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自殺という発想の元は?
自殺は、日本ではよくニュースになりますし、数も多くなる傾向で、自殺嗜好的なサイトがあったりします。 ところが、海外の方に聞くと、国によるのか個人によるのか、わかりませんが、そのような状況は驚かれます。 そもそも、多くの人が自殺するのは、実は昔からあったことなのでしょうか? 自殺という発想の元は何だったのでしょうか? 個人の気持ちという点では、大変に苦しい状況があることは察しておりますが、こちらの質問では、そのような視点ではなく、社会現象という視点で、ご意見をいただければ参考になります。 よろしくお願いいたします。
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脳の病気と言うものがありまして 治療、投薬で改善はしても完治しないようです。 私の経験ではそのような方が重度になった場合の 自殺例がほぼ全てで 原因となる社会現象としてはかなり複雑ですので 人間全体が画期的な進化でもしなければ 永遠に増減しながら続くものと思われます。
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- bananasand
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自殺という究極的な個人行動を社会現象という視点で発想の元を探索しても答えは見つからないと思いますよ。発想するのは社会ではありませんからね。
自分の知る範囲ですが、宗教的には、キリスト教圏では、自殺自体が罪。ご存知かもしれないですが。 イスラム教圏では、自殺というのは語弊ですが、自爆テロのように、神に捧げる行為。 日本の武士道的要素では、殉死。 では、現代社会ではと成ると、不景気・いじめ・介護の問題・人間関係全般・マスコミやネットの煽りなどからでしょうか。後追いも、有りますね。好き有名人が、好きな異性が、愛する家族が、ですね。武士道の殉死とは、別物。なんか、えらそうな事ばかり、並べてました。知識が大したない中。
- MARUKADIRI
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こんにちは。 自殺の話題で今日の社会で最も語り継がれているものは 「失業者と自殺者の数は比例する」や「不景気だと自殺率が高い」 と言うものです。 大げさに取り上げられますが、実際にニュースなどでは結構な数で会社倒産や失業で一家心中や夫が自殺した等と報道されます。 本人ではないので断定するのは不本意ですが、もう生きていけないからと言うことでしょうか。 生きていけないからと言う理由では、例えば失恋や配偶者の先立ち等で自殺をする方も存在します。 また、主に政治家や責任の重い役職に就いてる方の責任を感じ自殺する、責任に耐え切れなくて自殺する、といった方も存在します。 こういった表現には悩ましい所ですが、自殺をファッションや文化としてイメージしている人間も存在します。これは日本に限らず海外でもあります。崇拝や狂信でも自殺を行う事もありますね、崇高なものとして。 現在の日本で自殺は「逃げ」として捉える方が多いですが、古来では責任ある立場の者が行う「自決」は価値あるものとして扱われていた事もあるので、日本は自殺について関心が高いと言えるのではないでしょうか。 その関心が本人にとってプラスマイナスを断定するのはおこがましいですが、一般的に言って悪い方向に向かったのが自殺嗜好や幇助、集団自殺などに繋がっていっているのかもしれません。 ですがそういう、悪いとされる方向に向わせてしまった環境は私たちの周りそのものです。 そういう現象が社会に起こっているのが現状です。