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幼児に“死”を教えること
命あるものはいつか皆、死を迎えますよね。 大人になれば誰もが知っていることですが 我が子ら(4才と1才)はまだそのことを知りません。 ・子どもに「命あるものはいつか死ぬ」と教えてもよいのでしょうか。それとも自然に任せるべきでしょうか。 ・お子さんが「もうすでにそのことを知っている」方、お子さんはどういう経緯でそれを知ったのでしょう。 また、そのことに対するお子さんの反応、考えをお聞かせ下さい。 ・あなた自身は「いつか死ぬ」そのことをいつ、どういう風に知りましたか。 ・そしてそれをどう受け止めましたか? ・最後に、“死”自体をいつ、どういう風にお子さんに教えましたか?(教えたいですか?) 死んだ後のことは付け加えたかどうかもお聞かせ下さい。 ご意見、体験談、お待ちしております。 ************* 経緯についてはここに書くと二つに分けなければいけなくなってしまったので 反則かな…とは思いますが補足欄に書かせていただきます。 面倒臭い方は読まずに答えて下さって構いませんのでよろしくお願いします。 (回答をいただければ…の話ですが;)
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先日、子どもが可愛がっていた金魚が2匹死んでしまいました。 すごく元気だったのに、突然横になって沈み数日後動かなくなってしまいました。(塩水浴させたり、薬浴させたりは主人がやりました、子ども達は時々覗きに行ってました) 主人と上の子(5歳)で近所の墓地にある花の咲く木の下に埋めてきたそうです。(団地に住んでるのでそのへんに埋められない) 最初の1匹の時は「動かない、恐い」と言ってましたが、2匹目のときは「あんなに元気だったのに何で?」と寂しそうに言い「もう金魚は飼わない、さつき(猫)がいるからいい」と泣きそうな顔で言ってました。 現在、空の水槽が目に付くところにおいてありますが、下の子が時々「きんちゃん(金魚の名前)いなーい」と言ってます。 「死」=「いなくなる」「動かなくなる」程度には認識してると思います。 上の子は三歳の時に「タイタニック」の沈没シーンで「船から落ちたら終わりなの?」とゲームのようなことを言ってましたが、今回のことで少し「死」と言うものがわかったのではないかと思います。 ちなみに私がやるゲームで主人公が倒されてしまうと「死ぬ」ではなく力尽きてひざをつくだけなので、「諦めない」を選ぶと力がみなぎって復活します。倒れても「死んだの?」っていつの間にか聞かなくなりました。 ただ、死んでしまうキャラについては一応説明してます。土に埋めて墓標を立てたり、消えてしまうシーンなどで説明するのは大変ですが…(人間以外の種族も出てきますからね~ファンタジーだし) 毎年母の帰省に同行するので、お盆の「お迎え・送り」には子どもも参加させます。花やお茶を持たせます。 お墓につくと、石のないお墓もありますので、踏まないように注意したり下には骨が埋まってることなども一応説明します。 補足読みましたが、うちの子はまだ自分が死ぬことに関しては何も考えていないようです。人間の死をまだ身近に感じていないからだと思います。 上の子の友達はおじいちゃんが亡くなった時(当時5歳)、葬儀場で「おじいちゃんが!!」と泣き叫び、しばらく夜うなされていたそうです。 今でも「死」と言う言葉には敏感で、幼稚園で他の子が悪気なくだす「死んじゃえ~」にも心を痛めてるようです。
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- banana777
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5歳と3歳と1歳のマンマやってます。 自分は「人間はみんないつか死ぬんだ。だから、日々精一杯やることをやっていこう」って生きてます。 誰から、死について教わったのか?自分の記憶にはないようです。自分が始めに人の死に接したのは3歳だったと思います。遠い親戚でしたが、葬式なのに当時流行っていておそ松くんのシェーをした写真が残ってます。記憶はありません。死を怖いと思ったのはテレビで「寅さん」をやっていて、寅さんがハブにかまれて死んでしまうシーンを見てです。(時代がわかっちゃうかなぁ~) いまは、当時とは全く違いゲームなどで「マリオが死んじゃった」などと子供たちも口にします。 私が子供たちに話始めたのは、上の子が3歳の時・・・「人はいつかは死んじゃうんだよ」 「マンマ、死んじゃいやだよ!」「すぐじゃないけど忘れないで・・・いつかは・・・」こんなやりとりをはじめました。 上の子は幼稚園に入り園で飼っていた亀が死んだ報告をしてくれました。 つい2ヶ月前に主人の父、子供たちにはおじいちゃんが亡くなりました。幼稚園で「頭を叩くと頭のコンピューターが壊れちゃうよ」とおそわってきたのでこう話しました。 「おじいちゃんの頭のコンピューターが壊れちゃって、もうご飯も食べれないしトクトクもしなくなっちゃった。神様が頭のコンピューター持っていっちゃったんだよ」って。 5歳と3歳は納得してました。1歳はまだ無理ですね。 長くなりました。教えるきっかけになることがあればおしえるべきだと思いますが、無理はしない方がいいと思います。
お礼
banana777さん、ありがとうございます。 経緯を詳しく書いていない質問で、申し訳ありません。 それでも答えていただいて、嬉しいです。 >誰から、死について教わったのか?自分の記憶にはないようです。 > やはり、いつの間にか知っていた…というのが大半なのでしょうか。 いつの間にか知っていて、自然にそれを受け止めていた… そうなるといいのですが 湾曲した形でその事実を知ってしまった… または親の口から伝えるにしても、適切でない伝え方をしてしまう… そういうことを考えるとどちらも怖かったりします。 死を恐れることは、自分や他人の命を敬う気持ちへと繋がるとても大切な感情だと思うのですが 恐れすぎるあまりそれに囚われて夕焼けに怯えるような、そんな子どもになってほしくないですから…。 頭のコンピューターですか!そんな言い方もあるんですね。 実は今日、眠り誘いのお話に何気なく浦島太郎を話していると 「うらしまたろーが帰ったら、どうしておかあさんもお家もなくなってたの?」と聞かれてしまいました。 きたか…と思いながら慎重に言葉を選びつつ、 「ずーっと時間が経つとお花が枯れちゃうみたいに、おうちもボロボロになっちゃうの。それでなくなっちゃうし、人もおじいちゃん・おばあちゃんになってくるとだんだん体が弱くなってきて、そうして死んでいくんだよ」 すると「○○ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんも死んじゃうの?」と… うう…とつまりながら「おじいちゃん、おばあちゃんはまだ元気でしょ。もっとも~~っとおじいちゃんおばあちゃんにならないと弱くならないから、まだまだ大丈夫だよ」 と答えました。 すると「…そっか。」と納得(?)した様子。 もう少し会話が続いていたら、核心に触れるところでした(笑;) それにしても今の時点でどこまで分かっているのやら… そうですよね、無理はしない方がいいですよね。 様子を見ながら、今日のように少しづつ…少しづつ…でいいのかな… ありがとうございました!
補足
補足欄お借りします。 ************* 私から“死”について最初に教えたのは、「死ぬ」という言葉を軽く使っているな、と感じた時でした。 「死ぬっていうのはね、もう絶対会えなくなるってことなんだよ。お父さんともお母さんとも、誰とももう会えないんだよ。ずーっとさよならなんだよ。」と言いました。 すると、「そんなのやだ…」と泣いたので 「でもね、死んだらもう会えなくなっちゃうけど、お空に行ってみんなのことを見てるんだよ。」とも言ってしまいました。 特に宗教的な意味はなく、死んだ後があると教えた方がショックが少ないかな…と思ったので… その後祖母が亡くなった時も、「お空に昇って行ったんだよ」と言いました。 それでいいかどうかは自信がありませんが… 結局のところ、長男は“死”自体は理解しているとは言えないけれど彼なりに受け取っていると思うのですが、 人はいつか死ぬ…ということまではまだ知りません。 今までは、いつか自然に知る事になるだろうからそれに任せればいい、 そして聞かれた時に初めて私や夫にできる限りのことを答えてやろう、そう思っていました。 けれど、祖母が亡くなって1ヶ月…それとは関係ないかもしれないのですが、最近「夜が怖い」と言い出して… 幼稚園の頃、私もよく「夜が怖い」と言って親を困らせていました。 それというのもある時、「人は誰でもいつか死ぬ」ということを知ってしまったからです。 知った経緯は覚えていませんが、年中か年長か…それくらいの時期に知ったその事実がとても恐ろしくて 「地球が回ったら夜がくるよー。夜が来たらまた死ぬのが近くなるよー」と毎晩泣いていました。 ある時は祖母が遊びに来ている時に「なんで人は死ぬの?死にたくないよ~嫌だよ~」と泣いて 「大丈夫、私らの方が先だから…」と、今から思えば酷な?慰めをさせてしまったこともありました。 夜、横になって枕で耳がふさがると「ドクン、ドクン、ドクン」と聞こえる鼓動が まるで死が近づいてくる足音みたいで、うわぁ~となってしまう…ということが中学くらいまであり、それだけ幼い頃に受けた“死”の印象が強烈で、ショックだったんだろうな…と思います。 そういうことがあって、息子の「夜が怖い」という言葉にどきっとしたのです。 私が“死”に対して異常な怖がり方をしたのは、知った時期が幼すぎたからなのでしょうか。 それとも“真実”と余程良くない“出会い方”をしたのか… そうだとすれば、たとえば親の口から穏やかに教わりでもしていたら、あれほどにはショックを受けなかったのかもしれない… そう考えると、子どもには時期をみて話したほうがいいのだろうか…そう思ったのです。 「子どもがいつか自然に知るのを待つ」のはある意味親として逃げてるようにも感じてしまったり…(そんなことないでしょうか) けれどやはりためらう気持ちが強いです。 「考えすぎ」そういう意見でも結構です。参考になりますので何でもお聞かせ下さい。 読んで下さってありがとうございました。
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お礼
けれど、だからといって自ら『いつか来る死』について話した方が…というのは 飛躍していて早急すぎる考えだったな、と みなさんのおかげで思うことができました。 まだ理解が難しい時期にそれを話すというのは、とても不自然で それこそ混乱を招いてしまいますね。 たとえ早すぎる時期でも“死”に出会ったりなどして起こる不安との葛藤は 何者にも語られない、自分自身の目で見た、肌で感じた そこからの自然な感情なわけですから… いつかはそれを自分なりに消化して、受け止めていくのだと 子どもは親が思っている程弱くないのだと信じたいです。 お子さんのお友達も、今自分の中にある胸の痛みを少しずつ、 消化し受け止めている最中なのでしょうね。 そんな葛藤をも心の糧にしていってほしいと、それは我が子にも願うことですね…。 ありがとうございました。 ********************************** 今度は補足にも収まりきらず、補足→お礼へと続く形になってしまいました… 申し訳ありません。
補足
azzaroさん、ご回答ありがとうございます。 お礼が大変遅くなってしまい、本当に申し訳ありません。 金魚の話、とっても温かいご家庭の雰囲気を感じて 感動してしまいました。 自分の小さい頃や今飼っている金魚が弱った時なども 「あ~弱っているなぁ…」と気にしながらも見ているだけだったので 塩水浴させたり、薬浴させたり…など、 そういう方法もあったのかと驚いてしまいました。 飼っているのに勉強不足だったなぁと反省です。 そして、ご主人が金魚を看病?しているのをお子さんが 時々覗いている様子を思い浮かべると、 そういう親の態度から 小さい命を大切に思う気持ちが生まれるんだろうなぁ…と思いました。 うちにも同じく猫と金魚がいて、金魚がこれまで何匹か死んでいるのですが 金魚が水槽の底に沈んでいるのを見つけて 「あ、死んでる!」と言いはしても、あっさりしたものですから… 「何で死んだのかなぁ…」と考えたりしている様子はあるのですが 猫ちゃんがいるからもう金魚は飼わない…と 泣きそうになったりなんてことは一度もありません。 それもやっぱり私たち親があっさりしているからなのかな… なんて、思ってしまいました。 それでも埋める時は丁重にお墓を作り、それについて色々話をしたので 金魚を埋めた所を通る度、「金魚、もうお空へ行ったかな」と 今でもたまに言います。 小さくても命は命。それに対する親の態度が重要で、 そういう所からなんだな…と改めて感じました。 ゲームのキャラなどの死も丁寧に説明してらっしゃるんですね。 そうか、現代の子はテレビや本からだけでなく、ゲームで感じる“死”もあるんですね~。 ゲームといえば、銃を撃ちまくったりなどしてゲームの中で人を殺しているから、 現実の生に対しても命の大切さが希薄になる…なんてことも言われていたりしていますが… そんな単純なものでもないでしょうにね。 まあ確かに剣でゾンビ(悪者)でもない普通の人間を ばっさばっさと切っていくようなゲームなどは 幼児期には、親がやってるだけだとしても見せたくないものではありますが…(^_^;) その点ファンタジーは、絵本のような優しさがあるような気がするので (あまりやったことがないので想像ですが) そういうものをazzaroさんのようにお子さんとの話の種にするのは なんだかいいなぁと思いました。 お盆の「お迎え・送り」…こういうのも大切ですね。 けれど、こういった風習を全く知らない子ども達も今や珍しくないのでしょうね… そういう点では今より昔の子どもの方が 生活の様々な所で自然と、より身近に“死”を感じていたのかもしれませんね。 お墓での説明も大事なことだなと思いました。 うちもお墓ではいつも小うるさくなってしまうのですが、 小さいながらに分かっているようなんですよね。 今では4才(上の子)が1才(下の子)に注意していたりします。 それから補足欄、読んでいただいてありがとうございました。 >自分が死ぬことに関しては何も考えていないようです。 > それはまだ知らないということなのか 知ってはいても実感として全くないということなのでしょうか… 人間の死をまだ身近に感じていないから…というのは、そうかもしれませんね。 そういえば、私の小さい頃に伯父が亡くなっているのですが 多分4~5才くらいの時だと聞いた記憶があるので 「夜が怖い」と言い出した時期と重なっているかもしれない、と今ふと思いました。 多分数回しか会っていないでしょうが、初めて目の当たりにする人の死というものは やはり大きかったのだろうな、と思います。 …今まで、小さい頃の自分に何があったのだろうと考えていたのですが これでなんだか少し心が軽くなった気がします。 上のお子さんのお友達の話は、とても胸が痛みました。 初めて目の当たりにする“人の死”が、本当に身近な人のものであったりしたら…。 大人でも時には抱えきれなくなってしまうような“悲しみ”を、 幼い子らはどういうふうに受け止めようとするのでしょうか。 >今でも「死」と言う言葉には敏感で、幼稚園で他の子が悪気なくだす「死んじゃえ~」にも心を痛めてるようです。 > そういう様子は見ているものも胸が痛みますね。 “死”に関わらず、早すぎる時期に何かを知ってしまったら、その分無邪気ではいられなくなる… けれどその知ってしまったことにも自分が追いつかない苦しみ。 幼い子はそういう自己分析もできないから、 それが得体のしれない不安や恐怖になってしまう。 私が幼い頃そうであったから、我が子にはそんな苦しみは味わってほしくなかったのだと思います。 ↓