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勝ち組と負け組
いつもお世話になっております。24歳独身男です。 簡単に質問させていただきます! 『人生に勝ち組・負け組はある?ない?』 この質問に特別な意図は特にございません! しいて言うなら、色々な考えを聴いて、これからの人生の参考にできたらなと思っております! 皆さんの今までの人生経験の中で勝ち組・負け組があるのなら、その考えを、また、「ない」とお考えの方々の考えも聴いてみたいだけです! ・時間に余裕がある方 ・仕事でお疲れだけど、たまたま見ている方 ・教えて!gooを何時間も見ている暇人の方(笑) ・人生これからの方 ・人生を全うしてこられた方 人それぞれに考えがあると思います! どうぞ、よろしくお願いします!
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- renkirizu
- ベストアンサー率25% (1/4)
あるかな、、 自分が負け組みっておもったときから、負け組みへ堕落。
- carefully
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こんにちは! 私の経験から申し上げますと、「勝ち組」、「負け組」は厳然として ありますね。 どこにあるか?それは、私の「心の中」です。 今までの人生を振り返ってみると、何かがうまくいったら「勝ち組」と 思い、うまくいかなかったら「負け組」と思う、コロコロとよく勝ち負 けが入れ替わるのです。 つまりその人の心の在りようだと思うのです。 「勝ち組」、「負け組」というのは、他人との比較の中で、決定するよ うなものではないし、決定することはできないのではないか、と考えて います。他人との比較では、例えば保有資産の額で比較したとすると、 日本でステータスのある医者になり勝ち組になったとしても、ビルゲイ ツには絶対に勝てませんよね。その時点でその人は負け組になるのです。 でも、その人にとって、医者になることが勝ち組であると考えている と、やっぱり勝ち組なんですよね。ということで、「勝ち組」か「負け 組み」かについては、やはりその人の心の捉え方(在りよう)の問題で あであるのだと思います。
お礼
>日本でステータスのある医者になり勝ち組になったとしても、ビルゲイツには絶対に勝てませんよね。 確かに(笑) 心の持ち方で変わるのですね。自分がこれからの人生、決して恵まれない身分でも勝ち組気分でいたいです(笑) 回答ありがとうございます!!
- fhjkl
- ベストアンサー率0% (0/0)
お答えさせてください。 29歳独身男です。 普通に考えて人生に勝ち負けがあるのでしょうか? 誰と勝負しているのでしょうか? 確かに成功してる人を勝ち組という風潮がありました。 そういう方たちのようになりたいのなら、 目標を定めて頑張るしかありません。 不公平や理不尽なことに直面することもあるでしょう。 一つ一つクリアしていくしかありません。 そのとき人はあなたのことを勝ち組というでしょう。 だって輝いて見えますから。
お礼
様々なノルマを乗り越えて、乗り越えて、乗り越えて、ようやく目標にたどり着く姿・・・確かに輝いて見えますね! そういう人って尊敬もできますし、人生のお手本にもしたいです。 回答ありがとうございました!!
ある一面だけを見て他人の人生を決め付けることがおかしい。 序列をつけて自分より下の人間をみて安心するのが人の性です。
お礼
人間には、人それぞれの面ががありますよね。 一つのことを見て、人間に評価を下して上下関係を作るのは、人間が生まれながらに持った「エゴ」なのかもしれませんね! 回答ありがとうございました!!
- elenjynt
- ベストアンサー率4% (17/389)
負け組みの 犠牲で 勝ち組 が ある。 おおくの 負けが すこしの 勝ちを ささえている。
お礼
物事には、+(プラス)があれば、必ず-(マイナス)がある。 今の世の中の貧富の差が激しいのは、景気が悪いせいもあるかもしれませんが、一人の(経済面での)大勝は多くの人が支えているから生まれているのかもしれませんね。 とても現実的な意見ありがとうございます!
- macadress
- ベストアンサー率19% (17/88)
勝ち組、負け組みという言い方が正しいのかわかりませんが 勝ち組は自分の世界を貪欲に見つめそれを極めた人であり 負け組みは自分の世界すら知らず人の作った枠の中でしか生きられない人のことだと思います 負け組みは自分の世界を知らないから何をやれば自分が満足できるのかもわからず人間関係もぎくしゃくし、誰からも支持されず結局人の作ったもので不平不満ばかりを言って人生を閉じる人のことです 要は他人依存ですね 自分の世界を貫き極めた人 これが勝ち組です
お礼
>勝ち組は自分の世界を貪欲に見つめそれを極めた人であり 負け組みは自分の世界すら知らず人の作った枠の中でしか生きられない人 私が聞いてきた中で、初めて聴いた考え方です!! 私は、勝ち組と言うとあまり良いイメージを保持していなかったのですが・・・努力してきた人間の集大成の形と言うのを、仮に「勝ち組」とくくれる事ができるのかもしれませんね!回答ありがとうございます!
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
その時点での勝ち組、負け組はありますが、生涯を通しての勝ち負けはわかりません。無くなった後に残された人が判断されるでしょう。 勝ち組で勝っているからと油断すれば、すぐに転落しますし、負け組でも上に向かって行く気持ちがあれば勝ち組にもなれます。なにもしなければ負け組のままでしょうが。 いかに、自分の位置を確かめて、どのような行動をするのか考えれば良いのではと思います。 まぁ、そんな事を比べている暇もねぇけどな。
お礼
自分自身の行動で上にもいけるし、下にも言ってしまうですね。。 人生はリスクを負って行動しなければ良い方向へ変化しないかもしれませんね。。 >まぁ、そんな事を比べている暇もねぇけどな。 今世の中じゃあ、考えるだけで疲れるのかもしれませんね!お疲れのところありがとうございました!!
- dora-mon
- ベストアンサー率15% (69/438)
こんにちは。 何かに限って言えば「勝ち組・負け組」は存在すると思います。 しかし人間で言えば、それはその人次第ではないでしょうか。 分かり易く例を挙げると、運動会で言えば「勝ち負け」は明らかに存在します。 しかし、負けた組にいた子でも各種目でトップだった子もいるでしょうし、勉強はできる子もいます。 人一倍優しい子も、毎日が楽しい子もいるでしょう。 これは「負け組」ではないと思いますよ。 最近はどんな人生であっても、最後に「幸せだった」と本人が思えれば「人生勝ち」という気がしています。
お礼
分かりやすい例ありがとうございます! 人は様々な分野で活躍することができますね。例え、○○に関しては、劣っていても××に関しては優れている。そういうことを考えると、勝ち組・負け組の存在意義って言うのはあまり意味を成すことができないかもしれないですね。回答ありがとうございました!!
- dorce0000
- ベストアンサー率29% (872/2971)
昔はあると考えていたのですが 最近は混沌としてきました。 人の人生が1回で終わると思えないタイプ。 「輪廻転生」みたいな、いかにもわかりやすい生まれ変わりは無いとしても 水は水蒸気になり、雨になり、また地上に戻るとか 終わりは始まり、始まりは終わり、と続いていくのが宇宙なんだと思う。 だから「死んだときによき人生だったと思えるか」も1つの物差しかもしれないけど それすらも完全な終わり、結論とは言えないんじゃないかなーとも思ったりします。 わかりやすいのが芸術家ですよね。 凡庸と結論付けられても、あるキッカケから世紀の大天才と見直されたり また次の時代にはほとんど廃れてしまったり。 もちろん一般人が残せる足跡といったら 育てた子供とか、仕事などのちいさな功績、財産くらいで 後の世に大論争など残していかないんでしょうが… しかし「物事はすべて、どう捉えるかや、時間の経過で意味が違って見える」 は共通していると思う。 だから「勝ち負けの結論は、つけようと思ったらつけられるし つけないで済ませることもできる、要は、その人の思惑次第」 こんな理屈っぽいことを考えています。 今、ココ・シャネルに関する本を読んでいて。 大変に語録の多い人です、しかも辛らつな。 これは友人が、自身のために語録を作れと勧めて、始まったんだとか。 人によっては彼女の語録を読むと 「凡庸な人間は生きる資格ないですか」 と思いそうになったり 矛盾した記述も多いんだけど 「自身のために」に彼女の真意があるとみた。 「人生とは」「才能のある人間とは」も 結論としてではなく、手段として書いたのではないか。 枠などない人生に、あえて枠を与え、 その時その時の自分を追い込むための踏み台にしたのではないか。 だから矛盾した格言も沢山残しているのではないか。 そんな風に感じ、凡人の私でも、意外に反発感なく読めました。 彼女評には「他人にも厳しいし自分にも厳しい」というのがあるけど 私はそうじゃなくて、常に自分に厳しい、ある種、自己中な人だったのではないかと思う。 …芸術家のパトロンになったり、物惜しみしない人でもあるのですが 私が言うのは、優しさがないという意味ではなく 常に自分のために必死に生きることそのものが自分の使命と考え 他人が語録を読んでアレコレ言うことすらも、 自分の肥やしにどう使おうかと考えていたほどの人ではないかと。 他人にバッサリ言いきると、周りは反発したり、何さと思う。 その逆境に揉まれることが刺激になり、今までの自分の枠を超える力が生まれる。 でも、「成功の座」に固定して収まりたかった人ではないと思う。 だったら、あんな沢山の語録は産まなかっただろう。 「AはBだ」と言い切り、AとBのテーマを必死に生き抜いたとたん、 次のテーマを見つけ、自分を奮い立たせたり、追い込んだりしてったからこその あの沢山の語録…なんだと思う。 このように、「人生とは○○である」「真の勝者は○○である」という 古今東西の格言や語録さえ 実態があるような無いような、捉え方もサマザマだと思うのです。 これという結論が無くなってしまいましたが 「今の私」にはこんな捉え方がしっくりきます。 今の私は、人生とは○○である、とも思い込まないし、追い込みもしないんですが ココ・シャネルを1つの例として(単に私の解釈するシャネル流ですが) 「枠」を事実や結論としてでなく 自分らしく生きる手段として使っても面白いかな~と考えています。 ながったらしいですが、なんとなく伝わりましたでしょうか。
お礼
ココ・シャネル・・・最近映画化されて知名度が上がりましたね。私は、今回の映画化がきっかけで、彼女に関するドキュメンタリーをテレビでやっているとついつい見てしまいます。 といっても、、内容が難しいですw 彼女の生き方は私から見ると、尊敬できる部分もあれば、何故だ??と思える部分もあります。非常に難しい生き方ですね。 >「枠」を事実や結論としてでなく自分らしく生きる手段として使っても面白い この生き方・考え方ができたら、本当に面白い人生が送れると感じます。 まさに、理想ですね。ご意見ありがとうございます!!
- takasi23
- ベストアンサー率13% (53/383)
人生に勝ち負けは当然あるでしょう。ただ勝ち組とか負け組とか、組という文字をつけただけの言葉には特に存在意義を感じません。まーそういう言葉を作れば存在しうるというだけです。 そもそも動物が生きるということは競争の連続です。これは人間の社会でも同じです。学校でもクラスで一番になれる人は一人だけです。芸能人として活躍できるのも限られた人だけです。大手企業の正社員、医者や弁護士、政治家など、より高いランクのものになれるのは競争に勝ってきたものだけです。
お礼
>そもそも動物が生きるということは競争の連続です。これは人間の社会でも同じです。 社会的に考えると、どんなことをやるにしても勝ち負けは出てくるのですね。高い望みがあれば、それだけ頑張って生きていかなければいけないのですね。ホント、人間は特に複雑な生き物です!回答ありがとうございました!!
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お礼
思ったときからですか。。。 やはり気持ちの問題が強いようですね! 回答ありがとうございました!!