• 締切済み

心の余裕ってどうしたら生まれるんでしょうか?

心の余裕ってどうしたら生まれるんでしょうか? 私は他人を許せないことが多く、どうも「いらち」みたいです。 どちらかというと他人からは羨まれるような人生を送っているみたいですが、自分で幸せとは思いません。 苦労の努力のすえの今の恵まれた環境ですから、今の恵まれた環境は、極端な言い方をすれば「当たり前」のように感じます。 しかし、ここまで来るには様々な苦労がありました。 その一方で、世の中にはまったく苦労知らずな方がいらっしゃいます。ちょっとこちらが叱っただけですぐ拗ねてしまったり、逆切れするような人です。 そのような方を見てるといらいらします。 私がその人の年齢だった頃は、例え理不尽な怒られ方をしようとも、我慢したものです。 しかし、今の人(?)は我慢しないようです。 だからいらいらするのですが、それは「低レベル」なようです。 友人などは「あなたの方がよっぽど恵まれているんだから、そんなことで怒る必要はないよ。我慢できたから、あなたは今の立場にいるし、我慢できない彼らは所詮、あのレベルで終わりなんだから、相手にする昼用はないよ」といいます。 とにかく心の余裕がありません。 誰か心の余裕を持つ秘訣を教えて下さい。

みんなの回答

回答No.9

私と貴方の境遇は少し似ている気がしたので、参考になれば。 私自身のことかも知れませんが、貴方はおそらく弱い者が嫌いなのではないですか。 それが自身であろうと他人であろうと。 私も人より苦労の多い人生だったので、それを乗り越えるため必死で努力して、まぁそれなりの成果には繋がりました。 そのせいか、恵まれた環境で育っくせに能力の低い人間を見るとイラついたもんです。 ただ私の場合、今は昔ほどイラつかなくなったと思います。 詳細は省きますが、少し前に人生の2番底が訪れました。自分も実際はどうしようもなく弱い人間だと思い知りました。 そこで立ち直るのに支えになったのは、それまで軽蔑していたごく普通の弱い人たちでした。 その経験からか、今では人にも自分にも寛容になったかと思います。 人生観もガラリと変わりましたね。 別におかしな奴を甘やかす必要はありません。 ただ貴方の回答を見ていると、叱る際に相手の境遇を無視した物言いになっている気がします。 同じことを伝えたくても、相手の事情を鑑みているかでまったく反応は変わります。 貴方は努力した。それがあったから協力者が現れたということはあるでしょう。 ただ、努力できる方向に向かえたこと自体や、協力者が現れたということに、単に運に恵まれたからってことはまったく思い当たりませんか? 貴方がこの先、努力する気力さえ失う目に遭うことが絶対に無いと言い切れますか? (昔の私なら、無いと即答していたでしょうが…) 努力すれば成功するなんてのは結果論です。 私は協力者が現れたことは、自分の努力あってのものだと思っていました。自分の努力が成果に結びついたのも当然だと思っていました。 しかし今になって思うことは、それは慢心だったということです。自分のことでいっぱいだったから余裕が持てなかったのです。 貴方が自分自身や他者を許すことが出来るようになれれば、自然と余裕が生まれるでしょう。 余裕とは許すということが出来る人にのみ訪れます。単に強ければ余裕を持てるというものではない。 もっとも私自身、こう思えるようになったのは最近ですけどね。

  • kametaru
  • ベストアンサー率14% (339/2313)
回答No.8

ANo4です。 >心の中では相手を嘲笑っているのでしょうか。 いいえ、違います。 下世話な方向へ転換です。 「いやらし・わいせつ・セクハラ」ではなく明るいスケベーな方向ですね。

  • kimari14
  • ベストアンサー率17% (50/288)
回答No.7

再度です。 一度の爆発と百の辛抱ですか。その爆発は軽々と百も千もの積み上げを 吹っ飛ばす、第三者からは、見事とともおもえます。私の頭には逆巻きの渦が4つあります。相当の気勘気だそうで、そのとおり、気にいらないことがありますと、暴れまわって無茶苦茶だったそうです。 自分でも手がつけられませんでした。その後の反省は、人を傷つけたことへの嫌悪感に小さくなっていました。 社会人になっても、上司部下に関係なく時々出てまいりまして、大いに 評価を下げ、一からはじめるみたいな事、何回 ありましたことか。 そのうち、仲のよかった人とや、身内との死別があり、なんのために人生なのかとかね、いろいろ考えました。マクロで見れば、わずかの時間、そのわずかな有限の時間に、何の勝った負けたか、人を糾弾しても むなしいだけ、彼もまた、貴重な時を生きている、そのことをお互い認識して、それでもだめなら、怒るのではなく、しかたがないとかんがえるようになりました。穏やかになりましたねとそれ以降いわれるようになりました。 信長は父親と違いまして、一門衆や譜代の家臣をたのまず、直属の親衛隊(長男以外の家を継げない次男三男坊中心)を編成して、国内戦を戦い抜きました。一門衆や家臣達が自分に協力するもよし、しないもよしぐらいの考えだった節があります。、意見が違う、何人もの船頭がいて、なかなか前に進めない状況は(親父はそれで苦労した)かえって、家を危うくするものと考え、逆に他(他国)がそれであるなら、そこにこそ、少ない兵力(農繁期農閑期に関係なく戦える集団)、尚且つ弱い兵の資質でも十分対抗出来るとおもったに違いありません。、このトップダウンのなかにウジウジした者は入っておりません。強いというより、結果で勝てる集団に仕上げていたということでしょうか。 爆発するしないの、心の余裕を問題にしないで済む、 まだ残されている方法はありませんか。

mokotan879
質問者

お礼

一度の爆発と百の辛抱という言い回しは、初めて耳にしましたが、私はそこまでではありません。 >>気にいらないことがありますと、暴れまわって無茶苦茶だったそうです。 私にはありえないです。 >>人を傷つけたことへの嫌悪感に小さくなっていました。 これもないです。 >>社会人になっても、上司部下に関係なく時々出てまいりまして、大いに評価を下げ、一からはじめるみたいな事、何回 ありましたことか。 ないです・・・。共感できなくて、誠に申し訳ないです。 ずいぶん、気苦労が絶えなかったんですね。 私はまだマシということでしょうか。 親衛隊の下りはもはや意味がわかりませんが、おっしゃりたいのは私が信長の父に似ているということでしょうか?

  • suroeste
  • ベストアンサー率47% (776/1644)
回答No.6

(1)自分が本当に好きなことを見つける (2)自分が好きな街、好きな店などを作る (3)旅などに出て(旅だけとは限らないが)自分と異なるいろいろな考え方の人と出会い話する。 (4)社会の底辺でくじけず一生懸命がんばっている人と友人になる。 (5)ボランティアなど、損得抜きに他人のために自分のできることをしてあげる。 (6)自然の中で、シンプルな暮らしをする。 (7)今までの常識や価値観をちょっと外してみる。 (8)効果や結果、他人の評価などに気に過ぎない。 (9)思うとおり行かないことに怒るより、一つでもできたことを喜ぶようにする。  私の大好きな、四国の高知県に遊びに来て、人との損得抜きな出会いを楽しんでみてください。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4229263.html ANO.4 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4349222.html ANO.2 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4402351.html ANO.2 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4407377.html ANO.3 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4886557.html ANO.6 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4883235.html ANO.6 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4875539.html ANO.1 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4846239.html ANO.3 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4400356.html ANO.12 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4647516.html ANO.5 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4647940.html ANO.2 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4682735.html ANO.2 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4717652.html ANO.4 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4783608.html ANO.2 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4781959.html ANO.3 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4787950.html ANO.3 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5048134.html ANO.5 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5194479.html ANO.3 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5218637.html ANO.5 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5237256.html ANO.2 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4208997.html ANO.6 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4216321.html ANO.2 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4198961.html ANO.4 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4218788.html ANO.7 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4187373.html ANO.2 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4182307.html ANO.5 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4140184.html ANO.2 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4267128.html ANO.2 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4200825.html ANO.4 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5145566.html ANO.2 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5270331.html ANO.6

mokotan879
質問者

補足

ありがとうございます。 確かに地方はおっとりされている方が多いですね。 特に四国はすばらしいと思います。 高知県もぜひ遊びに行ってみたいです。 心の洗濯といいますが、旅行などして、のんびり山でも見つめていると心も落ち着くのかもしれません。

  • yi7723
  • ベストアンサー率38% (98/252)
回答No.5

同世代の方だったんですね。失礼ながらもう少し上の世代かと思っておりました。 努力するから報われる。助けてくれる人も現れる。僕もそう思います。ただその助けてくれる人の側の心理はどうなのでしょう?「正しい努力をしているから手を貸してやろう」なんて気持でしょうか?助けたいから助ける、それだけなんですよ、おそらく。 人類の大半が我慢が苦手だろうとは確かに思います。ましてや昨今その比重が増してきているという気はします。何故そうなのか、と考えるとその先に何があるかを示してあげられる人がいないからじゃないでしょうか? 心の余裕というよりは、互いの信頼がないんですね。弱いものが強くなる手助けが出来ない、そのくせ自分で強くなるのを待つことも出来ない、方法も示してやれないというのでは世の中悪くなる一方ですよね。 相手の都合に合わせるときも必要、辛抱強く納得させるときも必要、叱り飛ばしたり突き放す時も必要。融通無碍はまこと難しいですよね。

mokotan879
質問者

お礼

融通無碍についてお尋ねしているわけではありません。 私が悪いのは百も承知なのです。 その上で心にゆとりを持つ方法についてお尋ねしているのです。

  • kametaru
  • ベストアンサー率14% (339/2313)
回答No.4

>心の余裕ってどうしたら生まれるんでしょうか? 個人的にはイライラした場合はイライラをニタニタに転換します。 つまり怒りの感情を笑いの感情に置き換えるような思考をします。

mokotan879
質問者

お礼

ありがとうございます。 早速、実践してみようと思います。 ニコニコではなく、ニタニタということですから、心の中では相手を嘲笑っているのでしょうか。

  • kimari14
  • ベストアンサー率17% (50/288)
回答No.3

質問者さんはお幾つの方なんでしょうか。団塊の世代のような考え方に近いように感じました。 世代世代によって退化する部分と進化している部分は世の常だとおもいます。先輩の理不尽さも面倒見も、すべて受け入れるしかなかった時代もあれば、考え方も生き方も多様化の中で成長した者達もいる。デジタルの産湯で、体を洗った世代なら、アナグロなものの考え方は、上手に理解できないかもしれません。あなたが新米さんの頃はどうでしたか << 我慢できない彼らは所詮、あのレベルで終わりなんだから、相手にする必要はないよ」といいます。>> とありますが、辛抱も我慢も出来ず、ここでなくても他にという考え方を持つ人たちを相手に、漏らす言葉でないような気がします。もし管理者なら、負けを意味しますのでね。 落ちこぼれの子達を専門に受け持つ塾の先生と学校の先生の違いでしょうか。塾の先生は出来の悪い子達を相手にしていることを、辛抱がないとか我慢できないとかで、突き放せません。対価に見合う結果を出すのか仕事だからです。どうすればということを懸命にやるしかない。 上司が職人さんのような考え方だと、仕事は教わる者ではなく、盗むものとか、頼りは自分ひとり、人が寝ている間がチャンスとかね。 技術の伝承でもそこに愛情というか人間としての思いやりが密かにないと、人は結構見抜くものでしょう。部下が動かなければ、それは自分を写しているカガミとおもうべきでしょう。 もし時が戦国なら、とても戦いに出れないでしょう。思うように人は動かずでは、あっというまに敗戦になります。大将を見捨てて、みんな逃げちゃう。そんな状況にならないように、かの信玄も人心の掌握に、涙がこぼれるほど苦労したと、伝わっています。人は石垣、人は城 という文言はそんな苦労の裏返しなんですね。人を大事にして育てあげるのが名将たるものの資質といっているわけです。 当たっていないかもしれませんが、もし心に余裕がないとしたら、そんなところにあるんではないですかね。あなたは相当の頑張り屋で、中央突破の出来る方なんでしょうが、部下を信頼に足りるものに仕上げてこそ、企業における貢献のひとつでしょう。使い物にならないものですよ。毎年、毎年入社してきますが、みんな違う。ダメな所といい所を上司も部下も共同認識して、いかに運命共同体化できるかの勝負です。 評論家とは違うように思います。 今も昔もヘマはこたえる。 。

mokotan879
質問者

補足

ありがとうございます。 私はまだ30歳です。ただ、団塊の世代の方のお考えと近いものがあると思います。 >>人を大事にして育てあげるのが名将たるものの資質 とのことですが、これはまったくおっしゃる通りだと思います。生きていく上で人に救われることも多々ありますし、また、人に蹴落とされることも少なくありませんから、人の心を掴んでおけばずいぶん生き方が楽になると思います。 ただ、そのような損得勘定とは別にして、許せないときがあるのです。 「ここで怒っては損」とわかっているのに、腹が立ってしまうのです。 だから心の余裕がないのだと思います。何か自分自身に欠陥があるのでは、あるいは発達障害かしら、と思うくらい、一度、腹が立ってしまうと自分では制御が利きません。 感情と思考が分離しているのだと思います。 思考的には回答者さまのおっしゃる通りです。他人が自分を写しているカガミなのでしょう。

  • yi7723
  • ベストアンサー率38% (98/252)
回答No.2

なかなか難しいと思うのですが、「当たり前」という言葉を使うとそこで思考停止してしまうのではないでしょうか。 苦労しても恵まれた環境に到達できない人もたくさんいますし、我慢が生まれつき苦手な人もたくさんいるのではないでしょうか? 心の余裕は相手を思いやるところから生まれると思うので、「○○するのが当たり前」と言い切ってしまえばもうそこには同情の余地もないと思います。 なぜ「当たり前」なのか?という疑問からスタートしてみてはどうでしょうか?

mokotan879
質問者

補足

極端な言い方をすれば「当たり前」というだけで、私自身、決して当たり前とは思っていません。ずいぶん、恵まれていたと思います。ただ、私が恵まれていたのも、私自身がそれなりの苦労と努力をしていたからであって、もし、私自身がまったく努力していなければ、助けてくれる人もあらわれなかったでしょう。対価に見合うだけの労力を払ったという意味で、極端な言い方をすれば当たり前だったと思うのです。 >>苦労しても恵まれた環境に到達できない人もたくさんいますし、我慢が生まれつき苦手な人もたくさんいるのではないでしょうか? 私はこのような考え方をあまり認めておりません。 努力をすれば、助けてくれる人も中には現れますし、生まれつき我慢が苦手というなら、人類みなそうだと思うのです。 そのような考え方が間違っているのかもしれません。 ただ、そのような甘ったれた考え方では世の中を渡っていけないとも思うのです。「思いやり」というのなら、それを教えてあげることの方がよっぽど思いやりに近いと思うのです。 ただ、相手の都合に合わせて「はいはい」というのが思いやりなのでしょうか?

  • hoychoi
  • ベストアンサー率34% (54/156)
回答No.1

努力されて、結果を残すのはすばらしいことだと思います。 僕は立派な仕事も、稼ぎも無いと思いますが 人は羨ましいと思いません。 周りの評価や、責任などを取り払って 自分の心の望みに耳を傾けてはどうでしょうか? 何が残りますか? 自分が希望通りの人生を歩めたとしても それ以下の人が低レベルではありません。 あなたを成功に導いた、自分や他人に厳しい対応が 結局、心の余裕を消し去っているようです。 成功者が特に偉いわけではありません。生き方が違うだけです。 心の満足感や平穏は、所得や仕事内容とはあまり関係がないです。 質問者の方は周りの人とのつながりがもっと必要です。 そして周りの人と心を通わせるには勇気が必要です。 とっても優秀のようですから、 プライドを捨てる心の強も学んでみてください。 ただこのまま疑問を持たずに突っ走るのもいいと思います。 人生いろいろです。 僕はこういう人見ているのは好きですよ。 周りにもいます。尊敬できます。 脅迫観念的に完璧に仕事する人・・・自分に無い部分なので。 でも辛そうだな~と思いますが・・・ 勝手な考えを書きました。

mokotan879
質問者

お礼

ありがとうございます。 ご指摘の通り、私は非常にプライドの高い人間だと思います。 ただ、プライドの高さと同じ分だけ、自分自身に劣等感もあります。 プライドの高さと劣等感は比例しているのかもしれません。 回答者さまは、私のことを非常に良く評価してくださっていますが、 私は決して優秀な人間ではありません。ただ、我慢強く、色々な苦労を耐え忍んでいたために、これまでやってこれました。完璧に仕事ができたことも、これまでないのです。今まで、周囲の人に助け支えられて何とかやってこれました。 「低レベル」というのも、私が私自身に対して評価していることなのです。自分がこれまで我慢してやれたことを、他者が我慢できないからといっていちいち怒るのは「低レベル」だと思うのです。 しかし、世の中には本当に仏の心の持ち主のような方がいらっしゃいますから、私も何とかそのような人になりたいと思い、恥を承知で質問させていただきました。 >>自分が希望通りの人生を歩めたとしても >>それ以下の人が低レベルではありません。 これはまったくおっしゃる通りで、私自身も希望通りの人生を歩めたとは思っていません。 ただ、希望通りの人生ではないからといって不平不満をいう人が世の中にはいますが、そういう人たちに対して私は我慢がならないのです。そしてそのようなことに対して、いちいち腹を立てている自分はもっとおかしいと思うのです。

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