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無力な自分
大学1年生です。 成人を迎え、そして、自分の無力さ、非力さを実感しています。 時間に対して、人間はなんと無力なことか。 自分には大切な人がいます。 家族、友達。 でも、その人が、病気や事故、などに 見舞われた時、どうしようもなく、悲しいです。 僕にできることなんて、何もありません。 根本的な解決、つまり、病気を直すことも、 それを防ぐこともできません。 何て、自分は無力なんだと。 それを日々、実感しています。 自分には、小さいころ夢がありました。 お金持ちになって、家族を幸せにしたい。 でも、事故や病気、死、老化現象、などなどについては いくらお金を払っても無理です。 お金で買えないものばかりです。 そして、痛感します。 あ~無力なんだと。 そして、それがどうしようもなく悔しいです。 人間なんて、なんとちっぽけで無力な存在なんだと。 いつ人類が滅びても、地球が滅びても、 私たち人間には、どうすることもできません。 それは、世界一お金持ちのビルゲイツにも、 そして、世界最高権力者のオバマ大統領にも どうすることもできなんだと。 こんな虚しい感情を感じたことはありますか? 人間は、なんと無力なんだと。
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- doorakanai
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そんなような事は ドイツの作家ニーチェ、ロシアの作家ゴーゴリ イギリスの作家スウィフト などが考えていました。 ニーチェは自殺、ゴーゴリは飲まず食わずで餓死 スウィフトは自分が建てた精神病院で死にました。 そうはならなかった人 アメリカの作家スタインベック、フランスの作家ユゴー どうにか出来ると希望を捨てなかった。 アインシュタイン そんな事は何も考えてなかった。 それでも自分に出来る事をするしかない と思っていた人 ピカソ、ユダヤの作家カフカ、中国の作家魯迅、ホーキング博士 どれかひとつでもいいので、読んでみて下さい。 何かが見えるかも
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
…無いよ。 私は「そっち」に行かないからさ。 ていうか「そんなの当たり前じゃん?」って思ってるからね。 今までの歴史を探れば「あ、そういうもんだわ」って納得が行く。 納得が行ってしまえば、それに対して「抗う」気にもなれなくなるよ。 だから人間がどうたら、というよりも私は「自分が生きてる証」を求め続ける。 人の生涯が小さくてささやかだからこそ、どうにでもできる「自分」という存在のみを輝かせてみたいと思う。 夢を追う、夢をみるってそういうもんじゃないかな?。 自分が動く…何よりもそれが大前提なの。 誰が、とか、何が、とか、そんな方向に行かないってことがすごく大事なの。 これはとても大事なことだから、真面目に考える気があるのなら、良く頭に刻みつけておくんだね。 そうすればかんたんに絶望なんかしやしないんだからさ。
そこが、スタート地点だろうと思います。 人間は無力で、ちっぽけで、はかない存在です。 しかし、無力で、ちっぽけで、はかないからこそ、人間は「何かを残そう」と一生をかけます。 子供を残すというのはその最たるところかもしれませんが、芸術であったり、お金であったり、建築物でも、発明品でも、ともかく人間は無力であるがゆえに、何かを残そうとします。 仏教的な観念かもしれませんが、人間のスタートラインは、無力感であったり、苦しみだったりします。 そうすると、そこからどのようにして生きるか、ということがテーマになってくると思われます。
- yonakan
- ベストアンサー率21% (3/14)
3000年前のお釈迦様の溜息と 今のあなたの溜息は同じです。 宮殿の東西南北の各窓から 人々の生活を ご覧になって溜息をつかれた 生・老・病・死・・・ 嗚呼、人間は何と無力なんだと。 そこからお釈迦様の真理への 旅は始まりました。 そして現在、世界中の 何十億の仏教徒たちは お釈迦様のお悟りになった お教えを真面目に実践して 永遠不滅の絶対的な幸福の境地を 手に入れました。 そう全部、その溜息が始まりです。