しない国もありますので、絶対というわけではないです。
日本は容疑者即犯罪者即ワルイヒトという「穢れの文化、恥の文化」があるので、正義の名を借りた娯楽として供給されていると思います。
ただ、自業自得のケースもどうしようもなくあるなあとぼくも思ってしまうことがありますが、よく考えると報道が司法に変わって制裁をする権利は本来ないし、容疑の段階で容疑者の人間像や人間関係などを面白おかしく書きたててる現状は行き過ぎだと思います。
最近ではサリン事件の河野さんのときが記憶に新しいですね。
報道被害、冤罪の問題がクローズアップされていますし、価値観の多様化や個人情報の重視とともにそのうち減少していく方向になると思います。
武器を持った犯人が人を殺しながら逃走中というような場合は公開捜査、指名手配しますね。
この場合は危険を防ぐために公開されるべきだと思います。
また犯人が公人だったり、犯罪を期に自己表現をしたい場合はまた話が別ですね。