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学校で教える暴力への否定
学校で学ぶ「暴力に対する概念」について。 判断する際のあるべき姿は、全ての選択肢に対し、全ての過程と結果を考慮出来る事だと思う。 しかし、端から「暴力はダメ」と言っているために、 その選択肢を選んだ場合の過程と結果を直視していないように思える。 暴力は確かにダメだろう。 それは、単純に暴力を振るう事がダメという意味ではなく、 それによって引き起こされる影響が、通常の話し合いや駆け引きよりも禍根を残し易いからだ。 ・・・という教育を学校でしないのは何故だろう? 少なくとも、昔より精神的に成長していると言われる現代日本の子供達には 理解する事は可能だと思うのだけれど? (受け入れるかどうかは別として) それとも、この考え方自体が間違っているのだろうか? 全ての暴力や武力行使は問答無用で悪であるのだろうか? 死刑廃止などもこの考え等に近い考えだと思う。 自衛隊の派遣なども、こういった考えの延長にあるように思う。 現代の学校教育は、学生に社会の何を教えようとしているのでしょうか?
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- ?橋 昌也(@fudousin)
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それは、実は暴力が問題を解決するためのもっとも有効な手段であるからです。 学校は社会のことは教えようとしません。 教育とは知識と論理を教えることです。 それなのに、問題を解決するには腕力だという真実を教えてしまったら、誰も勉強しなくなってしまうじゃないか^^ 官僚は頭がよくて(=知識が豊富でずるがしこい)、絶対に馬鹿な政治家に言い負かされたりはしませんが、なぜ鈴木宗男君にはさからえなかったのか?それは、彼が平気で役人を殴ったからですよ^^
暴力否定の意味と言うのは、そうしないと、因果応報的にきりがなくなるからじゃにでしょうか。復讐の連鎖は社会を崩壊させます。だから、死刑制度が存続し続けると言うこともありと感じますね。 で、このことを説明しないのは、それが大変人間的な本質を突いていて、非常に醜いものだからじゃないでしょうか?あまりにも、心に突き刺さる、動物的な衝動が沸き起こってくる危険な議論だからじゃないでしょうかね。動物的なところまで降りる必要がある議論は、お上は避けるでしょうね。その体質からして。
お礼
回答ありがとうございます。 >このことを説明しないのは・・・非常に醜いものだから 実際、何故暴力がダメなのかという事に対する明確な回答を私は持っていません。 非常に醜い事だとしても、教えてほしい物ですね・・。
>全ての暴力や武力行使は問答無用で悪であるのだろうか? 質問者様は、そうではない!という立場なのですね。 私もその意見には賛成です。 例えば正当防衛とかいうものもありますし。 しかし、暴力がただ A:>それによって引き起こされる影響が、通常の話し合いや駆け引きよりも禍根を残し易いから だという理由だけで否定されているわけでもないと思います。 もっと深い根源的な理由があるだろうと私は思います。あるいは理由はないのかもしれません。よく分からない部分があります。 この種の問題の分かりやすい例として 人を殺すのはなぜ悪いのか?という設問があります。 これを義務教育で年少者に理屈で分からせることは困難なことだと思います。 A のような比較的単純(でもないと思いますが)な理屈で彼らを納得させることは却って危険ではないのかと私は思います。これを論破する、あるいはこの例外の暴力ならすべてOKだろうという間違った認識を年少者に与えてしまう危険性もあるように思います。 それよりも安全な方法 暴力は理屈ぬきで悪い。 殺人はとにかく悪い。 そう断言して彼らの意識に叩き込む方が私は賢明だと思うものです。 そういった教育が何か弊害をもたらしているという意識が貴方にあるのでしょうか? 私は、ない、と思います。 自衛隊派遣の方向に疑問を感じるのはあるいはその弊害かもしれません。これについては私も全く否定は出来ないと思いますが、あるべき方向性において危険性は(逆よりも)むしろ少ないと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 >・・・だという理由だけで否定されているわけでもないと思います。 そうかもしれません。ただ、私が最初に思いついただけの話です。 >これを論破する、あるいはこの例外の暴力ならすべてOKだろうという間違った認識を >年少者に与えてしまう危険性もあるように思います なるほど。しかし、「理屈抜きで悪い」となっている場合も同じ事が言えるのでは? その理屈抜きで悪いと思っていない人が周りに増えた時に、自分で判断出来ないと言う事なのですから。 >そういった教育が何か弊害をもたらしているという意識が貴方にあるのでしょうか? まぁ、多少はありますね。 そもそも、日本は民主主義なのですから、自分で判断して行動するのが当然だと思います。 その「自分で考えて行動する」という事自体を学ばせずして何が教育か・・・という事です。 別段、自衛隊の件に限った事ではありません。 他の国民は自分で考えているのか?と不安になるような事が最近多いというだけです。
- potachie
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|それは、単純に暴力を振るう事がダメという意味ではなく、 |それによって引き起こされる影響が、通常の話し合いや駆け引きよりも禍根を残し易いからだ。 いいえ。 社会性動物の性として作られてきた人間の歴史から積み上げられてきた帰結点として、「暴力はダメだ」という結論を抱いた ということです。 個人が考える範囲には限界があります。ましてや自ら積極的に学ぼう、知ろうとしないで、自己の都合を優先した好き嫌いの考え方をする人が多い状況では、各々の立場で好き勝手に自由に正当性を主張することができます。個人レベルでの考えで導かれるものが常に正しいのなら、戦争が起きても悲惨な状況は生まれないはずです。経験しなくても最悪のケースを想定できるひとがいない限り、手段としての暴力、相手を力で服従させようという行為そのものについて、絶対的な否定が必要な概念です。 正当性を主張する方法、自己を保全しようとする方法において、つまり、手段としての暴力を否定しているということですね。 カンタンで身近な例では、「体罰」を正当だと考える人の話と、日本の虐待のケースを比べてみると良いですよ。 その考えを定着するために法律があり、日本の例では、個人対個人の争いごとで暴力を使った方は、使っていない方に対して圧倒的な不利となるケースがほとんどになります。 日本以外の国では、この考え方を取らない国もありますよ。 日本は農耕の国なので、社会的調和が特に重視されるのかもしれません。漁村の風土は独特なモノがありますしね。
お礼
回答ありがとうございます。 >個人レベルでの考えで導かれるものが常に正しいのなら、戦争が起きても悲惨な状況は生まれないはずです。 ごもっともですが、だからといって公共の教育機関で、それを議論すらさせないのは問題だと思います。 >人間の歴史から積み上げられてきた帰結点として ?すいませんが、仰る意味がよく分かりません。 過去の歴史を振り返ってみても、暴力によって解決しようとした結果が悪い状況を生む事が非常に多い。 そういう解釈以外で何か理由があるのでしょうか?
基本的に、教育というものは、現体制の都合のいい人間を作ることという原則に従って行われているものです。 日本で言えば、資本主義社会に奉仕し、家庭を持ち子供を持ち、老齢年金を積んで、適当に必要なら介護を受けて、この世を去る。 その軌道に乗せるような人間を作ることを暗黙のルールにしている。 だとすれば、暴力の否定を理屈で教えることになんら益があるでしょうか。納得させる、という過程など、他の諸々のことと同様、自明のこととして受け入れさせればよい、というのが原則なんじゃないでしょうかね。議論をしだすと、また面倒だし。 そもそも、だから、「有無を言わさず」社会秩序のために暴力を追放するような、それこそうちに暴力的抑止力を秘めた姿勢なんじゃないでしょうか。これは、本質的には、国民への侮蔑と言うことにほかなりません。
お礼
回答ありがとうございます。 >他の諸々のことと同様、自明のこととして受け入れさせればよい 私の懸念としては、後の人生において自明でないと感じた場合に諭せる人間がいなくなる事です。 もちろん「全ての人間が」とかバカな事は考えてませんが、 少なくとも周囲に自信を持って反論できる人間が少なくなる事は確かでしょう。 その上で、民主主義的な体制で多数派こそ正しいというイメージを植え付けられているんだから、 反論者が少数派になれば、現体制が間違っているという事に繋がりかねない。 ・・・というような事も考えてみたり。
お礼
回答ありがとうございます。 >それは、実は暴力が問題を解決するためのもっとも有効な手段であるからです。 現実的にはそうでもない気がします。 会社内で暴力を振るうと、クビか減給です。 状況によるでしょう。しかも、禍根を残した上での話しです。 良くも悪くも、時と場合によるという事でしょう。