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自作質問状を主治医に出す事の是非???
実は現在、身内の者が 「炎症性肉芽腫」 というかなり重篤と思わる病気で脳神経外科に入院し、開頭手術を終えその後の治療に入っている状況なのですが、本人の親が医師とインフォームドコンセントをとる事がどうも苦手の様でして、情報が断片的で何がどうなってるかまったく全体像が浮かばない状態なのです。 もしかしたら口頭での説明は充分なのに親が混乱して理解できてないともいえるし、書面が出されていながら内容が理解できてないとか紛失してしまったのかもわかりませんので、病院側としては充分な事は実はしているものかもしれません。 ですが一方で親がこちらに送ってよこした手術後の医師見解の書かれ方などは、カルテよりはそこそこ一般向けですがどことなく教師の板書の様で文章というより単語、ポキポキとした文節の集まりになってしまっていて、大変理解しがたい、というのも又事実です。 ですので、実際にはこちらに手落ちのある可能性は大きいのですが、仮に重複となろうが今となっては何とかしたいので、実は、 「病気の説明」「治療方針」「予後の見通し」などに分けてのA4一枚程度の質問状を用意し、主治医に書きこんでもらう事を今考えています。 で、その際「分かりやすく書いて下さい」とただ付記しても「分かりやすい」というのが又不明でしょうから、自作又はどこかから流用した「凡例」の様なものを付ける必要でもあるかな、などとも考えています。 又これは一応、作ったのは知りあいの誰かとは思うでしょうが、当然親名義で渡しお願いすいべき書面だとは思っています。 相談したいのはこういう事はけっこうする人がいるのか こうされた時医師というのはどんな風に感じるものか どう対処してくれるものなのか についてご意見を聞かせて戴きたいのです。 医師どうあるべきというよりは現実の医師がどうなのかで答えて戴けると幸いです。 自分達の不手際を棚にあげてる様で勝手ですが、どうかご理解下さいませ。 宜しくお願いいたします。
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お礼
う~~ん、考えさせられました。 お医者さんのよく出会う困りごとの例に私が相当したのだな、と思いました。 ただ、一般人の側からもちょっと言わせてもらって良いですか。 それらは「医師の論理」なのではないですか。 それはあたかも神がついているのにあと何がいるのだ、というのと同じではないでしょうか。 この娘の主治医はとても適切な診療をしてくれているようですが、世に例が有る様に医者はけして神ではないですよねえ。 何だか、 本来プロの医者が最善をつくし治るものは治りだめなものはだめという客観的なものがそこには有るだけだ、だから親でさえ本当はその客観的なものにひれ伏し静かに見守るべきを、よりによって親族などが、と言っている様に聞こえるのです。 「結局は医者が全てじゃないか」と言われてる気がしてしまうのです。 通常はたしかに範囲があり、患者と親などに制限されて当然です。 ただしそういう一般化だけですまない「いろいろな場合」もあるのではないですか。 インフォームドコンセントが重視されていますが、お医者様の方からみても実はそれが充分とれていないと分かっていながらも進めている場合も無いわけでもないのではないでしょうか。 今回の件などはそういう気がしています。 患者はしかたないとしても、親が理解して治療が進んでる様には見えないのです。 余計な親族が出てきてぶちこわしてしまうという例が多いというのはわかる気がします。 しかし全てがそうだとも又言えなくはないでしょうか。 今回だけは少し翻訳のサポートをしたいのです。 私は責任などもてませんので、それ以上は何をしようというのでもないのです。 そんな重い判断をするなど、むしろ御免です。 貴方様の指摘、注意する様にします。 有難うございました。
補足
これは下記のお礼の後に書きました。 私が言いたかったのはこうなのです。 まず、この場合「親が理解してるのに、更にその上遠い親戚が意見したいが為に」の状況ではない、という事です。 「親も、ですからまわりの者は全員、理解できずに進んでいる」状況だ、という事なのです。 この事の特殊性です。 インフォームドコンセントなるものが重要視される様に表面的にはたしかになったけれども、プロとしての医師の側の関心事はあくまで、真剣であればあるほど「自分は最適の診断、治療を為したか、そうでなかったか」にあるのであって、実は「説明」などにはない、というのが「本当のところ」ではないですか。 だから意識が高くほじくり返してくる様な患者や家族に対するICは厳重に対処するけれども、理解力が欠けていたりそもそもそれを放棄してしまっている患者や家族を、医者の方から「追いかけて」まで理解させようとはしていないな、と感じたという事なのです。 本当にどういう場合でもICを医師が欲しがった場合、むしろ「どなたかご親族の立会いはできませんか」としてきても良いはずだ、とさえ言えませんでしょうか。 神ならぬ医師を前にして「医師に対する信仰」だけしかない進み方で良いとも思えないのです。 ただし、こうは書いていながらも、簡単ではないのはよく分かってきました。 実際「分かる事の必要」など「医師を変える」場合以外はたしかに不要ですよね。 親族のケースではそういう展開など、良い主治医さんにめぐまれたらしく思え、なかなか無いだろうと思います。 (でも理解さえしてない状況でそれがゼロである、と言いきるのもどうなのでしょう。) それから、親が理解しようとあまりしていない事がむしろ都合のいい場合もありますよね。 知らない方が良い場合というのも有るわけです。 医師はその事も考えてくれるのでしょう。何かそんな気がしてきました。 又、今は「自分は翻訳のみでこれ以上は立ち入らない」と一線を引いているかに言っておきながら、本当にそうでいられるのか、という疑いもありますしね。 私も、どこまでもづかづか遠い親族が出しゃばってゆくというのは大きな混乱のもとだと思うのですが、そういうのが「どんな場合でも」マイナスだ、ではなく、何というか、「ちょうど良い落とし所」があるだろう、と言いたかっただけです。 だけれどもお二方の経験に裏打ちされた「傾向」というものをお聞きして、今、私はいささか不安になりましたので、突然過激な事は自重する気になっています。 医師のお気持ちを真正面から書いて下さりとても助けられました。