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フォーレの即興曲第3番について

125小節目からしばらく和風の響きがしますが、なんでですか?

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  • gldfish
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回答No.2

一言で言うとしばらく続いた独墺偏重主義への反動であり、近代化という時代の流れもあったと思います。 フランスのみならず、この頃の音楽界は「いかにドイツ的枠から脱却するか」が共通のテーマだったらしいです。 ドビュッシーなんかは新しい音楽の道を貪欲に追求したその代表で、ご存知の通り全音音階・5音音階あるいは教会旋法を「自分の道はこれだ」と言わんばかりに多用しました。ラヴェルには「全音音階とペンタトニックだらけ。もうウンザリ」と皮肉られた程です。(ちなみに、ラヴェルにはドビュッシーよりも早くから全音音階を取り入れた曲を作っていましたが、「我が道」とまでは至らなかったようです。その前にドビュッシーに乗りこなされてしまったというのもあるかもしれませんが・・。) でも、全ての音楽が長・短音階と機能和声で作られていた時代なんて、今となっては考えられないです。現代の視点からすると、ドイツ主義時代の音楽はやはり一面的だったと言っても言い過ぎではないと思います。「フランスが音階の多様性に富んでいる」のではなく、「独墺がごく限られた表現の範囲内に収まっている」だけなのですね。 現代のジャズ好きにとっては、クラシックにおけるトリスタン(和音)の破格的扱いに違和感を感じるのだそうです。というのも、近代以降のコード進行から始まっている者からしてみれば当たり前過ぎて、それがどうした?程度の意識しか持たれないのですね。それにも「独墺系音楽の認識的・表現的偏り」がよく表れているのではないかと。

garcon2001
質問者

お礼

独墺系というのは、決まりきった機能和声を金科玉条のごとく扱うと言う印象が強いです。それはそれで、陶酔し支持する人たちもいるのでしょうが、私などはアンチと化していて、それだからこそ、違うようそのクラシックに大いに惹かれる、いわば、独墺系は一種の踏み台として存在している感じです。ジャズポピュラー好きには、テンションとか、逸脱したコード進行というものが新鮮ですからね。

その他の回答 (1)

  • gldfish
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回答No.1

和風の響き・・というとやはりペンタトニック。それ以外に考えられないと言ってもいいのではないでしょうか。 ちなみにドビュッシーの曲もアジア的な香りのする音が度々出てきますが、これもペンタトニック(あるいはそれに近い音階)によるものですね。「塔」「6つの古代碑銘」等のような明らかにエキゾチシズムを狙ったものから、そして「海」の冒頭からは勿論、アジアとは直接関係ない題材の作品にも当たり前のように出てきます。

garcon2001
質問者

お礼

おっしゃるように、おそらくペンタだと思います。 アルペジオの急に雅な世界が展開されるんですがね。素朴で雅楽調、平安王朝風とでも言うか。 ところでなんで、フランス音楽と言うのは、音階のヴァリエーションにこるのでしょうね。

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