費者も、みんなそう考えていると思いますよ。 公共広告機構だって、そういうCMやってますよ。 (今は可愛い女の子が「ぱなしの話」と言って歌っていますし、その前は「リデュース・リユース・リサイクル」なんて踊っていましたね。あっあと、コンビニでレジ袋を断る勇気を出そうなんてCMも…枚挙に暇がありませんね) 見たことありませんか? とはいえ、CMをするのは何かしらのモノやサービスを売る企業ですから >「物を使う」が前提 なのは当たり前です。 その前提のもと、どうせ“使う”のであれば環境負荷の軽いものを…というわけです。 商品寿命を延ばしたり、繰り返し使えることで、買い替え回数を減らすことで“物が減る”ことにつながりますしね。 またエコカー減税にも腹を立てているようですが、普通に考えて買い替えて買って数年の車を乗り換えようとしますか? ありえないですよね? あれは、どうせ近々乗り換えるのならエコカー減税を機に、燃費のいい車に乗り換える時期を“早めませんか?”というものです。 買い替え時期をたかが2,3年早めたところで、人が生涯に乗る車の台数に変わりはないでしょう。 もちろん、エコが宣伝文句になっているのも事実。 しかしみんな、それはわかっていると思いますよ。 質問者さまはちょっとマジメ過ぎます。 怒るほどのものではありません。

ikesyu123
質問者

お礼

そうですね、少しムキになっていたかもしれません。 よく見たらみんなちゃんと地球のこと考えているんですよね。 ありがとうございました。

  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.4

お気持ちお察しします。 エコ商品や健康食品など、本当に良心的な業者もありますが、 ビジネスに利用されているフシもありますね。 まあ、それを買うことで、ほんとにエコになっていると思う人が、どれだけいるかは不明ですが・・・気づいている人は気づいていますよ。 それに、気づかない人たちへの啓蒙も、いずれは進みます。 もうこんなにたくさんのモノは必要ないのに、 無駄な仕事を生み出さないと、 無駄な商品を買わせないと社会が回らない、 その仕組そのものが見直されるときが、必ず来ます。 もちろん、農業など、たくさんの必要な仕事はあります。 けれど、警察や自衛隊、医療など、たくさんの仕事の最終ゴールは、 「もうその仕事が必要ではなくなること」だと私は思ってます。 その仕事を必要とする人を作り出さねばならないというのは、 人間が共同体を築いた本来の目的=協力すれば楽にいきられる を見失っています。 人類は、いまの仕組みを見直しさえすれば、 もうこれまでのようにあくせく働かなくても、 本当は人口全体を養っていけるんです。 先進国の権力者に環境破壊の影響が及ぶまでは、おそらくその仕組が改革されることはないでしょう。もしかしたら手遅れかも知れませんが。 私たちは自分に出来ることをしながら他者に影響を与えることしかできません。 最後に本のご紹介をさせてください。エコに関心の深い方なら、 後興味があるかも知れません。 お金のいらない国 (冒頭公開部分) http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/okanenoiranaikuni.html 私は海外なので本は手に入りませんが、冒頭と落語の動画を視聴しました。 こういう社会への実現が進んでいけば、環境問題は消えていくと思うんです。 今のビジネス中心のエコ「商品」では、本当の解決にはなりません。 なぜなら、もっともっと売らなければいけないからです。 たとえ消費者が必要としていなくても、 購買欲をかき立てねばなければならないからです。

ikesyu123
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 みんな(世界中)が一緒の方向を向くというの難しいんですね。 「お金のいらない国」機会があれば全部読みたいですね。 あなたのような、意見を持った人がもっといればいいなと思います、 いい言葉でした。 本のことも含めとても感動しました。ありがとうございました。

  • foofoo0
  • ベストアンサー率42% (39/92)
回答No.3

クルマの新規購入だって、公共交通機関を使用する方がエネルギー効率がよいので、エコとはいえませんよね? >それで質問は、なぜ「物を使う」が前提なのか、なぜ「物を減らしていく」と言う考えはないのか? それは、企業は物を売って成り立っているので、それを否定したら会社がつぶれてしまいます。 エコという名目で、新たな需要を作り出して、商売にすることは企業としては当然の行いですし、それによって昔よりもエネルギー効率がよくなっているのも事実です。 新たなものを作るのはエコじゃないというのは正しいですが、古いものを使い続けるのもエネルギー効率の観点では、エコではありませんね。 ikesyu123さんはリデュースについて語っていますが、リサイクルとリユースも合わせてエコを考えるとよいと思いますよ。

  • hiyodora
  • ベストアンサー率24% (61/250)
回答No.2

商業ベースの『エコ』だからです。 企業はいわゆる『エコ商売』を見つけて、耳障りの良い宣伝をしているのです。 究極は質素倹約、テレビを見ない、自給自足になるのでしょうが、 車だって乗らなければ最もエコなのですよね。 歩く、もしくは自転車で。 物を大量に使っている現在の消費社会が使用を減らすでは商売あがったりだからです。

ikesyu123
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 ということは、物を作る側が言う「エコ」というのは、エコロジーという環境に良いもの、ではなく、エコノミーという金銭的に良いという意味なのでしょうか?もしそのような意味で使っているのなら、消費者をもてあそばれている(あやつっている《知識を》)みたいでなんだか嫌ですね。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.1

 物を減らしたりすれば経済が成り立ちません。物や人が動いて経済が成り立ちます。  生活の営みを止めることは出来ません。水道を止めますか?電気を止めますか?  現在の技術では押さえるのが限界です。無くせば良いのかもしれません。それにより、今のネットでの質問も暖かい生活もなにもかも捨てることが出来ますか?  それとマイカーを公共の乗り物で大量に輸送する形など提案されています。しかし、残念ながら行きたいところすべてに乗り物が有るわけでもないのです。マイカー利用を減らすために自転車へと変わる人も居ます。物を減らすという考えもそこにあります。しかし自動車会社は経営できませんよね。そこに働いている人も居るわけですよね。そこに矛盾というものが出てきます。  今のエコはストレスを少し減らすエコ。将来的にもっと環境に良い状態にできる技術や生活のリズムなどが出てこないと難しいですし、経済的にも考えないと減らすだけの考えでは、気がつけばあなたの懐は寂しい物になっているでしょうね。