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ルーズになった?

みなさんに質問します。 あまりうまく書けないのですが、 生きていると、 他の人と関わっていかなくちゃいけなくて、 常識が必ずしも通用しない人もいるし、 自分の思い通りにはいかないことが 世の中ですよね。 もともとは、自分一人だけなら、 完璧にできるし、 完璧にやっていたものを、 そういう世の中や、 他人と関わっていく中で、 「いい加減さ」を強要され、 「ルーズさ」を余儀なくされ、 今に至ってる、 という方、 いらっしゃいますか? わかりにくかったら、すいません。 教えて下さい。

みんなの回答

回答No.6

元々完璧というわけではないですが、それでもルーズにならなきゃな、と思うことはあります。 NO2様もおっしゃっている通り、「育児」の場合に特にそう感じます。子供が生まれるとこれまでの自分の生活リズムは大きく変わります。全て子供中心の生活になります。最初はすごく戸惑い、イライラし、疲れましたが、だんだん悟ってきました。「こんなもんでいいや」「まぁいいや」とある程度譲歩するほうが、ずっと楽に生きられるんです。 元々だらしない(?)性格がさらにだらしなくなったかも・・・。こんな適当でだらしなくても、子供はちゃんと育つんだな~と思っております。 あまり「自分」を貫きすぎるのも、疲れちゃう要因のひとつです。他人に流されるのも、悪くないです。

teles
質問者

お礼

ありがとうございます。 でも、「子供」は「他人」ではなく、 むしろ「宝」なのですから、 ある程度は許せますよね‥ 私が書いた意味は、 あくまでも「他人」という意味です。 説明が足りずすみませんでした。

noname#102013
noname#102013
回答No.5

完璧主義は、肩が凝るよ。<体より精神の事> 真面目の一辺倒で、それを個性としているから。 直接、関わる人にも、完璧主義を強要したくなる。 強要された人は、<いい加減さ,ルーズさ>を求めたくなる。 本人は、横道に逸れないし、逸れようともしない。 そうすると、間に距離が出来る。 お互いに、距離を縮めようと、<妥協する努力>をしなければならない。 適度な完璧主義と、いい加減さと、ルーズさの微妙な構想建築になるね。 直接、関わる人との付き合いは、妥協が必要ですよ。 上手く持つのが、難しいんですよね。 何か、ちょっと乱文になって、ごめんなさいだね。

回答No.4

とある方と付き合うようになって まず時間通りに来たことがない。 努力しているように見えないときもあり… 自分は反対に時間にキチキチしていないと 気がすまない性質で… 今じゃ仕事以外では 相手が時間に遅れてきても その待ち時間を楽しむ事として 許せるようになりました。

noname#100666
noname#100666
回答No.3

完璧主義でやろうとして失敗を繰り返したので、自然にルーズになりました。強要されて完璧主義になったというよりは、自分で完璧にやろうとして自分で挫折しました。要するに疲れてしまったということですね。ルーズだから楽ということはありませんが、完璧主義よりは楽です。

noname#114696
noname#114696
回答No.2

常識や道徳って非常にあいまいな物です。 家庭や地域、育った環境によっても変わります。 個人的な見解ですが、自分の常識を通用させてくれ ない相手が悪いのではなく、他を基準にした常識や 考え方が無数に存在して、自分が常識だと思って 居ることは下手するとただの思い込みになりかねない 要素も多く含んでいると思います。 そして、1人で生きていける人は居ないですから 他人と関わっていかなくちゃいけないのではなく そうやって自分も生きているんだと思ってます。 特に子育てするとそれがもっとハッキリ分かります。 親に頼りっぱなしで何の役にも立たない上に自己主張を してくる子供に自分を合わせ、考え、最善の方法を 導き出し、失敗し、それでも踏ん張りまたガッカリする。 可愛い自分の子供だと思うから出来ることですよね。 本当なら“ふざけんな”で終わってますから。 相手の立場になれば分かる事も沢山あります。 人はみな違う、そしてそれで良いんだと思います。 そして、無理に人に合わせる必要も無いんです。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.1

私の知る限り、自分を含め、世の中の大人の大半はそういう人です。ただし、必ずしも「強要」されているわけではありませんが。「いい加減さ」や 「ルーズさ」も、良く言えば「融通が利く」となります。