ピカソのどこがすごいの?という疑問は実際多くの人が感じるところだと思います。
「ピカソ」というともはや「わけわからん絵」の代名詞のようにさえなってしまっていますね。
「芸術は考えて理解するものではない、感じればいいのだ」みたいな考え方を日本人はなぜか好みますが、そういう考えに凝り固まっている人ほどピカソの絵の価値を理解することは恐らく難しいでしょうね。だってただ見ただけじゃ実際ワケワカランもの、あの絵!(笑)
若桑みどりさんの著書「イメージを読む」の中に、「芸術は感覚で作られ、感覚で理解される感性の文化だと思う誤解がゆきわたっている」ということばがありますが、私も同感です。
芸術の価値を真に理解するためには、ただ作品の前に立って感覚任せにぼーっと眺めているだけでは足りないのです。
わかりやすい具象画なら、それでも「あらきれいな風景だわねえ」などと多少感動することもできましょうが、こと近代以降の作品になってくるとあれもこれもピカソ状態に。
では、どうすればそれらの作品を楽しく鑑賞できるようになるのか。
それは、作品の裏側を知ることです。作品が制作された社会背景、作家の生い立ち、作家の生涯における作風の変遷、その作品が後進の芸術家に与えた影響…。また、制作に使われた材料や技法を知ることから作品を見る楽しみが増えることもあるでしょう。
幼少から父に絵画の基礎を叩き込まれ、14歳にして写実の技術を完成させていたピカソが、なぜそれを捨て去っちゃって次々と新しい画風を生み出そうとしたんだろう。
「アビニョンの娘たち」ってピカソがアフリカの彫刻にハマったからこんな顔になったんだー。
この作品は○○に影響を与えたんだ、確かにこのへんが似てるかも…。
等々、ひとつひとつの作品に込められた背景を知れば知るほど、その作品の鑑賞は深まっていきます。
上述の「あらきれい」な風景画だって、それが描かれた土地の風土や社会背景等々を知ればただ感覚任せに見ていた時とは全く違った感動があるはずです。
ちなみに、私はピカソのいかにもテキトーに描き殴ったような作品に近づいたとき、その一見デタラメな線の後ろに、その線を何度も描き直し修正したことが読み取れる痕跡を見つけてちょっと感動したことがあります。
お礼
詳しく有り難うございました。 最後の2行に感服いたしました。